利尻島記・前編
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−1991年9月の旅の記憶より−
 

プロローグ

9/7(土)
 本来なら昨夜に旅立っていたはずなのだが、UC Davis; Prof. 松村講演会が今日にセッティングされたおかげで、1日遅れてしまった。22時、ノマドに乗り込み理研を発進。R17を北上する。

9/8(日)
 水上ICで関越に乗り、塩沢石打SAで4時間ほど仮眠。六日町ICで下に降りて、一般道を新潟へ。新潟FT着8時。10時半出航。ひたすら寝る。夕方、素晴しい落陽に恵まれる。

9/9(月)
 4時、小樽着。空はまだ暗い。日本海沿いに北上する。程なく東天紅。金星が美しい。留萌で朝食。苫前から内陸に向かい、朱鞠内湖の脇を抜けて、美深。R40を北上し、音威子府で蕎麦の昼食。浜頓別辺りから曇り出す。宗谷岬で休憩。稚内着は14時半。走行距離500km。16時半、フェリー乗船。車を置いていった方が安上がりなのは百も承知だが(フェリーは2万円くらいかかる)、ここまで来ておいてけぼりと言うのも申し訳ないので、ノマドも一緒。

北へ:朱鞠内湖/母子里/オホーツク/宗谷岬


序夜・9月9日

 18時半、利尻・鴛泊港着。この船はこの後礼文に向かうので、船室に群れているホステラーとおぼしき連中は、皆そのまま。多分桃岩荘に行くのだろう。結局利尻でおりたホステラーは、僕の他には女の子1人だけだった。彼女をノマドに乗せてYHへと向かう。聞くと、利尻岳に登るために来たのだと言う。何でも、いつもは槍・穂高あたりで遊んでいるらしい(ゲッ)。

 10分ほどで利尻グリーンヒルYH着。夕食・風呂。20時よりミーティング。明日、山に登る5人(男3女2)で打ち合わせ。今日山に登ったと言う、ちょんまげ頭の妙な兄ちゃんが(女の子2人が目当てなのだろうが)横から口をはさむので、うっとうしい事おびただしい。山の素人が「すっげぇ急だ」などと言っても、全然参考にならないしね。まあ、彼でも登れる位だから、出発時間さえ早くとれば問題はないだろう。しかし、最初の予定のままだったら彼と一緒に山に登る羽目に陥ったわけで、出発が1日遅れたのは結構ラッキーだったかも知れない。

 と、突然「玄関に集合」の声。何でも、利尻一周(54kmもあるんだぜ!!)を完歩した連中が帰って来たらしい。手拍子と共に「風来坊」の歌で出迎える。う〜ん、いいなあ。いやいや、明日山に登ったら、明後日は礼文に行くんだ。船のキップも、周遊割引を買ったんだし。

 その後は、ビール片手にしばらく雑談し、22時就寝。もっとも、今日500kmも走ったせいか、神経が高ぶって中々寝付かれない。


第1日・9月10日

あゝ利尻島

ここはサロベツ大平原 遥か彼方にそびえ立つ
あれが噂の利尻島   海の中からぬっと出た
北の荒波物とせず   男が惚れるあの雄姿 
あゝ利尻(セイ) あゝ利尻(セイ) あゝ利尻島

 4時半、腕時計のアラームで目が覚める。う〜ん、眠い。何せ、昨日は4時起きだったからなあ。一瞬、このまま寝ていようかと思ったが、そもそも利尻岳に登るためにここまで来たのだと思い直し、眠い目をこじ開け、ベットからムックリ起き上がる。前夜頼んでおいた2食分のオニギリをザックに詰め、5時15分に出発。玄関では、今日完歩するはずの人が「寝坊しておいてけぼりを食った」とウロウロしていた。

 今日のパーティは5人。昨日車に乗っけた、名古屋からバイクで来たプー子の戸井さん。奈良から来た、京女4年の鳥坂さん。立命3年で、YH部部長と言う柴田君。同志社4年の木村君。そして灯台。ようやく明るくなってきた東の空を背に、あれこれ雑談をしながら、車道のダラダラ上りを登って行く。1時間程で日本百名水の一つ、甘露泉に着いた。ここの東屋で休憩。朝食を食べる。ペットボトルに水を詰め、7時出発。いよいよここからが山道。結構快調なペースで登る。鳥坂さんがどうかと思ったが、どこまで行っても元気一杯(後で分かった事だが、彼女は高校時代は陸上の選手だった)。関西人だけあって、へらず口も満点。戸井さんが上手いペースで引っ張ってくれるので、パーティが2つに千切れる事もなく、中々だった。

 

左:甘露泉にて 右:はるかに礼文を望む

 所々、木々の来れ間から展望が利く。段々高度が上がるに連れ、見下ろす角度が大きくなるせいか、隣の礼文島の形が違ってくるのが面白い。喉が渇いたので水を一杯。と、木村君が水が変だと言う。見ると、彼のペットボトルには白いものがフワフワ。臭いをかぐと、酪酸発酵の異臭。どうやらYHで借りたペットボトルを洗わなかったため、ジュースか何かの残りにバクテリアが繁殖したのがそのままだったらしい。やれやれ。標高800m辺りで尾根に出た。同時に木々の高さが背より低くなり、左右には深い谷が落ち込む。そして正面にはピークが1つ。長官山、1,200m。利尻本峰はその向こう。中々その雄姿を見せてはくれない。空は晴天。ただ、小さな雲が沢山浮かんでいて、時々その1つがかかって来る。とは言え、雨の降る心配はないし、最高の秋山ではある。

 10時、長官山着。小さな無人小屋の前で、本峰をバックに記念撮影。ここが8合目とは言うけれど、標高差はまだ500mもある。ハードな山だよ。休憩の合間にチョコレートを配る。それまでにもアメやら干アンズやらを配っていたのだが、これには芝田君がいたく感激し、「これエエですわ。着かれた時に甘いもんは最高ですわ。そや、明日礼文へ渡る前にお菓子買うといて、明後日8時間歩く時に配ったろ」と騒いでいた。そんなに感動する程の物かね(後日、彼から届いた手紙には、礼文で配ったお菓子が大好評だったと記されていた。さらに翌年、礼文出再会した彼は、チョコの大袋を抱えていた)。

 息も整ったので、さて出発。一度鞍部まで下った後、いよいよ最後の急登にかかる。左手には、今は廃道になった鬼脇登山道の名残が、ハイマツの中を海に向かって下っている。それを見ながら、ゆっくりゆっくり登って行く。かなりのスローペースなのだが、それでも木村君が遅れ始めた。しかも下がガレ場になったので、「この靴(普通の運動靴)じゃ登れません」と半ベソをかきながら言う。そりゃ、灯台はノマドの搭載能力に物を言わせて革の登山靴を持って来たけど、戸井さんだって運動靴なんだしね。単に腰が引けているだけの話。脇にロープが張ってあるのでそれにつかまらせたが、相変わらずズルズル。やれやれ。やっとガレ場を突破したら、今度は岩場。「僕、駄目です。ここで待ってますから、皆さん山頂まで行ってきて下さい」。女の子がやるんなら可愛げもあるが、いい年した男がやってもねえ。仕方がないので上から引っ張ってやったりして、岩場も何とか突破。赤い小さな祠の待つ山頂に着いたのは正午だった。

 山頂からの眺めは最高だった。多くの尾根と多くの谷。丸く広がる平原。姫沼とオタドマリ沼。海を隔てて、礼文・サロベツ・ノシャップ・宗谷岬。遥かに見える影はサハリンだろうか。そうして北海道本島の彼方に見える山は大雪だろう。青い青い空と藍い藍い海。足許の、標高800m位の所に、小さな雲がプカプカと沢山浮かんでいる。遠い道程だったけど、ここまで来てよかった。

 とりあえず昼飯にする。YHのオニギリをカプリ。そうして昼寝。空の青さが印象的だった。

 

 13時20分、山頂発。下山にかかる。ガレ場では、相変わらず木村君がヘッピリ腰でおたおたしていた。長官山で休憩。後は甘露泉まで一気に下る。ここでは灯台がトップを引いた。下りは長い。よくこんな所を登ったもんだと毎回思う。甘露泉まで30分と言う所まで来て、木村君が今度はハチに刺さ泣きベソをかく。手のかかる奴だ。甘露泉で休憩した後、車道をYHまで下る。YH着18時半。日没に間に合わなかったのは残念。

 そうして、風呂・夕食・ミーティング。このミーティングの最中、ヘルパーの「くらのすけ」が「明日完歩する人!」の問い。誰も手を挙げる人がいない。「誰かいないの。明日は僕も歩くよ!!」この一言に思わず「乗った!」と言ってしまった。YHのヘルパーと歩いて、面白くない訳がない。礼文は、又次回行けばいいや。結局、戸井さんと鳥坂(あまりに減らず口が多いので、この辺から呼び捨てになっっている)も同行する事になった。その上、今日完歩した(!)沼田君も参加するという。今日、1人で歩いてつまらなかったから、とか。しかしねえ・・・。

 20時頃、灯台達が山に出発する時に「おいてけぼり食った」と言っていた渋川君が帰着(沼田君は17時に帰っていたとのこと)。「風来坊」の歌で出迎え。明日の夜はこの歌を歌ってもらえるのだろうか。しかし、54kmは遠い。

 明日は3時半起床、4時出発と決まる。芝田・木村の両君とは、今夜でお別れ。木村君は、明日は礼文に渡って明後日「愛とロマンの8時間」を歩く。木村君は、明日と明後日は美馬牛リバティYHだそうだ。鳥坂が、明日グリーンヒルで明後日とその次がリバティなので、「また会えるね」と喜んでいたが、彼の期待は後に裏切られる事になる。ともあれ、22時就寝。疲れていたはずなのに、中々寝付かれない。