利尻島記・後編
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−1991年9月の旅の記憶より−

 第3日 9月12日

利尻島のバラード

君が空ゆく風なら    僕は地に咲く花になる
君の笑顔にゆらされて  優しい景色をつくろう
あゝ旅すれど      胸はまたふるえて  
君と君と 出会ったのさ 利尻島のバラード  

 目が覚めると、昨日の雨もあがっていて、とっても良い天気。雲はまだ残っているものの、フワフワ浮かぶ白い雲。昨日の雨で大気の汚れが洗い流されて、窓から差し込む陽差しが鮮やかだ。あぁ、よく寝た。久し振りにゆっくり寝たよ。何せこの3日間、連日4時前に起床してたもんなあ。そろそろ朝飯の時間だし、起きるとするか・・・
「ギェ〜!!」
イテテ・・・。体に激痛が走る。まあ、無理もないか。一昨日は海抜0mから1,716mまで1日で往復して、昨日は雨の中を利尻一周53.6kmを完歩したんだから。よく体が持ったもんだ。洗面をし、階下の食堂に降りる。平らな所を歩くのはまだいいのだけれど、階段の登り降りが利くんだな。のたうち回りながら階段を降りる。と、その横を、戸井嬢がトントントンと通り過ぎて行く。「体痛くないの!?」「全然!!」。この2日間、一緒に行動していたはずなんだが・・・。

 朝食には、手作りのイカの塩辛が添えられていた。これが極上で、思わず食が進む。窓の外には、鮮烈な朝日を浴びた利尻岳がそびえている。こうして北の果ての小さな島で、のんびり朝食を食べているなんて、ちょっと変な気分。あゝ、旅をしているんだな。

 8時半、朝のフェリーで島を去る人が、荷物を持って玄関に集まり始める。戸井さんが降りて来た。彼女はこの後、稚内に預けてあるバイクを受け取って、サロマまで320kmを走るのだそうだ。ほとんど人間業じゃないなぁ。と、続いてくらのすけも荷物を持って現われた。「エッ、今日出ちゃうの!?」「へへ」。YHのマイクロバスで港へ。稚内からの船が着き、札幌からの夜行で北へ来た人々が降りてくる。入れ違いに島抜けの連中が船に乗り込む。この船で島を抜けるのは5人。戸井さん、くらのすけ、それに女の子3人。見送りは、YHに残っていた連中と今着いた人々の、あわせて10人位。デッキと岸壁でしばらく会話をする内に汽笛が鳴り、船がゆっくりと岸壁を離れ始める。船の連中が大きく手を振る。見送り組はYHの旗を振りながら、船と共に岸壁の端まで突っ走る。「いってらっしゃ〜い!!」「いってきま〜す!!」「また来いよ〜!!」「また来るぞ〜!!」、沖へと舳先を向けた船との間で、何度も何度も叫び声がこだまする。

 そうして船は水平線の彼方に没し、後にはタメ息だけが残される。さて、とりあえずYHに戻るか。と戻ったYHだけれど、特にやる事もないし、折角高い料金を払って持って渡ったノマドを遊ばせておくのももったいない。どれ、島一周のドライブにでも行こう。昨日一緒に歩いた鳥坂嬢・沼田君。それにYHでゴロゴロしていた2人を乗せて、昨日15時間半かけて歩いた道を、今日はノマドで一周する。かなりゆっくり走ったつもりだったけど、島一周に要した正味の走行時間は1時間半だった。10分の1か。でも、それだけ速いと言う事は、それだけ多くの物を見落としているのだと言う事を痛感した。実に馬鹿げていたかも知れないけど、本当の意味で利尻を体感出来た1日だったなあ。ともあれ、急ぐ必要はサラサラないので、あちこち途中下車しながら進む。昨日とは反対回りに、灯台、「はせ川」のミソラーメン、水族館、博物館。ひとつひとつのエピソードが、まだ体の中に息づいている。風が強くて雲が多いけれど、爽快な秋の1日。こんな日に完歩をしたら気持ち良いだろうな。でも、昨日は昨日で面白かったさ。

  

左:姫沼 中:石崎灯台 右:オタドマリ沼

 そうして島を3分の2周した頃、YHのレンタサイクルに乗っている女の子に追い付いた。この強風の中、かなり苦戦している様子。16時の船に乗るとの事なので、時間的にちょっとヤバイかも知れない。こっちも定員一杯だし、とりあえずスピードを上げてYHに戻り、後席の連中を降ろして鳥坂と2人で彼女を迎えに行く。けれども丸い島の事、彼女の所に戻った時には風は追い風になっていた。さっきの悲痛な表情とは打って変わって「大丈夫です。あと10kmだし。それではと言う事で、1日セスナ2便と言う利尻空港にちょっと寄ってYHに戻った。

 くらのすけは島抜けしてしまったので、今のYHにはヘルパーは誰もいない。ペアレントさんは夕食の準備で忙しそうだし、次の船に乗るのは沼田君とさっきの土屋さんの2人だけ。じゃあ、ノマドで港まで送るとしましょう。相変わらずヒマな鳥坂を乗せて、4人で港まで。夕暮れ間近かの港は、朝日輝く朝の便の時とはずいぶん印象が違う。乗船する2人は、今日は稚内に泊まって、明日は層雲峡を目指すと言う。「元気でな」「また会おう」。デッキと岸壁で言葉が行き交う。やがて出航時刻。「心の旅」の歌で2人を見送る。YHの旗を持って港の突端まで走り
「いってらっしゃ〜い」「いってきま〜す」
まだ人数の多かった朝と違い、今は見送るのも見送られるのも2人だけ。みんな出ていっちまったなあ。残された者の寂しさを胸にYHに戻る。

 

左:フェリー船上の沼田君と土屋さん 右:礼文の横に沈む夕陽

 YHに着くと、丁度日没の時刻だった。急いでYH横の丘に登る。長々と横たわる礼文の横に、金色の夕陽が沈んで行く。家路を急ぐ海鳥達が空を埋める。振り向けば、赤く焼けた利尻岳。秋の始まりを感じさせる風を頬に受けながら、ただただ、立ち尽くす。

 今日はヘルパーがいないので、夕食後のミーティングは無し。山も登ったし完歩もしたし、昔帯広YHで観光案内やゲームをやってた訳だし、代わりに島の案内をする位は簡単なのだけど、そんな気にはならなかった。ともあれ、これで4泊+登山+完歩と言う鉄人の資格を満たしたので、鳥坂と共にご褒美の湯飲みをもらい、鉄人達成者の紙に名前を書き込む。今年70人目。満足感と少しの空虚さが体の中を巡る。まだ睡眠不足も残っているし、早めに眠りにつくとしよう。


最終日 9月13日

 目が覚めるといい天気だった。山や完歩の連中は、既に出発した後。主を失ったベッドに荷物が転がっている。今日でこの島ともお別れか。たった4泊5日、正味3日の滞在なのに、何ヶ月も、いや何年も昔から、この島にいた様な気がする。いや、この島での3日間は、確かに退屈な日常1年分以上の価値があったさ。この島に来て良かった。この島で、良き仲間達と出会えて、そして共に過ごす事が出来て、本当に良かった。

 朝食を取って、港へ。朝の船で島抜けするのは、僕と鳥坂の2人。昨日の2人が見送りを買って出てくれた。昨日見上げ続けたデッキに立ち、岸壁の2人を見下ろす。出航の時刻が迫る。この時のために覚えた「風来坊」の歌を口ずさむ。長声一発。船は静かに利尻を離れ始めた。「いってらっしゃ〜1!!」「いってきま〜す!!」。遠い昔から何度も何度も繰り返されたであろう叫びが交される。旗が段々小さくなり、やがて没した。鳥坂と2人、言葉も無く立ち尽くしながら、海の彼方にそびえる利尻をただただ見つめていた。



     エピローグ

 今日の宿である美馬牛リバティYHにはJRで行くと言っていた鳥坂だったが、船が稚内に着く頃には、自然と僕の車に便乗する事になっていた。口には出さなかったけど、お互い1人にはなりたくなかった。稚内のスーパーで弁当を仕入れ、日本海沿いの道道909を南下。途中の展望台で昼食。海の向こうに利尻を眺めながら。雲のシャンプーハットが印象的だった。それからはひたすら走る。稚内から400km余。リバティで鳥坂を降ろしたのは日も暮れた後だった。身軽になったノマドは更に南下。富良野で夕飯。暗黒の狩勝峠を越えてサホロYHに着いた時には21時を回っていた。


その後の仲間達*

木 村 君:サホロYHに着いたら木村君がいて、「昨日はリバティで1日待っていたのに鳥坂さんは来なかった」とクサっていたので、利尻発が1日遅れた事、さっきまで一緒だった事を告げると、さらにクサっていた。自身が余程のイイ男でない限り、YHにおける女の子との再会の約束は反故にされるものだよ。

くらのすけ:この年の11月の利尻 in Tokyoで会った。4月からは社会人だと言っていたが、風の便りに寄ると、結局留年して。翌夏もヘルパーをしていたらしい。

戸 井 嬢:その後会っていないが、年賀状だけは今でも交換している。それによれば、利尻の後しばらく北海道を回り、その後農家でバイト。さらに冬の間はニセコでバイト。そして春からは日高の牧場でサラブレッドの相手。2年間と言っていたが今年もらった賀状も日高だったので、完全に北海道に根を生やしたらしい。

鳥 坂 嬢:翌春大学を卒業して、奈良で小学校の先生をやっている。翌年10月に京都で会ったが、オッチョコチョイは相変わらずだった。

芝 田 君:1年後、礼文島で再会。利尻の時、僕が配ったチョコレートやアメに感動していたが、この時は一口チョコの大袋をしっかり持っていた。この時は大阪で大学生をしていたが、今は名古屋でサラリーマンをしている。

沼 田 君:その後、連絡が無い。



 *:1993年の段階のものです。