利尻島記・中編
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−1991年9月の旅の記憶より−

第2日・9月11日

風来坊

この坂どこまで続くのか 上り坂 お前と歩きたかった
誰でも一度は上る坂   風来坊 独りがよく似合う 
歩き疲れて 立ち止まり 振り向き振り向き来たけれど
影が長く伸びるだけ   坂は続く 続く      

 3時半、腕時計のアラームで目が覚める。死ぬほど眠い。体中が痛い。だいたい、一昨日は4時起きで、小樽から稚内まで運転500km。昨日は4時半起きで、海抜0mから利尻山頂1,721mまでを、12時間かけて往復して来たのだから、並の疲労ではない。しばらくベッドの中でボーっとしていたが、ここまで来て逃げ出すのもいやだし、意を決して起き上がる。筋肉痛の方は、階段の昇り降りには痛みがあるものの、平地を歩く分には大丈夫そう。ただ、利尻一周53.6kmと言う距離は、全くの未知である。無事に帰って来れるかどうか。ま、ダメならバスに乗る手もあるさ。洗面所で顔を洗っていると、今日のメンバーがゴソゴソ起き出して来た。小声で挨拶をを交し、昨夜頼んでおいたオニギリを持って、4時15分出発。

 YHの外はまだ暗い。空には黒い雲が流れて、利尻山頂は雲の中だ。昨日の予報では降水確率は20%だけれど、大丈夫かなあ。と思ううち、パラパラと来る。幸いすぐ止んだが、前途は多難。右手に礼文、左手に利尻岳を見ながら進む。今日のメンバーは5人。戸井・鳥坂の両嬢は、昨日の利尻岳から一緒。ヘルパーの大石君(通称「くらのすけ」)。昨日一周完歩して、今日は2日連続に挑む沼田君。そして灯台。中々の豪華メンバーだ。広々とした利尻山麓の大草原を突き抜ける。きれいに舗装された道は、車1台通らない。空を舞うウミネコに見守られ、あれこれ雑談をしながら、5人が行く。

 

左:泣き出しそうな空 右:利尻牧場にて

 6時、利尻牧場着。ここは、利尻で唯一牛乳を作っている。80円を払い、出来立ての牛乳を飲む。うまい! と、ニャンコがゾロゾロ出て来た。子猫のうち2匹は人見知りするのだが、親2匹子供2匹はえらく人懐こう。フタの裏に牛乳を付けてやるとペロペロ嘗めに来るし、寒いせいか、しゃがんだ膝の上に乗っかって来る。可愛いのだけど先は長いし、そろそろ歩き出す事にする。この牧場も、10月には閉めるのだそうだ。

 7時、ようやく沓形の町に着く。3時間近くかかって10kmしか歩いていない。前途多難。この町には、利尻唯一のベーカリーがあるとの事なので、それを捜す。男3人がキョロキョロしている間に、女2人の方はちょっとシャッターが開いている商店に潜り込んで、場所を聞いてきた。食べ物にかける執念が違うね。まだ開店していなかったパン屋に乱入し、焼き立てのパンを買う。まだザラメがかかっていないのを「これでいいです!」と無理矢理買い込んだのは鳥坂嬢。岬公園に移動し、オニギリとパンの朝食。海の向こうには礼文島が長々と横たわる。9月とは言え、北の島を渡る風は冷たい。こんな日本のはずれの小さな島で、お互い見も知らぬ5人が、こうしてパンをかじる図なんてのは、何かシュールだなあ。

 あんまり立ち上がりたくもないのだけど、ゴールはまだ遥か彼方だし、記念写真を1枚撮って歩き出す。消防署の脇を行くと、隊員の人達が朝のラジオ体操をしていた。それを見た鳥坂が、「何や、あれ!?」。こいつの声が、また通るんだ。ああ、恥ずかしい。利尻高校を過ぎると町も終わり、また何もない一本道。礼文も見えなくなって、景色も単調。尻取り歌合戦をしながら進む。1時間程で、北の天満宮の小さな赤い鳥居に着いた。海の安全を願う小さな祠。その横には、「寝熊の岩」と「人面岩」。利尻の数少ない観光資源だそうだ。ガイドブックに載せる物は、こんなのしかないんだよ、とはくらのすけ。でもまあ、ガイドブックに載せる様な物は無くても、この島は北海道でもピカイチさ。

 10時半、ようやく仙法志に着いた。町立の小さな博物館で休憩。1回座ってしまうと、もう立ち上がりたくない。しかしまあ、11時発。さっきから再び降り出した雨は、もう止みそうに無い。カッパを取り出して着る。カッパを持っていない鳥坂は沼田君のを借りたが、体がちっこいのでデイバックの上からカッパが着れる。それはいいのだが、ハタから見るとほとんど「怪奇セムシ女」。戸井さんはカッパを持たず、「私は大丈夫」と言っていたが、さすがにこの気温じゃまずい。雑貨屋に入って安いビニールカッパを買う。店の人の呆れた顔が印象的だった。

  

左:雨の中を行く 中;白ずきんちゃん 右:御崎公園にて

 仙法志の町を出て1km程の御崎公園には、町立の水族館がある。水族館と言ってもちゃんとした建物があるわけじゃない。岩場の一角をコンクリートで囲って水を入れて、アシカを2匹放してあるだけ。もちろん、見学料はタダ。利尻らしいと言うか。水族館の脇に、小さな土産物屋兼喫茶がある。ここで再び休憩。何か、休んでばっかりだな。雨に濡れた体に、コーヒーが暖かい。店のお姉さんとしばらく雑談して、さてアシカでも見て出掛けるかと腰を上げると、お姉さんが「エサやってくかい?」。ほんとは1皿100円なんだけど、こんな日はお客さんが来ないから、こっちがあげなくちゃならない。そろそろエサの時間なんだけど、この雨の中、アシカの所まで行くのは面倒だ。あげてくれるならタダでいい。勿論OK。雨の中、しばしアシカと遊ぶ。

 12時、水族館を出発。まだ、全体の4割しか歩いていない。こんなんで、今日中にYHに帰り着けるだろうか。雨は相変わらずのシトシト降り。ゆったりとしたアップダウンを繰り返しながら、次の町である鬼脇に向かう。途中、オタドマリ沼で小休止。晴れていれば湖面に映る利尻岳が美しいらしいのだが、山は黒雲の中(今日、山へ行った連中はどうしたろう)。季節が良ければ、沼の回りはお花畑らしいのだが、今は何もなし。沼の畔の売店で、揚げ立てのジャガイモをほうばる。旨い。ま、これでよしとしよう。

 鬼脇着は14時半。ああ、腹減った。YHご推薦の「はせ川」へ向かう。ここのミソラーメンを食べるために、この鬼脇まで昼食を食べずに着たのだ。ところが、店の前まで来ると、カギが閉まっている。「そんな・・・、休む時は前もって電話してくれる事になっているのに」とはくらのすけ。どうしようか。鳩首会談を始めると、突然ガラッと戸が開いた。「何だ、YHの人か。遅かったねえ。この天気だから、今日はもう来ないのかと思ったよ。まあ、入んな」。この店は、昼飯時が終わると、夕方まで閉めるのだそうだ。で、今はその休みの時間帯だったらしい。この小さな島では、その間に客など来ないのだろう。普通、完歩の連中は13時頃に来るのだそうで、随分と遅れているようだ。まあ、これだけ寄り道してるからねえ。しかし、我々のためにわざわざ店を開けてもらって申し訳ない。ともあれ、ミソラーメンの大盛を注文。これだけの味は、札幌でもちょいと味わえないとくらのすけが豪語する通り、美味かった。「ところで、あんたら手はキレイかい?」「いや、あんまりキレイじゃないですけど」「ウニ食うかい?」「いただきます!!」ひょいと伸ばした手に、Lサイズのウニが2つ、デンと乗せられた。「札幌辺りで出すウニはミョウバンに漬けてあるからねえ。味がおかしいんだよ。その点こいつは、獲れたてをたった今開いたからね。ウニの味がするだろ」。こんな極上品をタダでもらっていいのかな。「こんな雨の日に歩いているからね。お駄賃だ」。ひたすら恐縮しながら戴いた。ウマイ!!

 ここの親父さんが結構面白い人で、ラーメンを食べ終わった後もしばらく雑談していたのだが、先もあるし15時15分に店を出る。近くの雑貨屋でちょっと買い物。カッパにフードがついていないくらのすけを見た店のおばさんが、可愛そうに思って「これあげるわよ」と、白いビニールのフロシキをくれた。2つに折って姉さん被りすると、確かに頭は濡れないのだが、性別不明の白頭巾ちゃんと化して実に不気味。さて、ここからYHまでは残り20km。時速4kmとして5時間か。20時からのミーティングには間に合いたいと言うくらのすけの希望もあり、ここからはノンストップで進むことにする。

 16時過ぎ、北海道でも7番目に高いと言う、白亜の灯台に着く。この辺は道が海岸のそばを通っていて、海が目の前。灰色の海、灰色の空。その中に灯台の白が浮かび上がる(*)。天気が良ければ絵になるんだけどねえ。写真を1枚だけ撮って通り過ぎる。風も強くなってきた。疲労の方も困憊なんだけど、余りに着かれ過ぎて、かえってハイになっている。ウォーカーズ・ハイってやつか。もう12時間も同じメンバーで歩いて来たから気心も知れてるし、ひたすらバカ話をしながら進んで行く。しかし、この状態でハイになれるってのも凄いメンバーだ。と、横を通り過ぎたトラックが突然急停車して、運ちゃんが「オイ、荷台で良ければ乗ってけ!」。周囲に人家は全く無いし、この雨の中をトボトボ歩いているなんて、ハタから見れば憐れで異様だろうな。丁重にお断りして先へと向かう。

 18時、YHをスタートして48km。いよいよ最後の坂に差し掛かる。ここを過ぎれば、後は割合平坦な道を残すのみ。遠くから汽笛が聞こえる。多分、稚内行き最終フェリーの出航だろう。そろそろ夕暮れも近づいて、あたりも暗くなってきた。さあ、あと一息だ。「風来坊」の歌を歌いながら、この坂を上る。

この坂どこまで続くのか 上り坂 お前と歩きたかった
誰でも一度は上る坂   風来坊 独りがよく似合う 
歩き疲れて 立ち止まり 振り向き振り向き来たけれど
影が長く伸びるだけ   坂は続く 続く      
坂は続く 続く・・・                

まるで、今の自分のためにあるような歌だ。今まで、多くの旅人達が、同じ想いでこの坂を上ったんだろうな。そしてこれからも、多くの旅人達が、同じ想いでこの坂を上るのだろう。

 18時半、既にあたりは闇に包まれている。そうして、やっとマクドナルドの記念碑に着いた。江戸末期にここで遭難したマクドナルドの霊を慰める碑だ。そしてここからは、海の向こうに鴛泊の灯が見える。やっと帰って来たんだ。町の明りが何よりも嬉しかった。しかし、何とかだましだまし持って来た足も、さっきからは1歩ごとに激痛を発している。でもこの痛みを取り除くには、YHに帰り着くしかない。ここに至っても相変わらずのバカ話を交しながら、すぐそこに見えながら中々たどり着かない鴛泊にイラ立ちつつ、足を引きずりながら進んで行く。

 19時、鴛泊着。残りあと2km。YHにもうすぐ帰るとの電話を入れ、夕食の買い出し。小さな島とて大した店がある訳でもなく、オニギリなんぞは売っていない。腹の足しになりそうな菓子類を買い込む。さあ、ウィニング・ウォークだ。町立体育館を過ぎれば、YHはもうすぐ。

 19時45分、ゴール。拳を天に突き上げながらYHの門をくぐる。15時間30分かけて、ヨレヨレになりズブ濡れになりながら振り出しに戻って来たのだから、馬鹿馬鹿しいと言えばこれくらい馬鹿馬鹿しい事もない。長い長い1日だった。辛かった。でも、幸福な1日だった。心の底からこんなに感激したのは何年振りだろう。僕の中にも、まだ熱いものが残っていたんだな。それが分かっただけでも、歩いた価値はあった。いい1日だったよ。ホステラー達が「風来坊」の歌で出迎え。後からこの写真を見ると、自分でも信じられないくらい、いい表情をしていた。

風来坊の歌

 さて、とりあえず部屋へ戻ろうとするが、足が上がらない。まるでナメクジの様に這いながら、階段を上がる。「大丈夫ですか?」と声を掛けられるが、全然大丈夫じゃない。着替えを取って、またナメクジの如く階段を降り、風呂に入る。そうして、さっき買ったお菓子を腹に入れ、人心地ついた所で、今日のメンバーでビールで乾杯。旨いビールだった。ひとしきり雑談し、お互いの住所交換などして、今日は早めに夢路をたどる事にする。ああ、終わった。


後編予告

 雨雲も去り、再び秋の日差しを取り戻した利尻島。だが、吹き抜ける秋風の中、仲間達は一人また一人と島を離れて行く。汽笛が鳴る。旗が振られる。そして、港に響く「風来坊」の歌・・・

 北の島で繰り広げられた、出会いと別れの物語 「利尻島記」。いよいよ完結編!



 *:僕の「灯台」の名前の由来は、この灰色の空に浮かび上がる白亜の灯台にあります。