徒 然 草  2000年5月
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31日(水) 狼少 年ケン・レインボー戦隊ロビン・ジャイアントロボ
 灯台が小学生低学年の頃、夏休みの1日はテレビマンガ(まだアニメと言う言葉はなかった)から始まり ました。で、そこでいつも流れていたのが、この3作品です。「ワーオワーオワオー(ケン)」「エネルギー噴射(ロビン)」「輝く太陽(ロボ)」。まだクー ラーなんて贅沢品だった時代、開け放たれた窓からは、東京の街中でも蝉時雨が流れていました。蝉時雨に主題歌が合わさって、さあ、今日も又暑い1日が始ま る。
思い出の歌

30日(火) 風来 坊(ふきのとう)
 詳しい経緯は「利尻島記」に書きましたが、海抜 0m から 1,721m の山頂を極め、翌日は風雨の中島一周 53.7km を完歩し・・・。利尻での日々は灯台のこれまでの人生の中で、最もハードで最も愉快な日々でした。心から「旅をして良かった」と思いました。

 その、完歩から帰って来た勇者達を迎える歌が「風来坊」です。この歌で出迎えてもらう、ただそのため に、旅人達は遠い遠いゴール、−今立っているこの場所−を目指して歩き出すのです。この歌を聴くと、あの利尻の秋の風が吹き抜けて行きます。

思い出の歌

29日(月) 午前中、病院に寄ってから会社へ。病院はやっぱり半日仕事 ですね。痛みは取れましたが、扁桃腺はまだ少し赤いと言う事で、100mlの点滴を1本。

ヘイヘイヘイ(高石ともや&ナターシャセブン)
 灯台が働いていた頃、帯広ユースのBGMはナターシャセブンが中心でした。朝早くから夜遅くまでコマ ネズミの様に働きながらも、多くの旅人達と触れ合えた、良い時でした。そうした時にバックに流れていたのがこの曲です。まだ、夢を食って生きていた時代で す。

思い出の歌

28日(日) 昨日は何だかんだで38度位の熱が続いていたので、1日中 ウツラウツラでした。だもんで夜眠れるかな、と思っていたのですが、結構眠れるもんですね。

 朝起きたのが9時過ぎ。熱は36度8分。痛みも少し軽くなって来たし、よしよし。玉子豆腐を食べて薬を飲み、シャワー浴びて着替えて病院へ。 多分もう大丈夫とは思うけど、直り際が肝心だし。昨日と同様、点滴を受ける。1時間ウツラウツラ。終わって少し頭痛。直接抗生物質を静脈に入れてるからか なあ。やっぱり、今日のTOEICは無理だな。

 点滴でカロリーは取っているけれど、何も食べないのも良くないので、コンビニでカステラとヨーグルトを買って帰る。雨の予報はどこかに行って しまったみたいで、薄日が射して蒸し暑い。いつもの道なのにいつもより遠く感じるのは気のせい? ダービーは良い勝負でした。馬券を買えなかったのが残 念。

チェリー(スピッツ)
 スピッツの曲って全く知らない訳じゃないけど、でもちゃんと聞いたことないなあ。当時言い寄っていた T嬢とカラオケに行った時にそう言ったら、後日スピッツの曲を集めたテープが送られてきました。その中で一番気に入ったのがこの曲です。

 当時は鬱でドツボにはまっていた時期だったので、彼女の笑顔とこの曲が最後の支えでした。 えっ、その後彼女とはどうなったかって? いや、別に今でも言い寄っているのですが、相変わらずガードが堅くて(自爆)。

思い出の歌

27日(土) やっぱり病院へ行った方が良いかな。まあ、抗生物質もらっ てのめば、扁桃腺もすぐ治るやろ。と言う事で病院へ。最初、内科の先生に見てもらった所、パッと見ただけで、「うわっ、典型的な急性扁桃腺炎。ここまで重 症なのは久しぶりに見た。僕が開業医なら処方するけど、ここには専門の先生がいるんだから、耳鼻科で見てもらった方いいよ。カルテ回すから。あと、脅す訳 じゃないけど、これから40度位の熱が出ると思うよ。」

 耳鼻科に行くと、こっちも一目見るなり、「これから熱が出て、ノドも腫れて呼吸が苦しくなるでしょう。今日は点滴打って、薬出します。明日も 点滴に来て下さい。月曜日は必ず来院して下さい。飲み込むと痛いので食べれないのは仕方ないですが、水分は取って下さい。1日にポカリの2リットルを必ず 1本」。おお、そんな重症だったのか。

 ともあれ、点滴を受ける。実は灯台に取っては初めての点滴で、「疲れた時に点滴受けると体がすぅっと軽くなる」と聞いていたので期待していた のに、そんな事はありませんでした。それから、場所がなくて外科の救急治療室で受けてたのですが、点滴中に2回も急患が入り、その度にベットに寝たままガ ラガラ移動。

 本当なら、今日は会社のK氏宅で松坂牛のBBQに出ていたはずなのになあ。


26日(金) 今日は有休。昨日の 23時過ぎにアパートを出て、実家についたのは0時過ぎ。そのままZZZ。

 昼前、保険屋さんに来てもらって、車の保険の更新。今年は車検なので、自賠責もかかる。お、お金が。。。 ここの保険屋さんには親父の代から 世話になっているので、そうそう家の近くの保険屋に変える訳にもいかないんですよねえ。その後、少し昼寝。体調悪い。扁桃腺痛いし。

 15時過ぎに実家を出て、アパートへ。さらに浜松町で村長と合流して、のんのんが所属する吹奏楽団の定期演奏会を聴く。アマチュアバンドと 思っていたら、これが上手い上手い。ここまで達するには、余暇の全てを捧げないとダメだろうなあ。演奏会後、村長は仕事に戻る。灯台はアパートへ。


25日(木) 今日、会社の10年史 が社員に配られました。ここまで当たり障りのない事だけ書くかね、と言う代物。こう言う所でその会社の経営陣の「器」が判断される、事に気付いていらっ しゃらない。

One Night in Heaven(WINK)
 日本人は、やたらと書かれていることを真に受ける、逆に言えば直接的に書いてない事は読みとれない人 種だと灯台は思っています。だから、日本人の書く歌詞もえらく即物的な物が多いのですが、この曲は本当に幻想的で、ちりばめられた言葉の奥底に様々な想い が見え隠れする、傑作だと思います。まあ、わからん人(日本人の9割はそうでしょうが)にはサッパリ分からない曲でしょうけれど。

 この曲を聞くと、89年の12月に会社の人達と若狭の方に出かけた事を思い出します。美味しい 物を沢山食べて、あれこれ語り明かして、1泊2日、楽しい旅行でした。その3ヶ月後には出向で大阪から千葉へと移って、灯台にとってはドタバタの90年代 が始まるのです。

思い出の歌

24日(水) 今日は午後から福生でお仕事だったので、昼飯は立川の駅ビ ルで。今日は中華ではなく、「ブラームス」という洋食屋でホタテのシチュー。たまには都会で美味しいもの食べるのも良いですねえ(笑)。

 森内閣の支持率が20%とか。5人組の方々は「こんなはずでは」でしょうね。小渕前首相の病気を神風として、弔い合戦を旗印に大平首相時の夢 よもう一度、だったのでしょうけど、人の噂も75日。倒れてから投票日まで3ヶ月は長過ぎですね。しかも、バスジャック事件を筆頭に衝撃的な事件が相次 ぎ、小渕首相の一件は既に過去になってしまいましたし。まあ、支持率低下の最大の原因は自身の「神の国発言」ですから、自業自得でもありますが。まだ投票 日まで1ヶ月あるし、まだまだ二転三転あるでしょう。

はっぴぃぱらだいす
 「究極超人あ〜る」というマンガのイメージアルバムに含まれている曲です。1曲がサザエさん1話より 長いという掟破りの曲。1曲の中にサンバと加山雄三とイタリアオペラと怪傑ハリマオとロシア民謡が入っているという、無茶苦茶な曲です。さすがコミックソ ングの帝王、山本正之ですね。

 最初は作者が冗談で、「マンガのテーマソングを作ろう」と言ったら、いつの間にか話が大きく なってイメージアルバムになってしまい、しかもそれが売れに売れて「2」「ドラマ編」、さらにオリジナルアニメが出来てそのBGM集もCD化されてしまっ たそうです。ちなみに「2」には「帰ってきてしまったはっぴぃぱらだいす」が、「アニメBGM集」には「はっぴぃぱらだいすの逆襲」が入っています。逆襲 は15分くらいあったような。究極のコミックソングですね。

 ちょうど就職した頃に「2」が発売されたのですが、見知らぬ大阪の街に移って、しかも会社から 寮が遠くて、毎日疲れ果てて寮の自室に戻ると「あ〜る」の「1」と「2」を聴いて無理矢理元気を掘り起こしていた事を思い出します。
 

思い出の歌

23日(火) 風邪気味でのどが痛い。NHKの「プロジェクトX」で、 「しんかい6500」を造ったM重工のK戸造船所が出ていました。あそこは宇宙をやっている関係で、灯台も何度か行った事があるので、ふうむと思いながら 見てました。途中、「組み上げて重さを測ったら150kgも重くて、バラして削って組み直した」あたりがサラっと紹介されてましたが、「○○さんの頼み じゃ断れねえ」みたいな簡単な話ではなかったはず。強度計算をやり直して、設計図を全部描き直して、ですからねえ。

微笑みがえし(キャンディーズ)
 キャンディーズが解散したのは、高校1年でしたか2年でしたか。ともあれ所属していた天文部にファン の奴が多かった関係で、解散前後は部室に行くとキャンディーズがエンドレスで流れていました。そんな中で、毎日トランプしたり、日が暮れると望遠鏡持ち出 して星を見たりしていました。灯台にとってキャンディーズは、まだ、未来は何もかもが自分の手の中にあった時代の象徴です。

思い出の歌

22日(月) 灯台はあんまり歌謡曲やポップスを積極的に聞いたりして来 なかったんですよね。女性アイドル(グループ)のコンサートとか行った事ないし(クラシックはずいぶん行ったけど)。ただ、その時その時の流行歌はTVや ラジオから頻繁に流れてくるので、自然とメロディを覚えてしまいますし、その歌を聞くとその曲が流行っていた頃の思い出がフラッシュバックのように思い出 されることがあります。これからしばらく、そうした灯台にとっての思い出の歌をご紹介しましょう。

大都会(クリスタルキング)、ウェディングベル(シュガー)
 ウチの中学高校(6年制だった)は学園祭(記念祭)が毎年GWでした。高3の最後の記念祭、執行委員 なんかもやったので、春休みから毎日、遅くまで残って仕事をしていました。そんな頃に流行っていたのがこの2曲です。今思うと、どっちも色物系ですね (笑)。

 この季節は、昼間は暑くても日が暮れると急に温度が下がって湿度が高くなり、空気がしっとりと した独特の香りと肌触りを持ちます。そんな中で、遅くまでノコギリやトンカチをふるったり、出前のラーメンを食べたり、あれやこれやと議論をしたり。そん な中でこの2曲が流れていました。大学入った頃は、春の風が吹くと「ああ、記念祭の季節だ」と体が反応していましたが、今ではそれもなくなってしまいまし た。ちょっと寂しいですね。

思い出の歌

21日(日) 目が覚めたのは10時。ああ、良く寝た。さて、どうしよう かなあ。外は良い天気で暑くなりそうだし、昨日の雨で靴下やハンカチが乾き切ってないし。まあ、帰るか。大阪駅前で割引きキップを買って、新大阪から新幹 線。結構空いてました。お昼ご飯は鯖の棒鮨。美味しかった。錦糸町寄ってアパートに戻る。クリーニングを取って来て、洗濯して、夜は健康ランド。
20日(土) 大阪駅着は7時15 分。あ〜よく寝た。快速で舞子へ。舞子駅は頭の上を明石海峡大橋が通っています。で、改札を出て矢印に従いエスカレーターを上へ上へ。さらに階段を登ると (エレベーターもありますが)橋の上に出て、そこに淡路島・四国方面行きのバス停があります。ちょうど花博会場行きのバスが停まっていました。

 ほどなく発車。一気に橋を渡って会場へ。15分もかかりませんでした。更に高速を進んで行けば、鳴門海峡大橋を経て徳島です。ただ、明石大橋 だけでも片道2,500円ではこの先どこまで交通量が見込めるか。さて、会場には8時半に着いたものの、開場は9時半。しばらくお土産屋を冷やかして時間 つぶし。ひっきりなしに観光バスがつき、自家用車用駐車場からも人がやってきて、メインゲート前には人の列。こちらは「ゲートが開いてからでいいや」と高 みの見物。ただ、今日は曇りで涼しいから問題ありませんが、真夏になったらどうなるのやら。メインゲート前には日陰は全くないし。

 9時半に開場。10分ほどかかって場内へ。まだ朝食を食べてなかったので、とりあえずカレー(アジアの料理を食べさせる店が集まった一角があ りました)とビール。涼しせいかビールが回って参りました。それから場内をふらふら。面白かったのは国際ゾーンかな。「各国の庭園を再現」は眉唾くさいけ ど、そこに植わっているのはその国の植物なので、日本の植生を見なれた目には珍しい。特に西オーストラリア州の植物は、花も葉も「へえぇぇぇ」みたいな感 じで、思わず旅心をそそられてしまいました。

 さて、場内は本当に花が咲き乱れています。見た目分からないようにはしていますが、ビニールのポットで栽培したものを持って来て植えているの で、花が終われば次のポットに簡単に代えられます。ただこれも、真夏は枯らさないようにするのが大変だよなあ(園内に植わっている木には、枯れたものもち らほら)。担当者は絶対に胃潰瘍になるに違いない。

 全体を回って、大温室(中は大した事ない)とパビリオン(2つだけ)を見て、結構疲れました。天気も、昼過ぎから晴れて暑かったし。トルコの ビールで休憩して(今度は暑かったせいか回らなかった)、15時過ぎに会場を後に。バスはちょうど良いタイミングだったのですが、駐車場を出るのに時間を 食った。舞子からJRで三ノ宮に出て、阪神で梅田へ。御堂筋線に乗り換えて淀屋橋に出て、ホテルに着いたのが17時過ぎ。ここはインターネットで見つけた のですが、土日は5,500円。周囲は銀行・証券ばかりなので、確かに週末は空いてそう。割り引きしても稼働率を、ですか。シャワーを浴びてからホテルを 出る。向いは料亭なのですが、黒塗りのプレジデントが横付けに。しかも、NHKが取材している。何だろう?(翌日の新聞を見たらここは「吉兆」で、森首相 が大阪府知事や簡裁財界人と会談してたらしい)。

 梅田でよしちゃんと合流。さらに、H君も大阪に来ているとかで、結局お初天神の所で北海道の旅関係者4人で飲む。せっちゃんにも電話が通じた のですが、「近くまで来たけど場所が良く分からない」「じゃあ、迎えに行くよ」と外へ出ようとすると、お店の人が「雨降ってますよ」と傘を貸してくれた。 で、外へ出たらまるで台風でも来たかのようなバケツをひっくり返したような雨と強風。傘を持っていても下半身はズブ濡れになってしまいました。傘を持って なかったせっちゃんは、道1つ横断しただけなのに全身ズブ濡れ。ついてなかったねえ。

 でも、23時過ぎまで、食べて飲んで語り合って、良い1日でした。


19日(金) 朝、駅に行ったら「常 磐線快速は松戸で人身事故。運転見合わせ中」。最近多いなあ。14日も上野に出ようと思ったら、「南千住で特急が人身事故」だったし。

 できれば1回家に戻りたいなあと思いつつも、仕事が終わらない。まあ、いいか。こんなこともあろうかと、着替えは鞄に入れておいたから。カメ ラが入ってないけど。シャトルが無事に上がったと言う事で、我が社としては珍しくビールを買って来ての飲み会が始まり、仕事もカタが付いたので350ml を2本開けてから21時20分の特急に乗る。東京駅に着いたのは22時半でした。しばらく待って23時発の寝台急行「銀河」乗車。寝台も久しぶりだなあ。 車内はガラガラ。カタタンカタタンと言う音が子守唄。


18日(木) 最近は「車内では携帯 をオフにしましょう」と言うポスターが電車の中に張られています。JR東日本では、混雑した車内での携帯電話の使用を禁止したとか。しかし、例えば朝の新 宿駅で、山の手線がホームに入って来るとお客が一斉に携帯を取り出してオフにするという光景は見られません。

その理由として考えられるのは、

1.面倒。
2.携帯を持っているかどうかは外からは判断できないから、知らない顔してれば大丈夫。
3.乗車中に重要な電話が掛かってきたら大変。
4.ペースメーカー(PM)をしている人が周囲にいるかどうか、分からない。
  している人が1人もいないのにスイッチをオフにするのは馬鹿らしい。
5.携帯がPMに悪影響を及ぼすのか、ハッキリ分かっていない。

と言うところでしょうか。今の所、携帯の電波がペースメーカーに悪影響を及ぼしたと言う明確なデータは、灯台の知る限りないはずです。それが5 ですが、このため1〜3みたいな言い訳が出てくるのだろうと思います。ただ、証明されたとしても、やはり4の様な人は残るでしょう。

 PMを使用している人にとってPMは命綱ですが、だからと言って規則を振り回しても人は動きません。やはり弱冷房車同様、携帯不使用車を作っ て、その車両内はジャミングをかけるのが正解なんじゃないかと思います。もちろん、その費用は携帯の会社に出させて。


17日(水) 灯台は極度の暑がり。 5月に入ってからはワイシャツだけで上着はなしです。昨日は暑かったので、「そろそろ半袖でも良いかな」と半袖のワイシャツで会社に行ったら、今日は小雨 まじりの天気で寒かった。気分は木枯らし舞う12月でした。
16日(火) このページでは、あん まり仕事ネタは取り上げたくないのですが・・・。

 今日はもう、一気にやる気を無くしてしまいました。出来ない事を実現しようと時間やエネルギーを浪費するくらいなら、昼寝でもしてた方がいい よなあ。灯台は有言実行がモットーなので、口にした以上は実現してみせるけど、逆に出来もしないことを「がんばります!」などと言う趣味はないし。

 実際に出来なければみんなが困るんだららさ。灯台の描いた絵を却下するのは構わないけど、それならそれで、「灯台みたいな事をしなくても、 ちゃんと実現してご覧にいれる」とゆ〜よ〜な優秀な人を代わりにアサインして欲しいよなあ。灯台は自分のポジションに対するこだわりは一切ないし、代われ というならいつでも交代するよ。


15日(月) 昨日はウチの会社の創 立記念日でした。本来休みなんですが、日曜と重なってしまったので・・・。今日は創立10周年記念式典。まあ、社長のありがたいお言葉を聞いたのと、夜に 会議室でビールと出前のピザ&寿司で懇親会やった程度ですが。さらに10年後、この会社はどうなっているんでしょうね。

 以下は参院議院 簗瀬 進氏のメーリングリストからの抜粋です。国債残高364兆円は小渕氏の置き土産ですが、「国債を120兆円も増やしな がらGDPが9兆円も減っている」のか、「赤字国際を120兆円も発行して下支えしたから9兆円のマイナスで済んだ」のかは、見る人の判断でしょう。た だ、この国の1年間の税収は40兆円弱しかなく、景気が回復してGDPが2%成長になったとしても、それによる増収効果は2〜3兆円しかない事は知ってお く必要があると思います。

 (項目)     (現在)   (4年前)   (増減)
1 GDP     495.2兆円  504.4兆円    ▲9.2兆円
2 GDP成長率   −0.4%     3.0%         ▲3.4%
3 国地方の借金  645兆円   449兆円      △196兆円
4 国債残高    364兆円   244兆円     △120兆円


14日(日) 昨年末に友人に頼まれ て宇宙開発企業への就職を希望する学生さんと話をしましたが、先日そのうちのO君から電話があって、今日会ってウチの会社の話をしてきました。

 しかし、上野で待ち合わせたのが13時で終わったのが18時半。ウチの会社についてそんなに聞く事があるのかねえ(笑)。まあ、今年の就職戦 線も厳しいみたいで、色々と不安なんでしょうね。

  話をしている最中ヘリがうるさかったのですが、小渕首相の一件ですかね。


13日(土) 上野の森美術館で「山 田かまち」展を見て来ました。彼は1960年生まれ。17歳の誕生日の直後、エレキギターの練習中に感電死しますが、幼い頃より絵や詩、音楽の才能を示し て来たことで、短い人生の間に多くの作品を遺しています。

 彼の作品群は、不合理に満ちたこの社会この世界に対して、純粋な魂が発した叫びであります。確かに、彼は「天才」と呼ばれる人々の1人であり ましょう。時間があれば見に行かれる事をお薦めします(6月1日まで)。

 ただし、彼があと10年生き長らえていればさらなる高みにたどり着いたかどうかは灯台には分かりません。9歳や14歳や17歳の彼が発した叫 びは、その年齢を思えば刮目に値するものではあります。しかし、もし40歳や50歳の人間が同じ作品を生み出せば、世間は冷笑する代物でもあります。

 例えどんなに不合理であるにせよ、この社会は存在するのです。社会と関係を絶って生きてゆく事はできません。それを改革するにせよ、従属する にせよ、利用するにせよ、何らかのスタンスを持って社会と繋がって行かねばなりません。

 彼が死んだ時、彼はまだ高校生でした。長じて親の庇護下から離れて一人で社会と対峙し、生きる糧を受領するにせよ略奪するにせよ社会から手に 入れなければならなくなった時、彼の芸術がどうなったか。彼の純粋さゆえに破綻をきたすように灯台には見えました。彼が夭折した事は、彼の人生にとっては 悲しむべき事ですが、彼の芸術にとっては幸運だったのかも知れません。

 「三つで神童、十(とお)で天才、二十歳(はたち)過ぎればただの人」とは良く言われる事です。人間、老成する人もいれば早熟な人もいます。 十歳にして二十歳並の事を行う少年はまま見受けられますが、多くはそこがピークです。そこで進歩が止まってしまえば、二十歳で後続に吸収されます。彼がピ カソの様に常に常に登り続けた天才と比肩できたのか。詮方なき議論ではありますが。
 

 話は変わりますが、秋田文庫(マンガです)から、花郁悠紀子(かいゆきこ)の珠玉の作品群が復刻されています。1980年に26歳で 逝った彼女が活躍したのは僅かに4年間ですが、この間に素晴らしいファンタジィを遺してくれました。ぜひ、お手元に。


12日(金) あれは高校2年の夏、 1人で東北を3週間ばかり旅していた時の事です。弘前のお城の裏手に「寺町」という、文字通り古いお寺が並んでいる一角がありまして、そこでとあるお寺の 中をのぞき込んでいたら坊さんと目があって「まあ入れ」。ここは棟方志功に縁があるとかで、彼の代表作の「釈迦十大弟子」の版画なんかも見せてもらったの はいいんですが、坊さんに「お前の宗教は何だ?」と問われて「いや、無神論です」と答えたらこっぴどく説教(仏教で言うところの「説教」です。怒られた訳 ではない)を食いまして、一言も反論できなかった自分が情けなかった。

 以後何年か、宗教とは何か、科学とは何か、存在とは何か、ずいぶん自問自答したように思います。そして灯台の結論としては、神は存在しない、 と言うことです。この地球上や宇宙に神など存在しません。あるとすれば、信じる人の心の中に(だから、人類が滅亡してしまえば、神もまた滅びます)。当た り前のことなのですが、でも、それをうたった聖典がないというのが宗教の本質をついていますね。

 山岳信仰みたいな原始宗教に連なる宗教はちょっと違いますが、中世以降の宗教は、絶対にして無謬な神様の存在を前提としていますから、信者は 教典や教祖の言葉を信じ実行することを求められます。これは逆に言えば自らの思考や判断力を放棄することですから、信者になってしまうと楽と言えば非常に 楽なんですね。しかも、慣れてしまうと他人(=神様)の考えを受け売りしているにも関わらず、自分で考え実行しているような錯覚に陥って、自分が偉くなっ たような気分になる。

 大学入学直後でしたか、どっかの新興宗教の兄ちゃんのオルグにあいました。ちょうどヒマだったのでつき合ってあげて、彼が言うこと1つ1つに 具体的な例を挙げて否定してあげました。そしたら最後には絶句してしまいまして。そりゃそうでしょう。彼は教えられた事しか知らないのですから。教えられ たことと自分の知識を融合して1つの体系を作っているわけではないので、想定問答にない反論をされると答えようがないのです(にもかかわらず、本人は全て を分かったつもりになっているので始末が悪い)。それだけならいいんですが、怒り出しちゃいましてね。オレに怒るなよ。全てはアンタとアンタの神様が悪い んだからさ(笑)。

 もちろん信仰の自由を否定するつもりはありませんが、灯台個人は神様を盲信する事はないぞ、と言うのが結論です。

 ただ、哲学及び法律として見た場合、「宗教」は確かに興味深いものがあります。当然の事ながら、各宗教はそれが成立した時代、気候風土、社会 体制等を反映しています。例えば旧約聖書には、古代ユダヤ人の遊牧生活が色濃く反映されています。今日の日本の新興宗教が「現世利益」、つまり病気が直る とか幸福になれるとかを全面に押し出すのも、日本が豊かだからでしょう。中世日本で、現世では幸福になれないから「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽往生 (=死語の幸福)を願う浄土宗(だっけ?)が流行したのと対極ですね。イスラム教で妻帯が4人まで許されるのも、聖戦(ジハード)で死んだ男の妻を救うた めですし。

 ただ、時間が経つとそうした法の精神ならぬ「宗教の精神」が消え去って、教典の一語一句が一人歩きするのが問題なのです。しかも、法律なら時 代に合わせて変えることもできますが、宗教の場合は神の無謬姓が前提にあるので、時代が変わっても教典がいじれない。「エホバの証人」の輸血拒否もその一 例です。

 ま、宗教については語り出すときりがないので、この辺で。


11日(木) 赤い糸伝説ってありま すよね。結婚する相手とは、目に見えない赤い糸で結ばれているって奴。

 これは昔のマンガにあったギャグですが、「赤い糸は実は1本ではない。1等賞もあれば2等賞もあるし、前後賞もあれば組み違い賞もある。」こ ういうセンスのあるギャグって好きだなあ。さて、あなたの配偶者に繋がっているのは1等? 2等?


10日(水) 法の華の主催者が逮捕 されました。もっとも、灯台に言わせれば宗教なんてやってることは皆同じですけどね。程度の差があるだけで。あとはどれだけ信者を盲信させ得るか。鰯の頭 も信心からですから。その点では法の華は弱かったと言う事でしょう。

 ちょっと追加すると、宗教と科学の差は証明が可能かどうか、です。科学と言うのは「推論と実験による証明」の積み重ねなのに対して、宗教では 神様の存在は証明できません。ただ、信じるのみ。キリスト教なんか、御丁寧に「神を試してはならない」と聖書に書いてあるもんねえ。逆に、信じてしまえば エホバもアッラーも大日如来もシヴァも麻原ショーコーも鰯の頭も皆有り難い、と言う訳です。

 まあ、一応サイエンスに分類されている事でも、証明不可能な事もあります。例えば、宇宙がどうやって出来たか。実際に宇宙をもう1つ作って見 るのは無理ですからねえ。だから宇宙論はウサン臭くて面白い、と。同様に進化論もね(この2つ、「学」じゃなくて「論」がついてるのは偶然ではありませ ん)。


9日(火) とりあえず、これでさお り女王様にムチでビシバシされずに済むかな。
8日(月) ウチの会社には Love Virus は来ませんでした。ちょっと期待してたんですけど。

 しかし、今どき Outlook Express なんかを使っている人間がこんなに多いとは思わなんだ。


7日(日) 今日でGWもおしまい。 楽しい時間はあっという間ですねえ。
6日(土) 8時に朝食。今日で楽し かった乗鞍の日々も終わりやねえ。天気は曇り。部屋に戻って布団を上げ、えったんの命令一下、毛布の当て布を外し、荷物をまとめてさつ木荘を後にする。 ぐぅさん夫妻は少し先に出発していました。Mark IIX 夫妻はコパンのピザやソーセージを求めて昼頃までいるとか。さつ木荘付近はまだ木々も芽吹いていませんが、標高を下げて奈川渡ダム辺りまでくると桜が満 開。良い季節ですね。3日に満開だった島々はそろそろ葉桜でした。

 中央道は渋滞の予想が出ていたので(実は渋滞しなかったのですが)北回り。梓川べりの抜け道を通って松本トンネルを抜け、さらに三才山トンネ ルを通って東部湯の丸ICへ。このルートは結構使えますね。灯台の場合、中央道を使うと都心を横断しなければならないのですが、上信越道回りだと都心を通 過しなくていいし。

 藤岡ICに新設された藤岡PA「ららん藤岡」で休憩。すごい名前だなあ。ここは新しく出来た所で、食堂(回転寿司や焼肉屋もある)や地元の名 産品/産直品の販売所、さらには観覧車や遊具にコンビニまであります。おまけに一般道につながっている駐車場があるとはいえ、お酒売ってもいいんかいな あ。ここで昨日コパンで買ったパンとぐぅさんにもらったハウスモモの昼食。モモは甘かったです。

 関越道は新座で渋滞3kmというので、本庄児玉ICで高速を降りて国道17号へ。でも、この渋滞は結局伸びなかったんですけどね。熊谷で国道 125号に入り、加須ICで東北道へ。アパートに帰り着いたのは15時半。中山へ出かけて明日のNHKマイルカップの馬券を少々。


5日(金) 7時半に朝食。真澄は今 日も乗鞍に挑むとて8時半に出発。今日は高気圧が本州上空にあるので、天気も良いし風もないんじゃないかな。ぐぅさん達とは11時に出発としたのでまだ時 間があるしと近所をお散歩。歩くと、車からでは決して見えないものが見えて来るんですよね。土筆とか、ふきのとうとか(もう、花が開いちゃってるけど)。 ぷらぷらとお散歩して、コパンでパン買って、番所大滝見て、一旦さつ木荘へ帰る。

 11時に出発。スーパーで買い出ししてから三本滝レストハウスへ。駐車スペースが結構混んでたけど、幸い車が出たのでそこへ入る。リフトの所のコンク リートの上にシートを敷いて、焼肉の始まり。山用のコンロの上に山用のフライパンを置いて、ビールを傾けつつカルビ、タン、ソーセージ、アスパラ(冷 凍)、キャベツ、ピーマンを焼く。周囲は一面の雪だけど、天気は良いし、風もないし、とても暖か。いやあ、幸せやねえ。ゲレンデでは何組かの親子連れが、 シートを使ってソリ遊び。変なテーマパークで散財するよりは、親に取っても子供に取ってもこっちの方が幸せなんじゃないかな。今頃真澄は、ゼイゼイ言いな がら急斜面をよじ登っているんだろう。それもまた、幸せではある。

 焼肉を終えて、締めはヤキソバ。ああ、お腹一杯。ガスボンベの残りが少なくて大丈夫かなぁと思ってたのですが、何とか持ってくれました。腹ご なしにゲレンデの上に出て、写真を撮ったりしてしばし時間を過ごしました。

 13時半頃、三本滝レストハウスを後にしてさつ木荘へ帰着。まだ時間も早いし、再び車を出してビジターセンターや土産屋で時間をウロウロ。 16時頃にさつ木荘に戻ると真澄が帰っていました。山頂(3,026m)まで行ったとか。お疲れさま。Mark IIX 夫妻も到着して、これで全員揃いました。夕食のキムチ鍋には、行者ニンニクが入っていました(注:さつ木荘の場合、1泊目の人は鴨鍋、2泊目の人はチーズ フォンデュなので、キムチ鍋は灯台&真澄のみ)。昨夜、行者ニンニクを食べた事がないと言ったので、reiko さんがわざわざ摘んで来てくれた模様。多謝!!

 夕食後はを部屋でワイン会。今日のメインは真澄が持って来た88年オーストリア産のアイスワインなのですが・・・ 4年位家に置きっぱなし だったとかで色が茶色(本当は薄黄色)になっていて、匂いもちょっとコゲ臭い。夏の高温で参加してしまったみたい。ちゃんと保存しとけば(ハーフボトル で)2万はする高級ワインだけに勿体無い。まあ、それなりには飲めましたが。

 19時半頃から始めて、途中 reiko さんも加わり23時半頃お開き。露天風呂に入ってから就寝。今夜も星がきれいでした。結構暗い流星が飛んでました。


4日(木) 7時半に朝食。荷物を 作って8時半出発。三本滝レストハウス(標高1800m)に着いたのが9時。車を置いて、さて登るか。いきなり「かもしかゲレンデ」の150mの急登。息 も絶え絶えでどうなることかと思いましたが、体も暖まったかここから先は楽になりました。急登と緩斜面を繰り返しながら、少しずつ高度を上げて行きます。 元気な真澄には先に行ってもらい、こちらは休憩を取りながら。頭の上は晴れているのですが、山頂は雲の中。この辺が悩ましい。

 11時40分頃、急斜面を登り切って標高2400mへ。風も強くて寒くなって来たし、ここらで引き返すか。ブレードを履いて下山開始。せっかく登ったの だしと、写真を撮りながらゆっくりゆっくり下る。三本滝に戻って来たのは12時半。

 一旦さつ木荘に戻って、昨日買っておいたパンの昼食。時間もあるしと再び外出して、水芭蕉、一ノ瀬、いがやレクリエーションランドをうろう ろ。

 さつ木荘に戻ってお風呂。ぐぅさん夫婦も到着していました。ほどなく真澄も帰着。肩の小屋(2700m)まで登ったものの、風とガスに敗退し たとかご苦労様。夕食後はワイン会。さらに、寝る前に星空の露天風呂。流星1こ見た。


3日(水) 目が覚めたら6時。あ りゃあ。渋滞は18kmに伸びていました。まあ、しゃあない。1時間ちょっとで渋滞を抜け、佐久IC周辺は桃の花がきれい。東部湯の丸SAに着いたのは8 時。天ぷらうどんの朝食。携帯が鳴って、電話の向こうは真澄。今諏訪湖SAとか。大町辺りで落ち合う事にして、車を発進。更埴ICで降りて、オリンピック 道路を西へ。雲があって、北アルプスの眺めがイマイチなのが残念でした。ただ、沿道は桜がきれいでした。町には人が植えた桜、町を離れれば自生の山桜。良 い季節ですねえ。大町駅前着は11時。

 ほどなく真澄も到着。まずは「塩の道博物館」へ。結構好きなんですよ。こーゆーの。その後、大町名物「ソースカツ丼」の昼食。一応「元祖」の 店で食べたのですが、カツが薄かった。まあ、安いですけどね(800円)。それから駅前の酒屋でワインを1本。酵母が生きているので、流通ルートに乗せら れないという幻のワイン(?)を味見させてもらいましたが、日本酒ですね。さっぱりしているけど、ワインらしいコクは皆無。

 木崎湖湖畔の「ゆ〜ぷる木崎湖」に移動してお風呂。広い露天風呂が気持ち良かった。それから1時間ほど昼寝。

 16時にゆ〜ぷるを出て乗鞍へ。途中、島々辺りは桜が満開できれいでした。さつ木荘着は18時。お土産のPerformaを降ろし、夕食。ふ う、お腹いっぱい。食後は友人のGTが先日さつ木荘に立ち寄った際に置いて行ってくれたウィスキーを舐める。今朝3時半に家を出て来たと言う真澄は眠そ う。布団に潜った真澄を横目に露天風呂へ。電気を消して入る。今日は星がきれい。明日は晴れるかな。


2日(火) 上野・芸大美術館の「日 本画の百年」展を見て来ました。たまには日本画も良いですね。先日重文に指定された「序の舞」も出展されていました。ただまあ、それなりに選りすぐっては いるのでしょうが、見るに値するのは大甘に見積もってもせいぜい1/3くらいかなあ。音楽でも絵画でも、およそ芸術と言うのは生み出される作品のほとんど は駄作で、その中に含まれる極く少数の傑作が時間の選別を経て生き残る訳ですが、日本画の場合、歴史も裾野も貧弱ですからねえ。明治の頃、働かずに日本画 を描いていても食うに困らない人間がどれだけいたか。今日で言えば、画才のある人間は日本画なんかに進みませんし。マンガ家かアニメーターかイラストレー ターかでしょう。この貧弱な底辺ではね。

 その後、国立科学博物館の「世界を駆けた日本の車」展を見たのですが。。。 要は科博に眠っていた、日本で生産された第一号車を復元・整備し たのが目玉なんですが、それでこのタイトルはないだろう、ですね。一応、ここを視るには400円余分に取るんだし。看板に偽りあり、でした。

 さらに、船橋競馬場へも足を伸ばしました。その模様はこちら

 20時にアパート発。常磐道を三郷まで来たら、首都高6号線は環状線まで渋滞していて通過に1時間以上とか。外環へハンドルを切れば、こちら も川口西と大泉で渋滞。で、側道へ降りる。暫くは順調でしたが、和光の手前で2斜線が1車線になるため渋滞。1kmに45分かかった。ぶつぶつ。ラジオに よれば環八は渋滞との事なので、中央道は諦めて所沢から関越へ。23時頃、横川SA。この先で5kmほど渋滞らしい。午前2時頃になれば解消するやろ。 ちょっと寝ようとシートを倒して寝袋に潜り込む。


1日(月) 今日はお仕事。もっと も、先週金曜日に席の移動があったので、この際と不要な書類の整理をしていて終わりましたが。あまり気合いも入らないので、フレックスで早く帰ったし。

 労働省調査によると、3月の完全失業率は4.9%。15-24歳の男性に限れば12.5%とか。「完全」失業率の言葉が示すように、この数字 は職安で職探しをしていて、かつ調査期間中に全く収入がなかった人でないと対象になりません。「職安には職がない」と独自に求人雑誌等で求職している人 や、職探しの傍らバイトで僅かでも収入を得た人はカウントされないのです。従って、実際の皮膚感覚に合わせるには、数値を倍にするのが適当と言われていま す。全体トータルで10%。15-24歳男子で25%。まー、灯台も明日は我が身、かも知れませんが。