徒 然 草  2002年10月
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31日(水) 競艇はやったことがないので、よくわかりません。まあ、公営ギャンブルの中では一番収支がいいらしいので、何とかなるん じゃないでしょうか。ところで、しばらく前は藤岡猛(仮面ライダー1号)の出て来るオートのCMが良く流れていましたが、最近はキョウテイハニーなるキャ ラの登場する競艇のCMが目立ちますね。どうせキューティハニーをパクるんなら、変身する所もパクっ(オイオイオイ)。
30日(水) 競馬の場合、多少状況が異なります。競馬は馬が走りますから、値段が安くても200万はし、さらに月20万はする委託料 (これは最低ラインです)を負担してくれる馬主がいなければなりません。馬が走れるのはせいぜい週1度。騎手、調教師、厩務員の人件費もまかわなければな りません。人間が自転車1丁で走る競輪なんかに比べると、はるかに高コスト構造なのです。

 逆に言えば、競馬場が減って競走馬の需要が減ると、競馬場関係者だけでなく馬産地にも被害 が及ぶと言う側面もあります。大赤字の「ほっかいどう競馬」から北海道が手を引けないのもこのためです。

 昨年度、全ての地方競馬が赤字でした。昨年度に新潟、中津(福岡)、今年に入って益田(島 根)が撤退しました。宇都宮、足利(栃木)、高知、福山も時間の問題でしょう。北海道も、累積赤字が100億を遥かに超え、そろそろ政治決断を迫られそう です。

 地方競馬が生き残る道は、競馬法の大改訂が必要ですが、中央競馬(JRA)との一体化しか ないでしょう。ある程度の集客力と設備を持つ場(盛岡、大井、笠松辺り)はJRAと一体化し、残りは廃止。芝が中心の中央と、盛岡以外はダートコースしか 持たない地方の差が問題ですが、世界的にダート競馬が盛んになって来ていますし、上手くやれば回るでしょう。盛岡をダート競馬のメッカとし、大井は夏の 間、ナイターで稼ぐ、とか。

 クアラルンプールの日朝会談。戦後、日本の外務省がまともな外交をやったのは、これが初め てじゃないかしらん。今までは、向こうが席を蹴って帰ろうとする〜慌てた日本が譲歩する、の繰り返しでしたが、今回は世論注視の中、外務省も寸毫たりとも 譲歩が許されていませんから。「こっちは手ぶらで帰る訳にはいかない」と言う北朝鮮代表団のセリフが印象的。


29日(火) 現在開催中の高知国体で、開催都道府県の優勝が36年ぶりに途切れたそうです。これは、高知県を誉めるよりは、常識 よりも前例を優先する役人体質を改めて考えるべきだと思います。

 さて、昨日の続きでオー トレース。全国わずか6ケ所(船橋(千葉)、川口(埼玉)、伊勢崎(群馬)、浜松、 山陽(山口)、飯塚(福岡))。で、黒字は川口のみ。40数カ所もある競輪場なら1ケ所くらい潰れても何とかなりますが、6ケ所しかなければ1ケ所潰れて もかなりのインパクトとなります。業界も危機感を覚えて対策案をまとめたりしてますが、「迫力あるレースを提供する」レベルでは黒字化は遠いでしょう。 ぶっちゃけた話、どこかの自治体が音をあげた段階でオートは終ると思います。終戦直後に発足して以来50年余。良く続いたとみるべきなのだと思います。


28日(月) 22日の続き。では、公営ギャンブルはどの方向に進めば良いか。世の中にはギャンブル=絶対悪と言う意見の持ち主も 多いので、赤字の穴埋めに税金を注ぎ込む事態となれば、「廃止やむなし」と言う声が多数を占めるのは仕方ないでしょう。ギャンブルは不況に強いと言われた のも今は昔。構造不況に喘ぐ公営ギャンブルの進むべき道を灯台なりに考えてみました。まずは競輪から。

 競輪の場合、選手数は4,000人くらいいます。これはすごい人数で、例えば日本で一番盛んな野球では、プロの選手は1、 2軍合わせても1,000人もいません。サッカーも、J1・J2でプロ契約しているのは、やはり1,000人足らず。相撲も、序の口まで入れてもやはり 1,000人いません。

 競輪選手になるには競輪学校を卒業しなければなりませんが、毎年の定員は70人かそこら。 これは、プロ野球のドラフトにかかる人数と同じくらいです。これで選手数が4倍になるとどうなるか。プロ野球では、単純計算では10年で選手が全員入れ替 わる計算になりますが、競輪では40年かかる事になります。実際、プロ野球では40代の選手は数えるほどですが、競輪では50代の選手はゴロゴロいます。

 競輪では、選手はレースで獲得したポイントにより、S級1班、2班、A級1班、2班、3班 にランク分けされるのですが、S1とA3では、走るスピードが天と地ほども違います。このため、S1のトップクラス100-150人が争うG1競争は人気 もあって売上も伸びますが、A級選手のみのF2ともなれば観客が少なく開催しても赤字になる始末。S級とA級の人数比は1:3で、開催日数からすればF2 の方が遥かに多いのが、競輪の構造的な問題です。

 競輪が生き残ろうと思えば、A級選手は全員首にして、S級の1,000人だけでやって行く 必要があるでしょう。定員制を設け、毎年ポイントの少ない選手はクビにして行く(新人は、デビュー3年くらいは猶予期間とする)。選手数を1/4にするの で、競輪場も1/4にする。現在、競輪場
の数は47なので、12くらいに減らす。ただし、廃止するところも場外車券売り場としての機能は残 す。G1・G2は年間各6回なので、12場ならどちらかが回って来るし。

 かなりの荒療治ですが、ここまで出来ないようでは未来はありません。縮小再生産を重ねた挙 句に消滅するだけです。競輪の場合、昔は儲かったので、1つの競輪場でも主催者は複数いるのが普通です。例えば川崎競輪では、神奈川県、川崎市、さらに県 北西部の市の連合が交代で主催していました。しかし最近は、競輪が儲からないので、主催者がどんどん逃げ出しています。川崎競輪では、県北西部連合が撤退 しました。競輪場自体はそんなに減っていませんが、主催者数ではここ数年で2/3くらいに減っています。このまま行けば、数年で競輪場の数も一気に減り出 すでしょう。タイタニックで言えば、既に氷山に衝突してしまったのです。それを認識して、一気に抜本的な改革に踏み込めるか。まあ、無理でしょうね。


27日(日) 関東ローカルのニュースでも、芝山鉄道開業を報じていました。「利用者の予想は4,700人と採算ギリギリ」。「希 望」を「予想」と言い換えるのは、この国の公共事業で良くある事です。前にも書きましたが、町の人口が8,000人しないなくて、しかも駅は町はずれ。車 が生活の中心になっているこの地域では、開業景気が終れば1日の利用者は800人がいいとこでしょう。小さな町にとって、重い負担になるでしょうね。


26日(土) 明日は芝山鉄道の開通日であります。成田空港の地元対策として建設されましたが(建設費は国持ちらしい)、当然のよ うに赤字必至(開通後の赤字は第三セクター=地元持ち)。なんでそこまでして鉄道を欲しがるのかなあ。そりゃ、建設中は地元のゼネコンは儲かるけど、工事 なんてそのうち終るし、そしたら廃止されるまで赤字を産み続けて、トータルすればマイナスだろうに。

 11/2に開通イベントがあるそうなので、来週乗りに行こうと思ってます。12月にはりん かい線の大崎延伸。来年3月には地下鉄半蔵門線の延伸と名鉄の上飯田連絡線の開業。乗りに行くのも楽じゃない。


25日(金) ネット検索で「夢日記」を探すと、それなりの数は引っかかって来るのですが、掲載されている夢は、数個〜十数個と言 うのがほとんどです。ウチのように百数十も載せてる所ははとんど見当たらなくて、その意味では日本有数のサイトだと自画自賛。まあ、それくらいしか誇れる 所がないしなあ。競馬予想は当たらないし(自爆・もっとも「灯台の予想を外して買えばバッチリ」と言う使い方もあるらしいのですが)。天皇賞(秋)はテイ エムオーシャン。


24日(木) 一昨日のMUSIXでモーニング娘。の新曲「ここにいるぜぇ!」のTV初披露を見ました。2ちゃんねるじゃ賛否両論 出てますが、個人的にはすごく良いと思っています。中澤の脱退による危機感が求心力となって、その後の9人が輝いたように、今回も後藤の脱退による危機バ ネが効いています。お子様キャラだった辻加護がほんとしっかりしてきたし。入った時は最年少で年上メンバーに甘えてばかりだった2人も、後輩も出来て自覚 が出て来たんでしょうか。

 ただ、前回の「9人」は、結局「ザ☆ピース」の1曲だけだったし、今回も6期メン募集が既 に出ているので、「12人」はこの1曲だけでしょう。前回もそう思ったけど、今回もこのメンバーにせめてもう半年熟成する時間を与えてやれまいか。

 ちなみに6期メンの応募資格は中高生の女子だそうです。明日香応募して来ないかなあ。元メ ン不可とは言ってないんだし。

 5+3−1+1−1+4−1−1+4−1=12


23日(水) アメリカの狙撃事件。う〜ん、プロの仕業ですねえ。戦場では、狙撃兵は3人1組くらいで行動します。木の上など、周 囲から分かりにくい場所に陣取り、ひたすら敵が来るのを待ちます。こちらの人数を相手に悟られないよう、相手が1人の時には、こちらが3人でも1人(1 発)しか発射しません。また、射撃した場合にこちらの隠れ場所が見つかりそうな場合は、決して発砲しません。

 軍隊と言うのは、例えば1個中隊でも100人くらいはいる訳ですから、1つの狙撃兵のグ ループだけで1個中隊を全滅させることは出来ません。目的は、相手の恐怖心を刺激し、敵の行動を制限させる所にあります。

 狙撃兵は、相手に標準を合せている瞬間が一番無防備で、発見されやすくなります。そこで、 戦場では発見されにくい場所を確保する訳ですが、町の中で隠れる場所があるのか。まあ、あるからこれまで発見されずにこれだけの数の狙撃を成功させている のだろうけど(もちろん、見張り役もいるはず)。

 世界最強のアメリカ軍は、正規軍同士の戦闘であればかなう相手はこの地球上にはいません が、ポイントをちょっとずらしてしまえば大して役に立たない、ということを、9.11に引き続きこの事件が証明してしまった訳です。

 「一期一会(Sweets for My SPITZ)」と言うアルバムを買って来て聞いています。歌には、誰にでも歌える歌と、歌う人を選ぶ歌の2種類が存在しますが、SPITZの歌は極め付け の後者です。そのカヴァーを作ってしまったと言う神をも恐れぬ所業。椎名林檎、松任谷由実、奥田民生と言った中々のメンバーを揃えてはいますが、やっぱ微 妙ですね。


22日(火) 昨夜ンットサーフィンしながら、赤字の競輪場やオートレース場をとりまく状況を見てみたのですが、当然の事ながらど こも廃止論が出てるみたいですね。昔は利益をもたらしてたから黙認されて来たけど、ギャンブルの赤字を税金で補填するくらいなら廃止してしまえ、てなとこ です。これまで聖域だった、従業員の給料や退職金カットにも手を付けつつありますが、その程度では1年2年の延命にしかならないようです。

 レジャーの多様化、ファンの高齢化、開催者側のお役所仕事の三位一体が原因だけに、処方箋 は難しいですね。唯一の答は民営化ですが、自らの天下り先を失うような真似は、中央官庁がやるとも思えないし。まあ、公営ギャンブルの誕生以来50年余、 そろそろその役目は終えたんじゃないでしょうか。そこそこ儲かってる競艇はともかく、オートレースは廃止、地方競馬は岩手、大井、笠松、園田辺りの大手が JRAと合併して存続(残りは廃止)。競輪は場と選手を1/3にして再出発(60のじいさんが現役でいられるプロスポーツってのはなしだよ)。が常識的な 線かな。まあ、ここ10年でその方向に進むでしょう。


21日(月) 1年ほど前に、「1ちゃんねる」という掲示板サイトが誕生しました。2ちゃんねるで罵倒されたアスキー創設者の西某 が、「打倒2ちゃんねる」を旗印に創設したものです。常時見張りを置いて、不適切な発言はすぐ削除。価値のある、伝える意味のある情報だけを伝える。いず れは有料性。1年前、当HPでも取り上げて「誰も使わないだろう」と予言しましたが、1年経ってどうなったか。実に閑散としている様です。ある人の調査で は、1日の全掲示板の書き込み数が20かそこらの日もあるとか。2ちゃんねるの1秒分にも満たない数です。ネットワーカーは、西某が「伝える意味がある」 とする情報には、ゴキブリほどの価値もないと判断した訳です。

 もっとも、ここ数日。多くの2ちゃんねらーが「1周年おめでとう」の冷やかしの書き込みを しましたが、きっちり削除されてましたから、削除人はまだいるようです。1日わずか20の書き込みのために常駐しているなんて、空しそうだなあ。止めてし まえばよさそうなものだけど、「アスキーを始めた時の10倍くらい興奮している」と大見得を切ってしまった手前、今更止められないのでしょう。哀れと言う よりは愚かです。


20日(日) マスコミは帰国した5人で大騒ぎですが、今後の日朝交渉を考えれば、アメリカからもたらされた「北は核開発を続行 中」の方が、遥かにインパクトが強い。調子に乗って舞い上がる小泉は冷水を浴びせられた格好。「北の核開発に協力するのか」となってしまえば、とても経済 協力なんてできんもんねえ。かといって、核開発を確実に中止させることを北に担保させる(定期的な査察とか)事が出来るとも思えない。

 北の外交交渉術は確かにすごいけど、それは1対1で密室の中で行われる時に威力を発揮す る。朝−日、朝−米を並行して行いながら、しかも日本の世論が横から割り込んで来る状況では、かえって策士策に溺れる状態ですね。


19日(土) 桃岩の東京大会、「昼の部だけ顔を出すか」と代々木公園へ向かう。と、秋葉原の総武線ホームで、迷彩色のバンダナを 頭に巻いた、恐ろしく怪しい奴が。肩を叩くとやはりセブンだった。彼と桃岩で出会ったのは95年だから7年前。今だに礼文に通い、東京大会ともなれば広島 から上京して来るのには、頭が下がる。水道橋で一旦別れ、灯台は菊花賞の馬券を買うべくウインズ後楽園へ。

 日本のユースホステルが一番盛り上がっていたのは、1973-77年頃らしい。70年安保 に敗れた連中が居場所を探して各地に散り、そこで独特のユース文化を作り上げた。これが第一世代。ホステラー(ユースの宿泊者)は5年ぐらいで入れ替わる から、78-82年頃がが第二世代。灯台が初めてユースを利用して東北を一周したのが79年だから、灯台は第二世代の最後の生き残りになる。帯広でヘル パーをしたのが84、85年だから、この頃になると第三世代が中心。本州とかはだいぶ大人しくなってきたけど、それでも北海道や九州のユースでは、最盛期 の残照が残り、馬鹿騒ぎを繰り広げていた。

 灯台が桃岩に出入りしてたのは92-97年だから、第五世代くらいになる。この頃になると 北海道のユースも落ち着いてしまい、桃岩だけが最後の砦として生き残っている状態だった。そして、それからさらに一世代。今回、東京大会に出た印象は、桃 もずいぶんマイルドになったなあ、と言うもの。まあ、時代の流れで仕方のない事だけど。

 歌の最中、昔の東京大会や京都大会を思い出しながら、良い時代に泊まらせてもらったな、と 思った。

 その後は、恵比須・ガーデンプレイスへ。ガーデンプレイスも出来た頃は混んでたけど、最近は空いてるねえ。まあ、似た様なのがボコボコで きてるし。東京都写真美術館で四国八十八ケ所霊場展を見る。全部のお寺から出品を取り付けた担当者の苦労はすごいと思うけど、出品が納経札1枚なんてとこ もあって、温度差があるのは仕方ないやね。まあ、お薦めする程の展覧会ではないけど、四国八十八ケ所は、いつか歩いてみたいと思う。

 ここまで来たので、ついでに目黒の東京都庭園美術館で、フランス銀器展を見る。正直、期待以上でした。ガラス器の向こうを張れるだけのも のはあるね。

 見終った後、道を歩いていたらバス停があって、行き先の1つが大井競馬場。そう言えば、今日はナイターやってたはずなだ。ちょうどバスも 来し、歩き疲れたので乗ってしまう。30分ほど揺られて競馬場着。馬券を400円ばかり買って、あとはオデンとビール。んまかった。馬券の方は。。。 気 を取り直して次のレースと思ったら雨が降り出したので、帰る事にする。


18日(金) 10/4-6の北東北の旅の際に読んだ地方紙の 記事から:東北新幹線の八戸延伸に伴い、並行在来線が第三セクター化されるが、その 運賃は現行の1.5倍。「県は、迷惑はかけないと言ったはずだ」と地元住民。

 アホの典型やね。「新幹線が出来て便利になるのと、運賃が上がるのとが相殺されて、プラマ イゼロ。迷惑はかかっていない」と言われてチョンになるのは目に見えてる。新幹線が出来ても、せいぜい30分早くなるだけ。新幹線は年に数回しか使わない けど、在来線は毎日使うもの。しかも、新幹線が出来た事により、今まで特急が止まっていた駅が鈍行だけになる。それでもなお、目先の工事費のためにフル規 格を取ったんだから、高い運賃を払いなさいって。

 10/12-14の中 部の旅の際に読んだ地方紙の記事から:豊橋競輪場を廃止するのは、ファン無視であ る。赤字と言っても年1〜2億。年に1回、来るか来ないか分からないプロ野球のために、7億円もかけてナイター設備を作るくらいなら、通年楽しめる競輪を 残すべきだ。

 確かに正論なんだけど、ナイター設備の建設はゼネコンにお金が入り、それが政治資金や次の 選挙の票につながるのに対し、競輪の赤字補填は票や金にならないんだよね。


17日(木) 祝20, 000ヒット達成。

今日はまあ、お祝いモードと言う事で。


16日(水) もう1ヶ月経ってしまいましたが、先月行った香港・マカオで思った事。

 JR東日本が導入しているSuicaですが、あの非接触システムを開発した のは日本の企業だそうです。ところが、日本では変な規制があったため、実用化は香港の地下鉄で先になされた、と。まあ、つまらん規制をやらせたら、日本の 官僚は天下一品と言うことでしょうか。ただ、香港の場合、自動改札の半分くらいは非接触カードオンリーなので、キップを買っている旅人にはちょっと優しく なかったなあ。

 香港の地下鉄の社内吊り広告を見ていると、ひらがなの「の」が目に付きます。幹事の列の中に「の」が出てくる。明らかに現地資本の会社が 現地の中国人向けに出してる広告にもあるので、外来語として定着しつつあるんですかね。

 日本の場外馬券売り場では、フロアによって購入単位が100円だったり500円だったりすることはありますが、競馬場は全ての窓口が 100円単位です。しかし香港の競馬場は、フロアによって100HKDだったり500〜1,000HKDだったりするので、チト参りました。

 行ったのが仲秋の名月の直前だった事もあり、スーパーにしろ地下鉄駅のお菓子屋にしろ、X’mas時の日本でクリスマスケーキの箱が積ま れている感じで、月餅(直径25cmくらいのやつ)の缶が高く積まれる様は、見ていて面白かったです。


15日(火) 拉致被害者5人、一時帰国。正直な話、灯台はこんなに早く帰国が果たされるとは思っていませんでした。いくら子供を 人質に取ってるとは言え、自分達のコントロールの外に出した時、北朝鮮にとってまずい言動を取らない保証はどこにもないわけですから。

 まして、拉致被害者は北朝鮮にとっては最大のカード。これをチラつかせながら、少しでも日 本から多くの金を引き出そうとするのが、いつものあの国のやり方です。それをしなかったと言うことは、今の北には交渉を長引かせる余裕はないのでしょう ね。何が何でも年内に1000億円位は日本政府から引っ張らないと、年が越せない。そのためには、拉致被害者の一時帰国でも何でも認める、と。

 今回の日朝交渉は、外務省の田中某が小泉に吹き込んだ楽観論から出発しているのですが、彼 は同時に北にも楽観論を吹き込んでいるはずで、それに踊ってしまったのかな。日本の援助を前提にあれこれやってしまい、今さら援助が来ないでは済まない所 まで、北は行ってしまった気がする。ケガの功名と言う奴ですか。
 
 「誘拐して、拉致して、殺してしまう!!」。おお、威勢がいいねえ。さすが小泉。どうせなら衆院 補選の応援演説なんかじゃなくて、北朝鮮行った時に金正日に向かって言って欲しかったねえ。被害者の家族と会った時には、蚊の鳴くような声でしか話せな かったくせにさ。


14日(月) 今日も7時に起床。7:40頃に豊橋駅に行くと、「さくら・はやぶさ」が通過して行った。東海道線で2駅上って、新 所原から天龍浜名湖線。ここは二俣線時代に乗ったけど、あれもずいぶん昔だなあ。1両編成のディーゼルカーに乗る。右手に浜名湖を見ながら。ただ、第三セ クターになって、駅を増やしたりしたけれど、やっぱり経営は苦しいらしい。沿線に家はそこそこあるけど、車社会ではね。

 1時間15分程で西鹿島。ここで遠州鉄道に乗り換え。古い西武線の車両も止まってたけど、ホームで待っていたのは遠鉄オリジナルらしい2 両編成だった。ここからは浜松へ向けて、南へ一直線。最初は空いていた車両も、段々と混んで来た。地方私鉄で12分ネットの運転は大したもんだと思うし、 それを支えるだけの沿線人口もあるってことか。

 浜松でJRに乗り換え。実は今日は朝飯を食べてなくて、ここでウナギ弁当を買おうと思ったんだけど、ホームでは売ってなかった。昔はあっ たのになあ。こんなことなら、改札通る前に買っとくんだった。仕方なく、キオスクでパンを買って電車に乗り込む。2時間弱のコンボイ。

 
左:遠州鉄道 右:岳南鉄道

 吉原着は12時ちょっと前。天気はいいんだけど、透明度が悪くて富士山が見えないのは残念。吉原駅の周りは工業地帯。駅前はラーメン屋と パン屋と酒屋が1軒ずつ。殺風景だねえ。ここで岳南鉄道に乗り換え。終点までは350円だけど、土日祝は全線フリーキップが400円なので、こちらを買 う。平日は定期客がいても、週末はお客がいないので苦肉の策か。1両の電車に揺られて富士の裾野旅へ。2つ目の本吉原の辺りが中心地で、住宅が立ち並んで いる。ただ、チラっと見えた商店街はずいぶんシャッターが降りていた。ロードサイド店に客を持って行かれたか。ただ、この辺でも、青空の中に高い煙突が何 本も伸びていて、白い煙を吹いているのが見慣れぬ風景。もう少し行くと、何十両の貨車が止まっていたり、架線の上を何十本ものパイプが横断していたり、こ の線が工業路線である事を思い知らされる。ただ、輸送の大部分はトラックに移り、ここも経営が苦しいらしいけど。あと、解体費用がないのか、測線に使われ なくなった車両が朽ち果てつつあるのは、ちょっと辛いね。

 吉原に戻り、再び東海道線を上る。熱海で小休止。駅弁を買って伊東線に乗り込む。伊東の先、下田までが今日最後の乗りつぶし、伊豆急行。 伊豆高原を過ぎるとお客も減り、ボックスを占領して意外と深い伊豆の山々や台風の影響で波の洗い海を眺める。やっと車窓をのんびり楽しめるなあ。15: 37下田着。ああ、終った。もっとも、東京まではまだ3時間かかるけど。折り返しまで30分あるので、土産物屋で2萬ヒットの賞品を探す。


13日(日) 7時に起床。今日も良い天気。昨夜コンビニで買っておいた朝食を食べ、7:30にチェックアウト。岡谷駅へ。この時 間の岡谷駅は、上り下りとも7・8分おきに走ってる。今日は日曜だから空いてるけど、平日は高校生でごった返すんだろうな。松本〜塩尻〜岡谷〜諏訪は、人 の往来が多いのか。

 塩尻で中央西線に乗り換え。2両編成にほぼ座席を埋める客。狭い木曽谷を西へ。2時間程で中津川着。40分程の休憩。中津川と言えば栗の お菓子。改札口横の観光案内所では、市内の和菓子屋7〜8軒の栗きんとんを売っていた。その中から信玄堂のを買う。と言うのは、ここだけ4個入りだったか ら。他は6個入り。1人で食べるには6個は多いし、値段も高いから(1個200円くらい)。

 それから名古屋行きの快速に乗り、1時間程で勝川着。ここで東海交通事業に乗り換え。ここは設備はJR東海の持ち物だけど、運営は東海交 通事業という会社がやってる。JR東海が運営するより運賃を高く出来るから、ということらしいけど、輸送密度が500人/kmに満たないのでは、どこが やっても赤字は確実だよなあ。

 さて、JRの改札を出て線路沿いに歩いて行くと、向こうからやって来た高架が突然途切れていて (写真)、そこが東海交通事業の勝川駅。乗り継ぎ時間は10分ちょっとあったけど、結構キツかった。しかも、3階位の高さにあるホームには階段が通じてい るだけで、エレベーターなんてなし。客のことなんか考えてないな。ついでに言えば、キップの自動販売機もなし。精算はすべて車内。

 枇杷島までは16分。途中、お客の入れ代わりはあったけど、お客の合計が10人を超す事はなかった。ここまで客が少なく全線複線・高架な んだよね。やれやれ。枇杷島着は12時。JRに乗り換えて金山に出、名鉄で新安城へ。ここからの名鉄西尾線は未乗区間。ひたすら南へ向かう道。沿線は基本 的に住宅地。西尾で15分待ち合わせ。駅ビルにはスーパーとか入っているけど、お客は閑散。ここからは蒲郡線。吉良吉田で三河線に乗り換え。三河線は吉良 吉田−碧南が未乗区間。ここは1時間1本しか列車がなく、しかも(昔は電化されてたようだけど)単行のディーゼルが走ってる。

 沿線、結構家はあるんだけどね。もう、生活は全て車に移行してしまったんだろうなあ。30分で碧南。すぐに折り返して再び吉良吉田に戻 り、蒲郡線に乗り換えて蒲郡を目指す。新安城−吉良吉田の西側(さっき乗った三河線側)は平坦だけど、東側(今乗ってる辺り)は山が多いし、と思ったら海 が見えたりとか、景色は変化に富んでる。

 
左:名鉄三河線(吉良吉田−碧南) 右:豊橋鉄道市内線

 蒲郡からJRに乗り換えて豊橋着は16時前。今度は豊橋鉄道市内線に乗る。乗り場に行ったらちょうど電車が出て行った所で、次の電車は終 点まで行かず、更に次は5分遅れ。ついてないなあ。乗った電車は遅れて来るだけあって、運転手が下手くそだった。加減速は遅い(そのくせ発車のショックは 大きい)、止まってからドアを開けたり、乗降が終ってからドアを閉めるのが遅い。もうちょっとマシなのに運転させたら。さて、豊鉄市内線は先が2つに分か れているので、全部乗るのは結構面倒だった。豊橋駅前に戻ったのは17時過ぎ。JRの駅ビルの横にある豊鉄新豊橋駅の小さな駅舎に行くと、1面1線のホー ムから電車が出て行った所。やれやれ。15分後の電車に乗り、日の暮れた中を三河田原へ。これで今日のノルマはおしまいっと。しかし、三河田原駅の売店が キオスクなのにはびっくり。私鉄なんだから、普通は自社資本だよねえ。

 豊橋に戻ったのは19時頃。駅前のビジネスホテルにチェックインし、駅前の焼鳥屋で夕飯。


12日(土) 立川のウインズ寄った後、「鉄道の日記念きっぷ(JRの鈍行3日間乗り放題)」で西へ。3連休の初日だけあって、追 い抜いて行く特急には何人もの立ち客。こちらも結構混んでる。

 16:20、岡谷着。岡谷は今まで何度か途中下車してるけど、駅前の東急ストアくらいしか行っていなかった。今日の宿は東急ストア裏手の ホテル岡谷。そこへ向かって歩いていたら、中々きれいな商店街に出た。長さは200m位だけど、歩道はタイル張り。街灯も洒落てる。何より、店の建物がど れも新しい。

 今日はどこも宿が満員で、ここもやっと見つけた。6畳和室、バスは大浴場利用と言う部屋。年輩の長期出張者向けなのかな。まあ、1泊だ し、4,500円なら文句ないけどね。ちょっと休憩してから、駅に戻り、飯田線で伊那へ向かう。伊那市着18時。2年半ぶりの伊那の駅前は再開発中らし く、ちょうど取り壊しが終った所でサッパリしていた。いつものように「潮」に行き、きたない店の中でビールとうしお煮とローメン。何か味が変わったように 思えたのは気のせい? でも、相変わらずトロトロのうしお煮(モツ煮)は美味だった。

 伊那市から再び飯田線に乗って、岡谷に戻ったのは20時過ぎ。ホテルの展望浴場で風呂。6階建てはこの辺では高いけど、何せ街が小さいの で、夜景と言っても迫力には欠けるなあ。お湯も熱くて、あんまりゆっくり入れなかったし。部屋に戻り、さっきコンビニで買ったビールを傾けながら、お休み なさい。


11日(金) 先週末の東北行きで気が付いたこと。

 高校生の髪が黒い。東京では、今や髪を染めていない女子高生を見つけるのは至難の業です が、青森では染めてる娘は1人もいなかった。校則が厳しいんでしょうけど、新鮮だった。校則が全くない学校を卒業した身としては、校則で縛るのはあんまり 好きではないのですが、縛りがないからと付和雷同で全員が染めるのは困ったもんだと思います。自分なりの確固たる価値観がないと、肩書きやブランドに頼っ たり、盲目的に大勢に従うのが人間ですから。

 この時期に西日本のローカル線を旅すると、青い空と稲穂の黄金と柿の赤のコントラストが目 を楽しませてくれますが、東北には柿の木はありませんでした。まあ、青森では林檎の赤が楽しめましたが。狭い国でも、北と南ではやはり違いますね。

 今回乗った各駅停車は全て、701系(オールステンレス、3ドア、ロングシート)でした。 旧国鉄時代の車両は完全に淘汰されたみたいですね。

 昔の鉄道車両はやたらと頑丈に作ってあって、30年40年使えましたが、反面、30年前に は時代の先端だったアコモデーションも、時間が経つにつれ陳腐化して行く問題点がありました。最近の車両は、「寿命半分、値段半分、維持費半分」をモッ トーに開発されているので、ローカル線でも新車が走る(まだ寿命がある都会のお古がローカル線に投入される事がない)ので、利用者にとっては良いことだと 思います。また、1種類の車両で統一されれば、メンテナンスも楽になりますから(昔は古い車両から新しい車両までが混在していたので、メンテ大変だったよ うです)。

 ただ、旅の風情はなくなりましたね。ロングシートじゃ、駅弁にビールもやりにくい。鉄分の 濃い人間には、辛い時代です。


10日(木) どっかの誰かが「六本木心中」をカヴァーしたらしく、コンビニなんかで時折耳にしますが、これが情けないくらい下手 くそ。過去の名曲をカヴァーするのはいいんだけど、その曲に相応しいレベルの歌い手を使ってくれ、と思いますね。


9日(水) カミオカンデの小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞しました。100年を超えたノーベル賞を見ると、物理学賞は初期 の頃はいかにも天才が受賞していた訳ですが、最近の物理学はビッグサイエンスになっていて、プロジェクトマネージャの資質が問われる時代になったようで す。サイエンティストとしての能力は当然のこと、加えて企画やら予算獲得やらの能力ですね。

 その点、田中耕一氏が受賞した化学賞分野では、まだまだ裏ワザや隠しキャラが残されている みたいです。


8日(火) つくばエクスプレス(常磐新線:秋葉原−つくば)の開業が、2005年だか06年だかに決まったようです。当初の予 定から5年以上遅れましたが、めでたいことではありましょう。で、今になって「開業しても赤字になりそう」と言う話が持ち上がっている、と。

 つくばエクスプレスの沿線人口は、東京を除けば約100万人。今までは1日の利用者を60 万人(注:1人が学校や会社への行き帰りに利用すれば「2人」と勘定される)とおいて損益計算をしていたが、冷静に考えればそんなに利用される訳がない。

 例えば柏市は人口約35万人で、沿線では一番大きいのですが、人口の多くは常磐線の北柏、 柏、南柏駅の周りに住んでます。つくばエクスプレスの経路は市街の外れなので、新線開業による住宅増を考えても、つくばエクスプレスの駅のほうが常磐線の 既存駅より便利な人は、せいぜい5〜6万人と言ったところでしょう。

 筑波地区にある各種の研究所へ行く人のため、東京−筑波の高速バスは次から次と続行運転し ていますが、例えば1日150往復のバスが1台40人の乗客を乗せていて、これが全てつくばエクスプレスに移ったとしても1.2万人にしかなりません。

 そうこうしながら考えると、1日の利用者数は当初予想の半分くらいになりそうです。そりゃ 赤字にもなるよなあ。

 鉄道は作るのに金がかかります。土地・設備一切が無償譲渡されて営業黒字だけ確保すれば良 いのであれば、あるいはケーブルカーのような100%観光路線であればともかく、一般の路線で建設費を償却しなければならない場合、それが可能な利用者が 見込まれながら、まだ鉄道(モノレールや新交通システムを含む)の無い場所と言うのは、日本には「幕張本郷−海浜幕張−幕張メッセ−マリンスタジアム」し か残っていない、と言うのが灯台の見解です。

 従って、新しく鉄道を作れば、後に償却できない建設費の山が残ります。最初からそれが分 かっていたらGoサインは出ませんが、それではゼネコンが儲からないので、何がなんでも鉄道を作ろうとすると、実際には不可能な利用者数をはじき、黒字と 強弁して作るしかありません。しかし、計画段階では数字のゴマカシも効きますが、出来てしまった後の実際の利用者数は、ゴマカシは効きません。今回は、そ れは少し早めに出た、と。

 この構図は鉄道に限ったことではありません。高速道路でも空港でも同じです。本四架橋や東 京湾横断道の、事前の交通量の予測と実際の数値の乖離を見れば明らかです。現在建設中の静岡空港では、県議会における「県東部の住民は羽田を、県西部の住 民は名古屋を使った方が便利で、とても県の主張するような利用者数が確保できるとは思えない」と言う質問に対し、知事からは「静岡県民の愛県精神に期待す る」と言う迷答弁がなされています。愛県精神によって、開業後の赤字は我慢してくれ、と言う事なのでしょう。


7日(月) 日経平均8688円か。歴史ってのは、その中にいる人にとっては良く見えないものなのでなんとも言えませんが、振り 返って見た時、今日が歴史の転換点の最初の1日だった可能性はありますね。


6日(日) 7時に目が覚めたので露天風呂へ。あ〜、極楽。朝食後、記念写真を撮って解散。楽しい集まりでありました。

 駅までどうやって出ようかなあ、と思っていたら、臨時へな号(軽)の運転手に雇われたので、へなさんを助手席に乗せて大曲へ。大曲着 10:30。先週の桃岩閉所で疲れているへなさんは、さすがに早く帰りたいとの事で、指定席を次の新幹線のに交換。で、発車まで30分あるのでコーヒーを 一杯。

 さて、「こまち」乗車。へなさんは指定席なんだけど(灯台は周遊キップなので田沢湖までは自由席がタダ。よって自由席)、まあ盛岡までは 空いてるだろうと言う事で、へなさんも自由席へ。そしたら、深沢御一家も乗ってました。ちのchan号で秋田に出た後、疲れたので帰ろうと言う事になった とか。

 秋田まで1時間は、車内販売のびぃるを飲みながらあれこれ雑談。12:08、盛岡着。指定席へ移ったへなさんをホームを走ってお見送りし た後、灯台は途中下車。駅ビルの地下で冷麺の昼食。やっぱり盛岡の冷麺は美味いねえ。

 さて、どうしようかなあ。盛岡競馬場は以前行った事があるからMustではないし。。。風邪気味でもあるし帰るか。会社への土産に南部せ んべいを買って、13:09の「やまびこ」で東京へ。上野着は15:30。


5日(土) 7時少し前に起床。まあまあ良い天気だ。昨日コンビニで買っておいたパンとジュースで朝食。それから荷物をまとめ、 7:15にチェックアウト。弘南鉄道の中央弘前駅へ。弘南鉄道は弘南線と大鰐線があって、前者はJR弘前駅と共同なのに対し、後者は弘前駅とは離れてい る。多分、昔は別の会社だったのが、戦争中にでも合併したんだろうなあ。ただ、JR弘前駅は街外れにあるので、ロケーション的には中央弘前の方が良い。と 言っても、駅の周りにはあんまり商店とか飲み屋とかはなし。まあ、朝夕30分毎、昼間60分毎の列車頻度じゃ、駅の近くでも儲からないか。

 7:30、小さな駅舎を後にし、大鰐へ。平日なら高校生で混雑するんだろうけど、今日は土曜日とあってガラガラ。市街地を抜ければ田んぼ とリンゴ畑なのは昨日と同じ。岩木山の山頂に雲がかかっているのも昨日と同じ。

 30分で大鰐。ここはJRと同じ駅なんだけど、弘南鉄道とJRは出口が別々。昨日の津軽鉄 道もそうだった(弘前駅も同様)。乗客数はそんなにいないんだから、出改札はJRに依託する方がコストダウンになると思うんだけど、何故なんだろう。関東 では、例えば高崎駅(上信電鉄)とかは委託してるけどなあ。

 大鰐(JRは「大鰐温泉」)は温泉街とは言え、大きなホテルがある訳ではなく、駅前も土産物屋が2・3軒。のんびりしてる。20分待っ て、JRで弘前に戻る。キップを買って、今度は弘南線。しかし、ホームから連絡通路へエスカレーターがある のにはびっくり。ローカル私鉄にとっては、かなりの出費だろうになあ。

 弘南線は弘前を出ると東に向かう。平賀に着くと今度は進行方向を北に取り黒石へ。平賀を過 ぎると周囲には家も無くなり、田んぼとリンゴの景色が広がる。そして岩木山。天気も良いし長閑だねえ。30分で黒石着。20年以上前に当時の国鉄黒石線 (川部−黒石)でここには来た。その後、赤字だった黒石線は廃止対象に上がり、一度は弘南鉄道に移譲されたけれど、赤字は止まらず結局廃止に。黒石線の名 残りがないか、駅前をウロウロしてみたけど、分らなかった。

 20分待って再び弘南線に乗り、2つ目の田舎舘で下車。まあ、見事なくらいの無人駅。ここ から歩いて15分くらいで、「弥生の里」と言う道の駅があり、そのうらが岩手県競馬の場外馬券売り場(テレトラックつがる)。周囲は田んぼとあって、見晴 しが良い。数km離れた所にジャスコとかあるので、もっとまとめれば集客の相乗効果もあるだろうに。

 さて、「弥生の里」はトイレ、レストラン、売店のお約束以外に、子供が遊べる様な施設がい くつもある(お金取られるけど)。ただ、今の季節はいいけど冬とかは使えないし、チト問題なのでは? さて、「弥生の里」の裏に回り、広い駐車場を横切る とテレトラック。ここは2階建てで、1・2階をブチ抜いて600人くらい座れる階段状のホールがあり、前には大きな画面がある。で、2Fが岩手県競馬の馬 券売り場、1FがJRAの馬券売り場・田舎舘場外。もっとも、馬券を売るのは特別3レースだけなんだけど。ともあれ、ビールを引っ掛けて馬券を購入し、再 び田舎舘の駅に戻る。

 弘前に戻って昼飯。弘前って、駅の周りは何もないんだよね。ドムドムが土曜日はセットメニューが350円と言うので、お好み焼きバーガー セットを食べる。それから鈍行に乗り、青森・秋田県境を目指す。しかし、701系の電車は悪くはないんだけど、ロングシートは何とかならないかなあ。 13:09大館着。大館と言えば比内鶏だけど、専門店は駅から離れてるし(大館駅は市街の中心から離れてる)14時までだからなあ。

 で、駅から歩いて5分位のジャスコへ。結構道は広く、道の両側は歩道と商店。でも、シャッターが閉まっている店が多い。で、ジャスコの並 びにはロードサイド店が並んでいる。結局、ロードサイド店が栄え、古い商店街が衰退する、日本全国どこにでも見られる光景か。さて、ジャスコに入る。中に は食べ物屋が5〜6軒あるので、比内鶏メニューがあるかなぁ思ったけど、なかった。値段的に、他のメニューと釣り合わないか。ただ、店の中には比内鶏は 売っていて、やはり地元。

 大館駅に戻り、ビールと鶏飯を買って、特急「かもしか4号」に乗車。秋田まで80分。マターリと過ごす。秋田では駅ビルの中のドトールで コーヒーを1杯。それから暮れかけた空の下を羽後境へ。羽後境では深澤御一家と一緒に宿の迎えのワンボックスに乗車。唐松温泉へ。思ったより大きな宿で びっくり。玄関には「ばこばこ銭箱の会御一行様」。オイオイ。

 参加者20数人。楽しい宴会でした。ぶーさん、ユミックスさん手作りのきりたんぽ(比内鶏)が美味でした。おかわりしたのは灯台です。子 供も6人くらい来ていて、子供のコミュニティが出来つつあるのは面白かった。風呂も、露天が広くてよかったっす。次回は氷見か。ブリが楽しみ。


4日(金) 目が覚めたら八戸だった。窓の外には、12月開業の新幹線のホーム。あと2ヶ月か。7:16、三沢着。改札を出て、 階段を降り、JRの駅舎のすぐ横の十和田観光電鉄の駅舎へ。昭和30年頃に建てられたであろう駅舎は、何とも言えぬ風情を醸し出している。キップを買って 乗車。平日とあって、2両編成の電車は高校生で一杯。

 
左:十和田観光電鉄三沢駅の駅舎 右:もうすぐなくなる旧東急車両

 三沢を出てしばらくは農村地帯。刈り入れの時期を迎えた稲穂がきれい。沿線にはいくつか高校があるらしく、最寄り駅に停車するとゴソっと 高校生が下車。天気は曇り。そして、向こうの方は真っ黒な雲。雨が振らなきゃ良いけどなあ。

 終点の十和田市が近づくにつれ、駅の間隔が短くなり、家の数が増えて来た。十和田市って、思ったより大きな街なんだな。7:53、30分 の旅で十和田市着。ホームの階段を上がり、連絡通路を渡ると、駅横のダイエーの2階につながっていて、そこが出口。折り返しまで15分くらいあるので、改 札口前に展示してあった昔の写真を見たり、記念キップを買ったり(今まで使っていた車両がもうすぐ廃止になり、新しい車両(と言っても東急のお古みたいだ けど)がもうすぐ入るらしい)。

 それから改札を通り、再びホームへ。と、いつの間にか激しい俄か雨になっていた。発車時刻が近づくに連れて高校生が乗って来るのだが、み んなズブ濡れ。ご愁傷様。高校生達を最寄り駅で降ろしながら、電車は三沢へ。と、平行する道路を、20人くらいの幼稚園児を乗せたマイクロバスが行く。こ の辺じゃ、幼稚園児は鉄道ではなく車かあ、と思って見てたんだけど、三沢に着いてみたら、さっきのマイクロバスから降りた幼稚園児達がゾロゾロと十和田観 光電鉄の方へ。地元自治体の補助を受けた遠足だったのかなあ。

 さて、まだ朝飯を食べてないので、十和田観光電鉄の駅舎内にある駅ソバで朝食。雨は小降りになったので、そのあと駅の周りをブラブラ。 もっとも、コンビニが1軒と、ラーメン屋が3軒(開店は11時。どの店も、「学生50円引き」の表示あり)くらい。JRの駅の反対側にも行ってみた。市役 所とかはこっちの方らしいけど、市街地は駅から離れているため、駅前は本当に何もなかった。仕方ないので、待合室でしばらく待つ。9:17、快速「うみね こ」乗車。青森まで1時間。陸奥湾を見るのも久しぶりだなあ。

 駅前の再開発がだいぶ進んだ青森駅に降り立つ。昔、駅前のバラックに入っていた魚市場はどうなったかなあ、と思ったら、駅前の再開発ビル の地下に入っていた。午前5時からの営業も昔と同じ。ビル自体はハイカラで、上階には図書館とかが入っているけど、地下は昔のままで一安心。ここは安くて イキのいいのが揃ってるんだよねえ。観光化された函館朝市なんかよりよっぽど良い。昔はここでホタテとか甘エビとか仕入れて、青函連絡船に乗ったもんだ。 この先も、ずっと残って欲しいもんだ。

 10:40、駅前から競輪場行きの無料送迎バス乗車。この先は、こちら

 津軽新城の駅に着いたのは12:30頃。天気はすっかり良くなった。列車まで30分あるので、駅の近くのスーパーに入って、生鮮食料品売 り場をぶらぶら。タコの頭部を4つ切りにして売ってたのが珍しいかな。川部で乗り換えて、五所川原へ。岩木山は頭に雲を被っていて、優美な姿が見られない のが残念。車窓は、稲穂の黄金と鈴なりのリンゴの赤。

 五所川原着14:15。70分の大休止。市街をぶらぶら。駅前からはアーケードの付いた立派な商店街が延々と伸びてるんだけど、半分くら いの店はシャッターが閉まってる。やっぱり、ロードサイド店にお客を取られてるんだろうなあ。ちょっと良さそうな喫茶店を見つけたので、マンンデリンを1 杯。

 15:25、津軽鉄道乗車。ホーム脇にはボロボロの車両もあるけど、今、実際にお客を運んでるのは新しく入ったディーゼルカー。新車かな あ。そんなお金あるのか? アコモ改造車? ともあれ、2両編成の列車は帰宅する高校生を乗せて津軽平野の北の端を行く。冬に乗れば又イメージも違うのだ ろうけど、長閑な秋の日に行く分には、太宰治の作品の暗いイメージはない。津軽中里16:02。駅前は何もないけど、駅舎は農協ストアになっているので、 中に入る。やっぱり、そんなに珍しい物はないか。20分で折り返し。普通に考えると、これ位の時間の方が帰宅の高校生は多い様な気がするんだけど、実際は 往路の方が、乗っていた列車も反対側の列車も高校生が多かった。この列車には数える程。そろそろ夕闇が迫って来た。とある小さな無人駅で、ホームの小さな 待合室の入口の所に、裸電球がポツンと光っているのを見て、昔鉄ちゃんしていた頃を思い出した。最近は都会の私鉄ばっかり乗ってて、旅情とは無縁だったも んなあ。やっぱり、こういう旅はいいなあ。

 五所川原では待合室で40分程待って、弘前行きに乗る。外は既に暗い。秋の日はつるべ落とし、か。弘前着18:26。ホテルにチェックイ ンし、ホテルの2階の店で一杯。津軽新城駅近くのスーパーで見た、タコの頭の刺身を注文。柔らかくて中々美味しい。


3日(木) イワシの漁獲量がものすごく減ってるそうです。数十年の周期で見られる現象で、理由は不明。この先、5〜10年はイ ワシは高級魚になるかも知れません。食べるなら今のうち。

 仕事を終え、一旦家に帰り、食事とシャワーを済ませて出発。上野22時過ぎの「はくつ る」。灯台の世代だと「はくつる」=583系電車寝台と言うイメージがあるので、24系25型はちょっと違和感。しかし、24系もずいぶんと車齢が古く なったなあ。もう、30年以上走っている訳だけど、最近は寝台も人気ないし、今更新車を作る気もないってことか(サンライズ型も、瀬戸/出雲に投入後は製 作されてないし)。

 さて、今夜は「ゴロンとシート」。「サンライズ瀬戸/出雲」のカーペットカーみたいなのか と思ったら、車両は普通の客車2段式寝台で、ただシーツ、毛布、浴衣、スリッパといったサービスがないだけ。これで、特急券だけで乗れる。確かにオトクで 良いんだけど、寝台券の6,000円は、「シーツ、毛布、浴衣、スリッパ」に相当する訳? それって、「寝台」と言うシステムの否定になると思うんだけ ど。

 とまれ、「ゆうづる」も11月一杯で廃止。ゴチャゴチャ言う意味もないか。


2日(水) 三菱重工長崎造船所で建造中の大型客船が火事になりました。完成すれば、アラスカでクルーズするはずだったとか。こ んな船、乗ろうと思ったら1日当たり10万円でもきかないだろうなあ。でも、一度は豪華客船クルーズをやってみたいのも確か。


1日(火) 会社から「帰って良い」とのお達しが出たので、16時半に会社を出ました。灯台が家に帰り着いた直後から、常磐線は 断続的に停まっているので、さっさと帰って正解でした。

 灯台は赤字必至と見ていたW杯ですが、結局黒字だったそうです。為替が予想より円安に振れ たのが大きかったみたいですね。お役所から天下って来た人達は、これで退職金が出る、とホッとしている事でしょう。ご同慶の至り。ただ、TOTOはW杯の 盛り上がりを享受できず、最近は7〜8億と最盛期の1/4の売り上げ。今年度は赤字か。