徒 然 草  1999年10月

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31日(日) 今日は紅葉見物。最初は軽井沢とも思いましたが、天気も冴えないし、近場と言う事で東北道を北へ。宇都宮IC頭に8kmの渋滞。日光へ行く車かな。鹿沼で一旦降りてやり過ごす。西那須野塩原ICでは、出口渋滞が本線上500m。こちらは塩原温泉から日塩もみじライン組でしょうか。

 那須ICで降りる。道は結構渋滞していて、これは元湯からロープウェイ方面に行ったらハマるかな。で、一軒茶谷屋で左折して、板室温泉の奥にある深山湖(人造湖)を目指す。いやあ、ドンピシャで素晴しい紅葉にブチ当たりました。しかも、観光客は数えるほど。穴場穴場。ただ、曇っていたので写真はサエないだろうな。こればっかりはしょうがない。

 「板室温泉のゆ グリーングリーン(400円)」に入ってから、最近出来た「ステンドグラス美術館」へ。ここは19世紀末のステンドグラスを集めていて、通常見るようなステンドグラスとは比べ物にならない精緻な物が展示されています。一見の価値あり。

 帰りの東北道は羽生を頭に渋滞35km(80分)。栃木で降りて裏道を突っ走り、1時間で加須IC(注:土地カンの無い人が日暮れ後にこのルートを抜けようとすると迷子になります)。


30日(土) 天皇賞の馬券を買ってから上野へ。国立西洋美術館でオルセー美術館展を見ました。あんまり大したことなかったなあ。玉石混合の上に石が多い。有名な画家の絵もそれなりに来てるけど、大家の作品が全て傑作とはかぎらんもんなあ。口直しに国立博物館へ。リニューアル記念で色々と特別展をやっていて、こっちの方が面白かった。

 ちなみに、西洋美術館はこの春にリニューアルオープン。国立科学博物館も、古い建物を一部壊して建て替え中。まあ、もう少しすれば国の予算はどうにもこうにもなくなるから、今のうちに、と言うのは正解でしょう。

 さて、上野公園の中を歩いていて、ハトにエサでもやるか、とピーナッツを買ったら、ハトがどっと押し寄せてきました。体育の日の連休の時には、エサをくれる観光客が多くて満腹なのか、見向きもしないやつが多かったのですが、今日はハラが減ってるのか襲いかかってくる。頭の上、肩の上、あるいは手首の上に止まって直接マメの袋を狙う奴。これから寒くなると観光客はますます減るし、ハトも大変だなあ。

 そして、公園のすみではスーツを着たおっさんがマイク片手にわめいていました。「キリストと共に・・・」「神の国は・・・」。横にはキーボード。賛美歌用かな。女性も何人か控えていたし。そしておっさんの前には、このご近所でテント生活をしていると思われる方々が200人くらい、ボサっと突っ立っている。おっさんは完全に自分の言葉に酔いしれていて、トリップしたかの如く機関銃のように言葉を発している。前の方々は完全にシラフで、「うっせえなあ。キリストなんてどうでもいいから、早く何かくれ」と言う表情。本人は自分の興味ある事に真剣になっているんだけど、距離を置いて見ている身としては何とも。


29日(金) 裏ページ(別に女の子のハダカがあるわけではなく、クラス会用のページですが)作りで、結構大変。
28日(木) 有休を取って、東京モーターショーへ。お正月が来たらお餅を食べるように、2年に1度のモーターショーが来たら幕張に行くものでしょう。久しぶりにバイクにまたがって(モーターショーは4輪だけでなく2輪もあるのです)楽しかった。

 一番面白かったのは、実は特別展示の「日本のクルマの100年」。ホンダS800、スカイライン2000GTと言った、日本がまだ若かった頃の理想に燃えた車が展示してありました。今の車は洗練はされていますが、パンドラの箱は既に閉じられたのかも知れません。
 また、戦後、雨後のタケノコの如く現われたバイクメーカーがホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの4社に絞られて行く様は、今の4輪業界にオーバーラップしそうでし。

 さて、肝心の展示。どこのメーカーも、さすがに金をかけてました。ここでショボクレた展示なんかしたら、何書かれるか分からんもんなあ。4輪で一番センスが良かったのはホンダかな。トヨタはオーソドックスにして「金持ちケンカせず」の世界。日産のブースの隅では、ゴーンちゃんがTVの中からたどたどしい日本語で「キョウハ トウキョウ モーター ショ ニ オコシイタダキ アリガトゴザイマス」と話かけていました。今回の日産のテーマは「ニッサン・ルネッサンス」。なかなか奥が深い。

 さてさて、次回は2001年。21世紀最初のモーターショーに、今日出展していたメーカーの果たして幾つが生き残っているでしょう?


27日(水) 帰り、駅に行ったら常磐線が止まっていた。結局、動き出したのは1時間半後。まあ、その間、モスバーガーや本屋で時間つぶししたので、そんなには退屈しなかったけど。
26日(火) 昨日は午前中時間があったので、JR熱田駅で降りて、名鉄神宮前駅との間に広がる商店街をブラブラ。アーケードもある立派な商店街だけど、半数の店はシャッターを降ろしている。定休日の店もあるのだろうけど、「休業のお知らせ」みたいな紙が貼ってある店も多い。何年か前に来た時は、こんなことはなかったけど。ここもまた、「商店街の衰退」か。
25日(月) 名古屋でお仕事。終わって家に戻ったのは23時半。はあ。
24日(日) 今日も良い天気。純ちゃん家が先に帰った後、残った村長家、のんのん、堀田君、灯台で鉄道公園へ。SLや新幹線0系の静態保存があって、灯台は面白かったけど、堀田君はどうだったか。

 てんむすの体調が悪いと言う事で村長家が先に帰り、残った3人はぷらぷらしながら、喫茶「夏への扉」へ。昭和30年頃には太陽族がぶぃぶぃ言わせていたであろう店内は、中々レトロで不思議な気分。シナモンの効いたチャイでホッと一息。

 現在青梅市は「昭和レトロ」で売出し中との事で、市内にはあちこちに昔の映画(エデンの東、風と共に去りぬ、月光仮面 etc. etc.)の看板がかかっている。その中を歩きながら、昨日オープンと言う小さな博物館に立ち寄る。昔の薬の箱や遊び道具(メンコとか)マッチなどなどが古い民家を改造した所に展示されていて、ひとときのタイムトリップを体験しました。

 さて、この後バンドの練習があるのんのんと名古屋へいかねばならない灯台は、この辺で駅へ。はるばる奈良から来た堀田君は、もう少し散策して行くとの事。青梅線の車内では四方山話。現在「トレイング2000」にチャレンジしているのんのんと国鉄を完乗した灯台なので、鉄道の話やらブラスバンドの話(灯台は、楽器はできないけれどクラシックは聞くので、ヤナーチェックやバルトークくらいは話を合わせられます)。面白かった。

 立川でのんのんと分かれ、八王子経由で新横浜へ。新幹線に乗り換えて名古屋。さらに名鉄で岩倉。待ち合わせよりちょっと早く着いたので、駅の周りをウロウロ。駅の東側は細い路地に面して立ち並ぶ古い家並。灯台が子供の頃を過ごした辺りに良く似ていて、今日はタイムトリップする日だ。駅の西側に回ると、広い道が碁盤の目になっていて、マンションやテナントビル。あまりのコントラストにちょっと戸惑う。

 で、久しぶりに帯広YHのOG、ともちゃんと再開。あきちゃんの結婚式以来だから2年ぶりかな。名古屋名物「みそ煮込みうどん」を食べて、喫茶店でお茶。「あれから15年だねえ」「最近会ってないけど、みんなどうしてるかねえ」。楽しいひとときでした。

 名古屋に戻って、駅前のいつものカプセルホテルへ。ここはきれいだし、お風呂も気持ちいいし、良い所です。お風呂に入って、ではおやすみなさい。


23日(土) まずは柏のそごうで北海道展へ。十勝ワインの「清見」と柳月の「三方六」を買う。六花亭の「マルセイバターサンド」は売り切れ。帯広じゃ六花亭なんて、ただの町のお菓子屋さんなのに、札幌に行けば進物用の菓子舗となり、本州では行列になる。やれやれ。

 その後、東京競馬場に寄ってから青梅へ。今日は村長主催の「ばこばこ銭函の会」。純ちゃん家のあっくんは元気一杯。若いっていいねえ。はるかちゃんも、まだハイハイがどうにかながら、将来が楽しみ。てんむすは、一時よりはマシになったけど、まだ人見知り状態。う〜む。

 純ちゃん家が寝た後、さすらいのトロンボーン奏者・のんのん登場。今までブラバンの練習だったとか。秘蔵の満鉄時刻表(昭和18年)を見せてもらう。こ、これは凄い! この時代の大陸の時刻表は戦火で散逸していて、歴史的な価値も超一級。いやいや、有難いものを見せていただきました。寿命が3年伸びました。そうそう、「清見」は美味しかった。値段が2500円と言うのは何だけど、


22日(金) 長年、旅行用に使っていた布のバックが遂にお亡くなりになったので、新しいのを買ってきました。あのバックも10年以上使ったなあ。円筒形で、バイクのタンデムシートにくくりつけ易そうだったので買ったのですが、数泊の旅行に行くには丁度良いサイズだったので、これを持ってずいぶんあちこち回りました。海外こそ行かなかったものの、北海道から沖縄まで、灯台と一緒に回ったよなあ。今度のバックはどこまで行くのかな。とりあえずは、青梅経由名古屋まで。
21日(木) 昨夜のNHK「クローズアップ現代」で、高校を卒業して進学も就職もしない若者を特集していました。その中の1コマ。夜はコンビニでバイトして昼間は家でテレビゲームをしている息子に向かって父親が話かける(やらせではありますけどね)、「どうだ、やりたい事は見つかったか」「別に」。でもねえ、好きな事、やりたい事ってのは、「見つかる」ものでなく「見つける」ものだからねえ。探してもいないものは見つからないよねえ。
20日(水) 男の新体操があるのは知ってましたが、男のシンクロナイズドスイミングもあるんですな。

 そう言えば、ふと思い出しました。大学の学園祭の時、水泳部の連中が仮装して学内を練り歩きながら、最後はプールに飛び込む、と言うのがありました。で、その時、水泳部の部歌を歌いながら歩くのですが、その歌が旧制高校以来の伝統と言う事で、歌詞は漢文調だし、メロディもスローで、なかなか味のあるものでした。


19日(火) 久しぶりに英会話へ。相変わらず下手やねえ。ただ、ドタバタのカナダ旅行のかいあってか、無理矢理自分の考えを伝えるのだけは上達している。。。
18日(月) 体育の日の連休の時にはTシャツで「暑い暑い」と言っていたのに、今や「寒い寒い」。まあ、良いことですね。

 「春眠暁を覚えず」と言いますが、灯台は秋眠タイプ。秋は眠い。すぐ眠れるし、グッスリ眠れるし、朝が眠い。毎朝、目覚まし時計と格闘です。今朝も、ふと目が覚めたら6時。何だ、まだ寝れるやんと目を閉じたら、次の瞬間に目覚ましが。


17日(日) 相変わらず体調がいま一つで、家でのんびりしてます。たまにはこんな休日も言いか。
16日(土) 今月有効の近くの健康ランドの割引券があったので、そこへ。そしたら福引をやっていて、無料招待券(11月末まで有効)が当たりました。何となく得した気分。
15日(金) 今日の夕刊誌の見出しに「さくら銀行 半数リストラか!」。住友銀行とさくら銀行の合併が発表されたのは昨日ですが、行員1万5千人×2に対し9千3百人を削減する、とのこと。で、業績が悪く事実上吸収されるさくらで新銀行に残れるのは半分ではないか、との記事。さくら銀行の人は、記事は読みたいけど、でも読むのは怖い、と言った気分で家路についたのではないでしょうか。

 就職先を決めるに当たっては、業務内容、適性、給与、福利厚生、勤務地、等々をハカリにかけて決める訳ですが、銀行に就職した人にとって、「安定性」と言うのは大きなファクターだったんじゃないかと思います。その意味で、愕然としている人も多いのでしょうね。

 ただ、高校なり大学なりを卒業して企業に就職して、そのまま定年までいるとすれば30〜40年。就職時に花形産業であっても、定年を迎える頃にはかなりの確率で斜陽化している、というのは歴史が教えるところです。昭和20年代の鉱山(石炭)、以後、繊維、重工業(造船、石油化学)、商社、金融、いずれも時代の花形であった産業ですが、今日は、と言えば・・・。

 そうした歴史の教訓があるのに、それに目を向けなかったのですから、その意味では自業自得かなあ、とも思います。バブルの時には美味しい思いもしたんだしね。いずれにしろ、実力のある人間には転職先はいくらでも転がっているし、会社の肩書きがなければ何も出来ない人間には3K労働くらいしかない、と言う時代なんでしょうね。


14日(木) ちょっと体調不良です。まあ、それはいいのですが、トイレに行ったら軽い貧血になって、数秒フラフラしてしまいました。そうしたら、壁の濃淡(トイレはクリームと灰色の中間みたいな壁紙が使われているのですが、良く見ると濃淡があります。もっとも、今日までそんな事には気づきませんでしたが)が、子供に見えたり、ウルトラセブンに出てくるような宇宙人に見えたり、はたまた天使のように、しかも羽根の部分が動いているようにも見えたり。

 いつもと同じ光景も、受け取る脳ミソの状態ではまるきり違って見えることを実感しました。精神分裂病になれば、これが「現実」になってしまうんだろうなあ。麻薬でトリップするのも同じだし、宗教上の「奇跡」も、集団ヒステリー状態の脳ミソが生み出す幻覚でしょう。


13日(水) 塩尻女史(仮名)から絵葉書が届きました。消印は東神楽。旭川空港で投函したようです。女史から北海道発の絵葉書が届くのは今年3回目か。灯台より1歳年上だというのに、相変わらず元気だなあ。大雪山の望岳台と十勝岳の安政火口に行ったけどナキウサギには遭えず、結局駒止湖まで足を伸ばしたとか。女史は車の免許を持っていないはずだから、多分誰かがアッシーとして捕まったに違いない。思えば憐れな。(お茶会3題の第2話も参照ください)

 また、今日は北海道大学で教鞭を取る友人からもメールが届きました。この週末はトムラウシ山に登っていたとか。テントを担ぎ、時には膝までの雪をラッセルしながら12時間の登りだそうで、灯台より1歳若いとはいえ、いやはや、みんな元気やねえ。


12日(火) 今日も暑いねえ。遅くなりましたが、カナダ旅行記を打ち始めました。まだ途中ですが、「旅の空」からのぞくことができます。
11日(月) 天気も良いしと上野へ。JRの改札口でオルセー美術館展(国立西洋美術館)と芸大美術館所蔵名品展のチケットを買うも、どっちも混んでてまともにみれそうもないし、まあ、いいや。また後日で。で、豆買ってハトにあげてから帰って来ました。

 ぐぅさんによれば、勝沼の赤ワインは輸入ワインを混ぜた物がほとんどとか。確かに、日本の気候には赤ワイン用の品種(カベルネ・ソーヴィニオン、メルロー、ピノ・ノワールetc)の栽培には向いてないし、どんなに醸造技術があっても、いいブドウがなければいいワインはできないもんねえ。巨峰やピオーネは生食には良くても酸味がないから、ワインにすると(昨日飲んでみたけど)甘ったるくって・・・。
 将来は日本の気候にあった赤ワイン用の品種を開発するにしても、それには30年50年かかるし、とりあえずは日本在来種で日本の気候にマッチしている「甲州」を使った白ワインで進んで行くのがいいんじゃないかなあ。確かに今は赤ワインがブームだけど、だからって不味いワインを供給しても・・・。ドイツだって、主流は白なんだし。

 十勝ワインが最初は山に自生している山葡萄を使ったというのも(まあ、十勝の気候はヨーロッパ系のブドウ栽培には寒すぎるからだけど)、示唆に富んでいると思います。


10日(日) ホリデーパスを買って武蔵野線へ。府中本町で降りて、東京競馬場へ。結果は・・・。競馬のページをご覧下さい。

  その後、立川で昼食を取ってから勝沼へ。「葡萄の丘(町営の施設)」の地下のケーブでワインの試飲、試飲、試飲。何種類飲んだかなあ。これは、と言うのをお土産に買って帰って来ました。

 夜はNHKで臨界事故の番組を見る。東海村村長は、自己の決断と責任で350mの避難を決定したのに、茨城県は10kmの屋内退避の決断を(法律に従ったからとはいえ)国にゲタを預け、国(科技庁)は国で、専門委員会にゲタを預け、結果臨界が続いている中で、臨界が続いている事を認識していながら、2時間を浪費した。国民の健康より、自己の責任回避が重いと言う事。


9日(土) 今日はグータラしているうちに終わってしまった。こんな事でいいんだろうか? まあ、たまにはいいでしょう。

 数十億円の累積赤字に悩むMXTV(東京のUHF)のテコ入れに、石原都知事が乗り出すとか。目玉番組が都議会中継と大井競馬じゃ、そりゃ確かに誰も見ないよなあ。で、若い人をターゲットにした番組作り、と言うのはいいけれど、都知事自ら変装して若い人の意見を聞きに街に出るって!? オイオイ、変装しなくったって誰も気付かないって。この程度の認識の人間がテコ入れしたって、良い結果は期待できないよねえ。早く見切りをつけるほうが結局は赤が少なくてすむ、と言うのは「失われた10年」の教訓だと思うのだが。


8日(金) 昨夜は眠くて眠くて、更新もせずにとっとと寝てしまいました。世の中、やっぱり寝るのが1番ですね。
6日(水) 来年は2000年だから2千円札を出すってか!? 2万円札ならともかく、1万円札と5千円札があるところに2千円札を出してもねえ。NEC当たりから袖の下でも渡ったかな?
5日(火) さて、そろそろ帯広会(帯広YHのOB会)の名簿作りもしなくちゃね。クラス会の準備もあるし、何かと忙しい。
4日(月) 臨界事故の続き。事故が起きてから通報まで1時間かかったことを、東海村村長は「遅い!」と言っていましたが、東海村だって通報から有線放送まで1時間かかっているのだから、大差はない。灯台のシャトルミッションでの経験では、予想外の不具合が突発的に起こった場合、2時間位はすぐ経ってしまう訳で、ある意味で大した訓練も受けずに1時間で通報したのは、かなり優秀といえます。

 ただし、それでは間に合わないのが原子力。今回はたまたま爆発が起こらなかったので、重大な被爆は現場作業員だけで済みましたが、爆発してたら正に1分1秒を争う訳で、そうした前提で訓練をしておかねばならない。それを「原子力に対する不安をかきたてる」と言う理由で行われていない国では、何かあったら諦めるしかないんでしょうね。


3日(日) 臨界事故の続き。今回の事故は、現場の作業員が何らかの理由(楽したい、仕事を急がされていたetc)で手順書にない作業をしたもの、と思っていたら、それもあったけど会社としても手順書を勝手に書き換えていたそうな。

 新聞は「部長もサインしていた」事を指摘しているけど、灯台としてはむしろ品質管理・安全管理のセクションが何をやっていたか、に注目してます。そこがしっかりしていれば、現場の暴走を止められるはずだし、そのためにこうしたセクションは体制上、別ラインになっているはずだから。


2日(土) 今日は土浦の花火競技会を見てきました。「競技会」と言うだけあって、各花火会社がとっておきの新作を掛けます。普通の花火大会とは一味違って、見応えがあります。人も凄いですけどね。

 しかし、例年なら「寒い寒い」と言いながら見るのですが、今日はTシャツ1枚。これでも、帰りの電車の中では汗かいてました。明日からは寒気が入って秋らしくなるそうですが。。。


1日(金) 例の臨界事故のおかげで、今日の常磐線は混乱したまま。まあ、原子力発電所と違って基となるウランの絶対量が少ないから、土浦まで影響は及ぶことはないけれど、あそこの敷地はもう使いものにならんやろね。

 今回の事故は、バケツに酸化ウランと硝酸をブチ込んで、それを沈殿漕に流し込んだら臨界になってしまったと言う事らしい。世の中に間抜けなことは多々あれど、これは横綱クラス。多分、いつもの様に手抜き作業をしたら、いつもより濃縮度が高かったんで、臨界に達してしまった、と言う所やろうねえ。自分の目の水晶体で発生したチェレンコフ光が見えたというのだから、常識的に考えて、お気の毒だけど重体の2人は助からないだろうなあ。