徒 然 草  2004年4月
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30日(金) 今日は有休。実家の方に帰ったりしてました。天気が良くて、車の中は暑かった。。。

 灯台の住んでるアパートのベランダは幅1mくらいしかありませんが、幅の狭い棚を買って来たりして、ガーデニングもどきをやっています。 昨秋買って来たパンジーは花盛り。嫁さんが買って来たワイルドベリーも、春になってから次々実がなってます。

 この春は、ペチュニアの苗を買って来て、これも花盛り状態。種から起こしたカブは何度か間引きをして、食卓に上りました。シソも少しづつ 大きくなって来てます。ミニトマトは本葉が出て来ました。昨日はバジルとクレソンの種を播きました。スペース的に、そろそろ限界かなあ。これでも農学部出 身ですから、ちょっとは上手く育てないとね。


29日(木) モルディブ旅日記を ようやく完了させました。いや、実は来月バンヤンツリー(灯台達が泊まったホテル)に行くと言う方から問い合わせのメールが来たりしたので、GWに入って 時間が出来た事もあり、慌てて書き上げたのが実情。カナダ旅行記とか、グレートブリテン島旅行記とか、宿題は一杯あるのですが、ぼちぼち筆を進めたいと 思ってます。
28日(水) 和歌に限らず、小説にしろ、映画にしろ、絵画にしろ、音楽にしろ、およそ芸術に連なるものは、Publish された瞬間からその評価や解釈は受け手に属します(著作権はもちろん創作者に属しますが)。創作者には創作者なりの意図があるのは当然ですが、受け手がそ れに縛られなければならない必然性はありません。

 宮内庁が皇后の和歌の解釈について、マスコミにクレームをつけたようですが、的外れもいい とこです。ま、役人としては「クレームをつけた」というエビデンスを残す事が、自らの保身のためには必要なんでしょうけど。


27日(火) 「プライバシーなので、閣僚の国民年金の納付状況は言えない」。閣僚は毎年資産公開してるはずだが、資産はプライバ シーではないんか?

 → 結局発表されたけど、管直人も脇が甘いのう。ま、それが分かっていたから、政府側も発表に応じたんでしょうけど。


26日(月) 日本マクドナルドの元CEO、藤田田氏が亡くなりました。1年程前に同社の経営権を手放し、見返りにガッポリ儲けた んだから、悠々自適なり贅沢三昧なりの生活が送れたはずですが、周囲がオダててくれる日々を失ったらガックリきちゃたんですかね。でまあ、藤田氏みたいに なるのがイヤで、70になっても80になっても会社にしがみついている老人が世の中には沢山いて、それが日本をダメにしている訳ですが。

25日(日) ダイムラー・クライスラーに手を引かれちゃった三菱自動車。結構ヤバそう。公的資金を入れたとしても、車が売れなく ちゃどうにもならないし、RVブームの去った今、三菱に売れそうな車はないもんなあ。

24日(土) 今日は家でお昼寝の休日を決め込むつもりだったのですが、朝飯食った後、布団に入って寝たところでチャイムが鳴って 宅急便、布団に入って寝たと思うと町内会費の集金、また布団に入って少し寝たら電話。どうもタイミングの悪い日でした。

 読売は開幕以来の連続本塁打記録を更新したにもかかわらず、が阪神に負けて最下位転落。数 日前の日刊スポーツの「史上最強の最下位」の見出しを思い出して、笑ってしまいました。日刊スポーツに座布団1枚。


23日(金) ワイン会(会社の会議室で、持ち寄ったワインを飲む)でした。最初は3人しかいなかったのでどうなることやらと思い ましたが、徐々に人も増え、最終的には小さな会議室が一杯になりました。19時前に始めて22時過ぎまで、飲んで話して楽しいひとときでした。
22日(木) 世間では、例の3人のネタが相変わらず盛り上がっていますが、灯台に言わせれば、マスコミは騒ぎ過ぎ。政府は狼狽し 過ぎ。

 さて、ブッシュとしては再選のために、「イラク攻撃は正しい選択で、だからイラク占領が上 手く行っているのだ」と言う事を示さねばなりません。そのためには、6/30の主権移譲は必須です。逆に反米勢力は、そうさせないために混乱=米軍への攻 撃をエスカレートさせる必要があります。

 もちろん、一部の反米勢力だけが反発しているだけなら大した事にはなりませんが、最近の情 勢を見ていると、「スンニ派、シーア派、クルド人を相互に牽制させて、その上に乗るアメリカへの反発を最小限にする」と言うブッシュの目論見が崩れ始め、 アメリカを追い出すためにスンニ派とシーア派が手を結びつつある、と言うのが現状のようです。先の戦争では、国民党と共産党が反目しあっているスキをつい て日本は大陸に侵攻したのですが、目論見が外れて国共合作がなり、ドロ縄のゲリラ戦に引きずり込まれました。ブッシュ君は、戦後のGHQによる日本統治は 勉強したみたいですが、戦争中のことは勉強しなかったみたいですね。で、試験問題を見たらヤマが外れていた、と。

 イラク南部はスンニ派=反フセインなので治安が比較的良い、と言うのが自衛隊の派遣先に選 ばれた理由ですが、この辺の治安情勢が急速に悪化しているのも、上記の影響でしょう。

 何度も言うように、軍隊において最も重要なのは補給です。サマーワの自衛隊は補給をク ウェートからの陸路に頼っていますが、この先治安情勢がどんどん悪化した場合、補給線がどうなるかは何とも言えない情勢です。そして、補給を断たれた軍隊 がどれだけみじめな敗北を喫するかは歴史が示しています。

 550人の自衛隊員がクウェートから数百km離れたイスラムの海の中に孤立して、絶望的な 籠城戦を戦う事になる、という最悪の事態は、日本政府の危機管理計画の中に入っているのでしょうか。

 ここに来ていくつもの国がイラク撤退を決めたのも、これらの国の危機管理計画にはこうした 最悪の事態が想定されているからでしょう。イラクに戦争をしに行っている米英はともかく、他の国は決してイラクに戦争をしに行っている訳ではないので、例 え身を守るためであってもイラク人を何十人も殺して良い訳ではない。包囲されたからと言って相手を蹴散らして強行突破する訳には行かない。と言う判断が働 いて、アメリカに良い顔するのもそろそろ限界、ヤバくなる前に逃げ出そう、と言う所なのでしょう。

 マスコミも、こうした辺りを報道して欲しいですよね。


21日(水) 相変わらずtotoが売れていません。最近の売上げはtoto Goalも含めて1回5.5億円くらいなので、通年では昨年から30億円減って170億円くらいかなあ。「利益をスポーツ振興に回す」と言うのがtoto のお題目だったけど、昨年は全く利益が出ず、かろうじて当選時効金を基に5億円を配ったのみ。今年はどうなりますやら。

 そこで灯台は考えた。どうやったってtotoの売上げが伸びるとは思えない。その中でス ポーツ振興に回す金を捻出するには、当選時効金を増やすしかない。そのためには、当選金の支払手続きを思い切り面倒にする。そうしたノウハウは日本のお役 所に大量にあるので、難しい事はありません。当選金をもらうのに、3日くらいかけて20ヶ所でハンコをもらわなければならないようにすれば、1等はともか く、2等3等の当選者は面倒くさがって当選金を放棄するでしょう。

 2等と3等を合計すると、売上げの25%。つまり40億円ぐらいがスポーツ振興に回せま す。これは、toto初年度に匹敵します。おお、ぐっとあいであ。


20日(火) セミナーが六本木ヒルズであったので、初めてヒルズに行きました(ちなみに、丸ビルとカレッタ汐留にはまだ行ってい ない)。ばぶりぃで良いですな。話題の回転ドアはどこも停止中で、場所によっては警備員も横に立ってたりして、人件費もバカになりませんな。ま、天下の森 ビルはそんなみみっちぃこと考えないか。
19日(月) 将軍様が鉄道で中国を訪問中です。灯台も鉄分が濃いと自負していますが、ロシアでも中国でも鉄道で出かける将軍様に は負けますね。

 ところで、将軍様の中国訪問中に、「あっ、間違えちゃった」とか言ってトマホークをぶっ放 して、中朝を結ぶ鉄道の線路や橋を10ヶ所くらい壊して帰れなくする、なんてお茶目な真似は、イラクが思い通りに行かなくて錯乱状態にあるブッシュには、 チト無理かなあ。


18日(日) 朝飯の後、温泉街(と言っても宿は5軒しかないけど)を奥の方にぶらぶらと。いや、ホントここは変わらないね。源泉 の所に足湯が出来たくらい(友人によれば、昨年5月にはなかったそうなので、これだけは最近出来た)。示現寺の境内には、まだ雪が残っていて、子供達は楽 しそう。遠くからキツツキが木に穴を開ける音が聞こえて来る。

 引き返して、今度は日中線記念館(旧熱塩駅)。駅の近くの桜が満開で美しい。駅舎はだいぶくたびれて来たけれど、でも昔のまま。ここから 灯台の鉄ちゃんの歴史が始まったんだよなあ。

 しばらく写真を撮ったり、保存されている客車を見たりしてから、車2台で喜多方駅へ。ここで解散。灯台は源来軒で支那そば食って
(まだ11時前なのに50席はある店内はほぼ満員で、しかも次々客が来るから、流行ってるねえ)、会津若松へ。14時半の高速バスが何とか1席開いていた のでこれを押さえ、駅の周りで時間をつぶしてバスに乗車。今回はノスタルジィの旅でした。


17日(土) 浅草駅に着いたのは9時頃。ぶらぶらとWINS浅草を目指す。しかし、WINSを目指す人もWINSから出て来る人 も、年金世代だねえ。今日明日の馬券を買って、浅草駅に戻る。

 おにぎりとビールを買って、急行「南会津」乗車。今どき、席がリクライニングしない優等列 車とは如何なものかと。列車は8割くらいの入りで、そのまた8割はオバさん(バアさん!?)。後ろの席のオバさんは、「私はね、団体旅行が嫌いなんです よ。多少高くても個人旅行が良い。団体って、も〜ペチャクチャペチャクチャ五月蝿くって・・・・」、おいおい、それは言行不一致だぜ。

 列車は東武鉄道から野岩鉄道、会津鉄道へと入って行く。群馬/福島県境は 桜も新緑もまだだったけど、終点会津田島では桜も7分咲き。電化区間はここでお終いなので、ここで乗り換え。会津若松行きのディーゼルに乗る(右写真。野 口英世の母の手紙の文字が車体全体に書かれていて、「耳なし芳一」みたいでちょっと無気味)。天気も良いし、桜もきれいだし、良い旅です。1時間で会津若 松。昔は、年に1回は会津に来てたけど、ここ10年ぐらいはご無沙汰。駅舎も駅前もだいぶきれいになっていた。

 ここから喜多方まではSL。いや、他に良い列車がないんですよ。C57の引 く7両の客車は12系の改造車。大正時代をイメージして、ちょっと渋めに改造されてる。汽笛一声の後、発車。ガシャーンと言う客車特有のショックも久しぶ り。喜多方まで30分かけて、ゆっくりゆっくり進んで行く。

 喜多方着。次のバスまでは1時間以上ある。折角喜多方に来たのだし、駅に一番近い「丸見」 で支那そばを食べる。それから駅前の「煉瓦」でダッチコーヒー。この店も変わらないねえ。16:50のバスで熱塩温泉へ。バスは喜多方市内を抜けて行く。 ここの町はホント変わらないなあ。30分で熱塩温泉のバス停に着く。そこからぶらぶらと今日の宿へ。ここに初めて来たのは、もう27年も前か。自分の前 を、27年前の自分が駆けて行く。

 銭函の面々と合流。名前の通り塩っぱい温泉に入って、宴会して、うだうだ雑談して。皆さん お疲れのようで、23時には就寝。


16 日(金) 「赤電話」が登場したのは1953年です。当時は遠距離電話が高かったの で(1953年当時の電話代はよく分かりませんが、灯台が初めて一人旅をした1975年では、東京−九州は2.5秒10円でした)、10円しか使えない公 衆電話で遠距離通話をするのはかなり困難だったと思われます。もっとも、この時代には個人の家で電話があるのはお金持ちで、庶民には電報が一番の情報伝達 手段だった訳で、遠距離通話の需要自体が少なかったのでしょう。

 1972年に、100円玉も使える黄色の公衆電話が登場しましたが、100円玉ではおつり が出ないので不評でした。1982にテレホンカードが使える緑電話が登場しました。もう、20年以上経つんですねぇ。右の写真は、先日由比に行った際、公 衆電話ボックスの上にあった看板です。逆行でちょっと見にくいですが、「この電話はテレホンカードが使えます」とあります。きっとこれが登場したときは、 由比の町の人がテレホンカード持って、この電話の前に並んだのでしょう。


15日(木) (亀ネタですが)、政治資金収支報告書は、閲覧は可能なもののコピーは不可だそうです。で、同報告書をネットで公開 する際、お役所(総務省)としては印刷が出来ないように設定したつもりだったものの、2ch等で印刷可能なように設定を変更する方法が流布されてしまい大 慌て。大臣が大臣なら、下っ端も下っ端という訳ですね。(^▽^)<フロッピー

 一応このままネット上での公開は続けるものの、メーカと相談して何らかの対策を取る、との ことですが、メーカに相談と言っても、実際に対応するのは2人とか3人のプログラマー。そんな輩が多少の小細工をしても、ネットの世界に無数に浮遊してい る超一流のプログラマーにかかれば、一晩でプロテクトなど破られてしまうでしょう。かつて2chが転送量の増大により崩壊の危機に瀕した際、マ板(プログ ラマー板)の無名の住人たちが結束して、僅か数時間で転送量を半減するプログラムを作り上げてしまった故事を、お役人様方は知らないと見える。前例にこだ わる事岩の如しのお役人様なのにねえ。


14日(水) 最近はコンビニやスーパーに食玩が何種類も並んでいます。食玩自体はずいぶん昔からありましたが、ブームに火を付け たのはチョコエッグでしょうか。

 チョコエッグ自体は海洋堂によるフィギュアの出来の良さがヒットの素だと思いますが、現在 の食玩ブームは、むしろマーケティング戦略の変更によるニッチの拾い出しによるんじゃないかと思ってます。つまり、今まではなるべく多数の人に好まれる物 を作ろうとしていた訳ですが、それを転換して、一定の年齢・性別・嗜好の人を狙い撃ちにして、とにかくその人たちにウケさえすれば、儲けにつながる、と言 う考えで作られていると。

 店に並んでいる食玩を見ると、「こんなの買う人いるのかな〜」と思うものも多々あります が、それは灯台が自分の嗜好を基にしているからそう思うのであって、世の中にはそう言うのを買う人も多々いるのでしょうし、逆に灯台の机の前にある「ウル トラホーク1号」や「ガウォーク」を見て、何でそんなものを、と思う人もまた多いでしょう。

 とは言え、これだけ種類が多くなると、売れずに終わるものも結構あるんでしょうけど。そし て今日もまた、お菓子会社の人は次の食玩のネタに頭を悩ませているのでしょう。


13日(火) 「情報」についてもう少し言うと、情報を集めるのは、能力のある人や組織にとってはそんなに難しい事ではありません (日本政府にその能力があるか、あるいは、そもそも情報の重要性を認識しているかははなはだ疑問ですが)。ただし、情報とは断片的なものであり、しかもそ のほとんどは役に立たないジャンク情報です。そこで、不必要な情報を省き、残った有用な情報を組み合わせる必要があります。

 さて、個人が株でも買うのであれば情報の収集と分析まででOKですが、情報を政治的、戦略 的に使用するのであれば、更に重要な事が残っています。それは、手の内を相手に晒さないこと。分かっていても、相手には分かっていないと思わせる。知らな くても、相手に知っていると思わせる。これがあって、初めて情報が活きるのです。これは、ポーカーを考えればすぐ分ります。

 「複数の情報から、人質は24時間以内に解放される見込み」と大見得を切ったは良いけれ ど、風向きが代わったとたん、「情報はありません」。情報は複数のルートから入って来たのかも知れないけど、出所はアルジャジーラだけで、独自の情報源が 全くない事がバレバレ。今日になって「情報源の隠匿を」とか言い出したけど、最早手遅れ。手の内は全て相手に見られてしまいました。

 昨日も書いたように、正確で重要な情報は十万の軍隊に優ります。十万と言うのは、自衛隊の 総兵力と大差ありません。情報を活用出来ないようでは、百万の軍隊を持ったとしても宝の持ち腐れ、と言うお話でした。


12日(月) 軍隊(戦争)において最も重要なのは、「補給」と「情報」です。しかし帝国陸海軍の時代から、この国ではその事が分 かっていない人が多い様です。イラクに自衛隊を派遣したは良いけど、独自の情報収集網の構築は全く手を抜いて、アルジャジーラだけが頼り、ということが今 回の誘拐事件でバレバレになってしまいました。正確で重要な情報は十万の軍隊に優るんですけど、駐イラク大使が怖がって東京に籠ったきり、ではロクな情報 を集めることも無理でしょうね。
11日(日) 「イノセンス」を見て来ました。どこを切っても濃縮された押井守がドロドロっと流れ出て来るので、好きな人にはたま りませんな。「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」から20年。彼のストーリーテラー&演出家としての1つの到達点ですね。制作費に20億円かけ ただけあって、映像的にもアニメの限界、否映画の限界を極めてるし。

 見てみよう、と思う方は、先に「攻殻機動隊  - Ghost in the Shell- 」を先に見ることをお薦めします。「イノセンス」は一応「- Ghost in the Shell-」の続編なので、見ておかないと登場人物の関係が分らないと思います。


10日(土) オートレースの昨年度の売上げは、前年比13%のマイナスだったそうです。オートは公営競技の中で一番規模が小さ く、レース場は6つ。選手の定員も600人弱しかいません。しかも辞める選手が多く、正月やお盆のように全レース場で同時開催すると、前半のレースは欠車 (オートは本来8車立てですが、選手が足らないと6車立てや7車立てでレースを行います。これを欠車と呼びます)だらけ。川口以外は赤字みたいだし、数年 後にはなくなってるかも知れませんね。
9日(金) イラクで邦人3人が誘拐されました。この時期にイラクに入るのですから、当人たちはそれなりの覚悟は持っていると思 いますが、日本政府に覚悟があるのか、ドタバタの対応を見ているとチト疑わしい。

 危機管理の基本は、「起こり得る最悪の事態を事前に想定し、対処方法を設定しておく」事に あります。対処法が存在しないのであれば、そうした事態が起こらない様にしなくてはなりません。今回の例で言えば、邦人の誘拐は当然想定されるので、その 際の政府としての対処法を事前に決定しておくか、対処できないならば自衛隊の派遣自体を取り止めなければならないのです。

 しかしながら、日本で「危機管理」と言った場合、「対処が容易な事態だけを管理の対象にし て、対処が困難であったり対処不能な事態は起こらない事を祈りながら想定外にしてしまう。このため、こうした事態が運悪く発生した場合、対処法は祈ること のみ」、と言う事が往々にしてあります。

 今回の場合も、政府に出来る事は誘拐犯達が邦人を無事に解放してくれる事を祈るだけでしょ う。きっと今頃、首相官邸内では政府首脳がメッカの方向に向かって、アッラーに祈りを捧げていると思われます。


8日(木) 大塚製薬がオロナミンCのCMに読売の選手を使うのを止めたと言う話は聞いていましたが、実際に新庄がオロナミンの CMに出ているのを見ると、感慨深いものがあります。確かに松井が去った今、出演料に見合うような選手は読売にはいませんが、とは言え長年の読売との仲を 切り捨て、しかも同業他チームの選手を使うとは、日本企業もマーケティングを真面目に考えるようになったんだなあ。

 清原は知名度だけならありますが、清原がニッコリ笑って「オロナミンC」なんて言ったら、 却って売上げが落ちそうですもんね。清原には、ボスコーヒーのCMが似合ってますよ。気弱そうな主人公の胸倉を掴んで「なめとんのか、おんどれ!!」。そ こで主人公がコーヒーをゴクリ。

 ところで、200万も出して東京ドームの年間シートを買ったは良いけれど、ヤフオクで全然 売れず、仕方なく東京ドームまで出張って客に売りつけたら捕まってしまった長野県民がいました。大塚製薬のマーケティングを見習えば良かったのにねえ。


7日(水) 2日に由比を訪れましたが、由比と言えば由井正雪ですね。生家も残ってます。

 ところで、「伊賀の影丸」の「由井正雪の章」は傑作です。機会があれば、ぜひお読み下さ い。伊賀の影丸と言うと、幕府転覆を目論む忍群とそれに対抗する服部半蔵配下の忍群のバトルロイヤルがお約束で、「由井正雪の章」でも最初はそうなのです が、最後に大ドンデン返しがあるんですよね。いや、やっぱり悪役がカッコいい物語は面白い。


6日(火) 昨日から報道ステーションが始まりました。20年続いたNステの最終回と比べるのはあまりに酷だし、ここは古舘の言 う通り1年は様子を見たいと思いますが、言い換えれば「始まったばかりだから」の言い訳が効くのは1年が限度。その猶予期間の間に、果たして独自色が打ち 出せるかどうかが勝負ですね。ともあれ、TVの歴史の中で一時代を画した番組の後釜ってのは、辛いと思います。まあ、それを分かって引き受けている訳です けど。
5日(月) 気温は肌寒いけど、昨日の雨は上がって良い天気。ホテルをチェックアウトして、メルサ地下の赤福でお茶をし、嫁さん と別れて笠松競馬場へ。競馬場での模様はこちら

 名古屋に戻って来たのは14時半くらい。会社へのお土産を買って「こだま」に乗る。


4日(日) 9時起床。2日続きで12時間睡眠か。良く寝た良く寝た。10時にチェックアウトして、小雨降る中を金山駅へ。10 時半に名古屋駅で嫁さんと合流。高島屋を見物し、駅地下で昼食を食べてから、名鉄で岩倉へ。ここで大学時代の友人達と合流。

 岩倉駅から5分程歩くと、五条川と言う幅3mくらいの小川があって、その両岸には1,600本の桜並木があり、名古屋近辺 では有名です。今日はちょうど満開。ただ、天気が雨で気温も寒い。吐く息がかすかに白かったり。ちょっと残念だなあ。桜並木をぶらぶら歩いたあと、桜祭り をやっていたのでその会場へ。大きなテントがあってその周りに模擬店が出ていたので、模擬店でオデンやらビールを買い込み、テントの中の椅子に座って食べ る。正面の舞台では地元の同好会が太鼓の演奏を披露していた。

 さすがに寒いので、一度岩倉駅に戻る。駅前の喫茶店は満員。駅の反対側に出たら、今度は喫茶店がなかった。一応特急停車駅なのに。なの で、犬山に出て、駅裏のヨーカドーの中にある喫茶店でお茶。ケーキが美味でした。

 18時を回り、雨も上がったので喫茶店を出る。この雨で、いくつかの町では車山(これで「やま」と読む)の巡行を止めたみたいだけど、そ れでも提灯に彩られた車山が町の中をゆらゆらと進んできれいでした。その後、名鉄犬山ホテルの周囲の桜を見物。雲間からは十三夜の月が顔を出していまし た。駅前に戻り、居酒屋で少し飲んで解散。皆様お疲れ様でした。また来年も来れるとよいなあ。


3日(土) 8時起床。12時間寝たか。昨夜コンビニで買っておいた朝食を食べて、再び18キップで西へ。名古屋を通り過ごし て、尾張一宮で下車。一宮競輪場へ。そちらの模様はこちら

 尾張一宮に戻って来たのは14時くらい。東海道線の鈍行で、名古屋の1つ先の尾頭橋で降りてWINS名古屋へ。いやあ、当たらんねえ。そ こから歩いて今日のホテルへ。ちょっと休憩した後、「名古屋ドームへ中日戦を見に行くか」と思った所で、18キップが無い事に気がついた。尾頭橋で降りた 時にはあったので、WINSで落としたか。。。 ちょっと鬱。25年旅して来てキップを落とした事は2回あるけど、2度とも戻って来たので、なくしたのは 今回が初めて。

 別にキップも買い直さなくちゃならないし、今日は大人しくしよう。金山駅前のCoCo一番屋でカレーを食べて(一時期、出張で名古屋に 通っていた時期があって、ここは良く寄った)、コンビニで買ったビールを飲みながらナイター中継を見る。20時半には読売が2連敗を決めたので、そこで沈 没。年度末の疲れが抜け切っていないらしく、良く眠れること。



2日(金) 小雨の降る中、東京駅を出発。鈍行を乗り継いで西へ向う。昼過ぎに由比に着いた時には、雨も上がって日が射してい た。駅は町外れなので、東京に戻るように旧東海道を2kmほど戻ると、旧本陣が広重美術館になっている。その近くの店で、まずは腹ごしらえ。桜エビ定食 (左写真)。かき揚げ、刺身、釜揚げ。美味でした。ちょっと量が少ないけどね。その後、広重美術館を見て、再び2kmの道を駅に戻る(駅には、500円で 1日借りられるレンタサイクルがあります)。


広重美術館では、来館記念に浮世絵の摺りの真似っこができます。

 再び鈍行に乗って、浜松に着いたのは16時過ぎ。駅近くのビジネスホテルのチェックインし て、鰻丼の夕食。猛烈に眠くなって来て、20時に沈没。

 蛇足ながら、ビジネスホテルのフロントにも、鰻屋にも、4月に入ったばかりとおぼしきおねいさんがいて、そんな季節なんですねえ。


1日(木) 今日から、消費税の表示方式が外税になりました。「内税より外税の方が分かりやすい」のは認めます が、わざわざ法律作って強制するほどの事とも思えません。これはやはり、消費税増税のための地ならしなんでしょうねえ。

 あと、今まで「150円+税7円=157円」だったものが、外税化で160円になることによるデフレ対策になる、と言う読みもあったんで しょうけど、実際は「税込み150円」になっていて、却ってデフレを促進させたような気がします。
 

 HISから第三セクター「しなの鉄道」に社長として出向し、万年赤字だった同社を償却前とは言え黒字に転換した杉野氏を、埼玉高速鉄道が 社長に迎えるそうです。

 同氏の手腕は認めますが、埼玉高速鉄道とはいかにもタマが割る過ぎる。一応、開業前の予想では、開業10年くらいで単年度黒字と言うこと になっていましたが、開業してみればお客は予想の半分。予想の前提になっていた定期的な運賃値上げも、このデフレの世の中で、国内の鉄道でトップクラスの 高い運賃をこれ以上上げるなんて不可能。

 もともと同鉄道はW杯会場の埼玉スタジアムへの観客輸送のために作られた物ですが、サッカーの試合やイベントなんて毎日ある訳でもない し、それ以外の日は沿線人口の少ないローカル線でしかありません。ほとんどが地下なので、建設費だけは莫大にかかって、ゼネコンは潤いましたけどね。

 折角の氏の経歴にキズをつけるだけのような気がします。