徒 然 草  1999年7月

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31日(土) 毎日晴れて暑いですねえ。10時頃には暑さでアパートを焼け出されて、近くの喫茶店でモーニングの朝食。今日は17時に高尾山口で村長と待ち合わせだけど、どうやって時間をつぶそう。で、ホリーデーパス(東京近郊のJR乗り放題きっぷ)買って武蔵野線へ。1時間揺られて西国分寺。そこから中央線で立川。とりあえずWINSに行くも、冷房は全然利いていないし、500円買った馬券は外れるしで早々に退散。駅ビルで中華を食し、本屋で本を仕入れ、高尾のマクドナルドで読書(どうでもいいけど、ここも冷房が利いていなかった)。
 
「日本の宇宙開発」(文春新書):作者はやたらと気合いが入っていますが、それが空回りしていて、読者はシラけます。興味があれば図書館で借りて読めば、と言う程度。

「コンクリートが危ない」(岩波新書):淡々とした筆致の中に、事実だけが持つ説得力があります。山陽新幹線のトンネルは何故落ちたのか。戦前に作られたコンクリート構造物は60年後の今も何の以上もないのに、何故70年代に作られた新幹線や橋やマンションが、あと10年もしないうちに崩壊しようとしているのか、語ってくれています。

 17時からは、高尾山のケーブルカーを降りた所にある「ビアマウント高尾」で宴会。ここまでくると、風も涼しいですね。明治時代、東京の熱帯夜は1年に1日しかなかったそうな。今は年に30日。ちょっと考えさせるものはあります。てんむすはちょいとご機嫌ナナメ。

 帰りの武蔵野線、西浦和あたりから奇麗な花火が見えました。


30日(金) 「たれぱんだ」の絵本を買ってしまいました。好きなんですよ。これ。
29日(木) 1年に灯台がカラオケに行く回数は片手くらいでしょうか。大体は会社の飲み会(歓送迎会とか)の2次会です。たまにしかないとは言え、確実にあるのは事実だし、毎回同じ曲ばかりと言うのも芸がないので、少しづつレパートリーを増やすよう、努力はしてます。
 具体的には、飛行機に乗った時にJ−POP¥チャンネルを聞いて、「いいな」と思えてかつ灯台にも歌えそうな曲をメモっておいて、後でCDを買ってきて聞き込む。最近は、Histeric Blue の「春」をレパートリーに加えるべくしております。現在のレパートリーはと言うと
「春よこい(ユーミン)」「大人になれば(小沢健二)」「島唄(The Boom)」「チェリー(スピッツ)」「石狩晩歌(北原ミレイ)」「愛の言魂(サザン)」・・・。かなり無節操やね。皆様の十八番は?
28日(水) 今夜は月蝕。空には一口かじったオセンベみたいな月が輝いています。
27日(火) 出張中は毎晩早くに眠くなり、朝も早く目が覚める生活でした。帰国してしばらくもそうだったのですが、ここんとこは夜早く眠くなるのに、朝は起きられない。。。
26日(月) サマージャンボ宝くじを買ってきました。いつもの様に連番10枚。ジャンボ宝くじで1等が当たる確率は500万分の1ですから、10枚だと50万分の1。

 6500万年前に恐竜を滅ぼしたのは直径10kmくらいの小惑星の衝突ですが、このサイズの小惑星の衝突は数千万年に1回だそうです。これより小さい直径1kmクラスだと、数百万年に1回とか(この大きさでも、人類絶滅はないにしても、文明の滅亡はあるかも知れない)。人生ン十年として、一生の間にこのサイズの小惑星の衝突に出くわす可能性は数十万分の1。ジャンボの1等に当たるのと同じくらいか。

 ただ、宝くじは1回限りでは無いですからね。ジャンボは年4回だから、10年間10枚づつ買い続ければ、1万2千5百分の1。これくらいだと、当たるかも知れない、と言う気にもなりますね。


25日(日) アパートの階段を上っていたら、黒い虫が。思わず「えい」と踏みつける。彼(女)にしてみれば、「いい季節になったなあ」とくつろいでいた所にいきなりカタストロフが訪れたわけで、割り切れないものがあるかも知れない。
24日(金) 梅雨が開けましたねえ。今日は暑かった(夜風は割合涼しいけど)。部屋を焼け出されたので、国立西洋美術館に行ってきました。美術館は美術品(特に油絵)の保護のため、気温23度、湿度60%くらいに維持されてます。涼みに行くには最適ですね。

 さて、例のハイジャック事件ですが、亡くなった機長はお気の毒でしたが、機体が無事に着陸できたのは不幸中の幸いでした。しかし、素人にやすやすと凶器を持ち込まれてしまう辺りに(犯人は事前に凶器の持ち込み方法をマスコミにメールしてたとか)、この国の危機管理が端的に現われています。北の工作員は、今回の犯人ほど甘くないべ。

 ちなみに、今回の犯人は灯台の中学・高校の後輩に当たるようです。8学年離れているので、面識はありませんが。しかしこの程度の人間を、「超エリート」などと呼ぶのは止めてほしいなあ。本来エリートと言うのは、100万人に1人程度の、頭脳、体力、精神力が図抜けた人間を刺す言葉であって、この程度の人間に付けるべき形容詞ではありません。


23日(金) チアキさんのHPを見ていたら、ハワイでは櫓も組んで盛大にBON-DANCE(盆踊り)を行っているとか。最近の日本の都会では、盆踊りをやっても踊っているのは地元の婦人会の人くらいで、後は回りで見ているだけ。えらい閑散としてます。このまま行くと日本では盆踊りが滅びて、将来の盆踊り研究者は、ハワイやブラジルまで研究に出かけるのかも知れませんねえ。

 もっとも、こう言う現象はそれほど珍しいことでもないみたいです。その昔、京の都で流行ったことは(時代が時代ですから)ゆっくりと同心円状に広がって行く。そして地方まで届いた時には、既に京では流行が終わって無くなっていたけれど、地方ではそれが大事に保存され、後世に伝えられる。イギリスとニュージーランドなんかでも、この関係はあるそうです(古き良きイギリスが、NZに保存されている)。


21日(水) (東芝問題続き)しかし、今回の東芝の対応は不細工でしたねえ。世界に冠たる総合電機メーカーが、インターネットの何たるかも分かっていなかった事を天下に示した訳ですから。しかも、担当者個人の問題に落とし込んで、会社として相手方への謝罪は一切ない。仮処分申請をしたのは担当者じゃなくて東芝だろうが。今後、東芝製品は一切買うまい、と決めた灯台でした。
20日(火) しばらく日本のニュースからご無沙汰していたら、東芝の対応を批判したHPが話題になっていたんですねえ。灯台も昨日見に行きましたが、ヒット数が500万! 結局東芝は、HP掲載中止の仮処分申請をとり下げて謝罪したとか。通常の週刊雑誌の発行数がせいぜい100万部なんだから、500万といえば物凄い数ですよねえ。その上、仕事か趣味でコンピュータを使っていて、しかもインターネットを使っていると言う事は、電機会社からみれば最大のお得意様層になる訳で、そこを敵には回せないと言う事でしょう。
 今まで、大手企業は広告費を武器にマスコミをとり込み、自分に都合が悪い報道をつぶしてきた訳ですが、もうその手法は通用しないと言う事でしょう。
19日(月) 灯台はこれでも、日本人の平均値よりは英語が出来ると思ってるんだけど、それでも出張となると、英語ができずに冷汗かいてます。旅行だったら何とかなるけどね。中学校から大学の教養過程まで、週に3・4時間は英語を習ってたのにね。いかに日本の英語教育がなってないか、の見本でしょう。
 だもんだから、英語を母国語にすべし。小学校から授業は全て英語で。みたいな論議が出て来るわけですが、さすがにちょっと暴論過ぎると灯台は思います。ただまあ、今の英語教育が時間と労力の無駄使いであることも間違いないでしょう。現在、日本人がアメリカの大学に入学するにはTOEFLで一定点をクリアする必要がありますが、これを導入して、そこから逆算して教育を組み立てれば、ずいぶん変わると思いますけどね。
18日(日) 何とか無事に帰って来ました。帰りの飛行機の中で3時間しか眠れなかったので、ちょいと眠い。もっとも、今(18時)寝ると夜中に目が覚めてしまうので、何とか22時頃まで引っ張るとしましょう。

この間の出来事は「ヒューストン出張記」として別途アップしました。


7日(水) 朝起きて、洗濯して、布団を干して、銀行行って、部屋の掃除して、荷造りして、では行ってきます。
6日(火) 山陽新幹線のトンネルでコンクリ片が落ちた事故をきっかけに調査したところ、2000ヶ所超の問題箇所が見つかったとか。でも、山陽新幹線の高架でコンクリ片がボロボロ落ちてるというテレビ番組を十数年前に見た記憶があるから、今に始まった事じゃないよねえ。JRもそれなりに認識はしてたろうけど、事故が起こって「これはヤバイ」ってとこかな。
 工事ってのは一定の金額で請け負うから、手を抜けば抜くほど儲かる。ダムや原発では(何かあれば天文学的な賠償を負うから)さすがにやらないけど、その辺のマンションなんかも結構ヤバいらしい。
5日(月) 7日からアメリカ出張ですが、アメリカの食い物はまずいしカロリーが高い。今日の検診で体重がやばかった事もあり、よし、出張中は自炊だ。で、おコメとカレールーと醤油を買ってきました。あとワンカップさえ買い込めば完璧。肉や野菜は現地で手に入りますが、この辺は手に入らないか、入っても変な奴なので。
4日(日) そろそろ2000年問題も話題になってきましたねえ。もはや手遅れの感もあるけど。個々のシステムの検証はそれなりに行われているかもしれないけど、この手の不具合ってのは、システムとシステムのインタフェースで発生するから。これはもう、その時になってみないと分からんやろなあ。
 2000年の元日は、どこにも行かずに家でゴロゴロだなあ、と思ってます。ライフラインはどれが止まっても不思議はないから、水・食料・(カセットコンロの)ボンベ・電池は買い置きしておいて、電車や高速道路はどうなるか分からないから使わない。ま、酒でもかっくらって寝てるか。
3日(土) いやあ、蒸し暑い1日でした。で、雨の中をついて、Star Wars Episode I の先行上映を見てきました。面白かった!! ただ、この作品でルーカスは自分の作りたい物を作ってますからねえ。ルーカスの琴線にシンクロできないと、個々のエピソードは分かっても、全体として何が何やら分からんだろうなあ。あと、かなり意識的にEpisode IV の場面と似せた場面を作ってました。IV・V・VI を見ないで I を見に行くのは、止めた方がよいでしょう。ところで景気良く伏線をまいてたけど、Episode II・III でちゃんと収拾できるんかなあ。ちょっと心配。ともあれ、かのファンファーレとともに「STAR WARS」の文字が孤空に放たれた瞬間は、年甲斐もなく血が逆流したりして。
 それから、三越美術館最後の展示「ダリ展」を見てきました。こっちも良かったですよ!! ピカソとはまた違った意味で、彼も天才ですね。あの心象風景が人々の心を揺さぶると言う事は、やはり人間の深層心理の底の底には、ああいった風景が広がっているのでしょうねえ。
2日(金) 今日は会社の日帰りレク。バスに乗って、まずは笠間稲荷を参拝。おみくじを引く。「凶 待人きたらず うせ物いでず 病長引きて危うし・・・」。ある意味、当たってるかも知れないなあ。その後は、日本酒の試飲、昼食、益子焼の絵付け、メロンの試食、メロン狩りとやって、夕方会社に戻って来ました。で、ちょこっとメール見て、夕飯食って、400mばかり泳いで、英会話して、帰って来ました。天気は良かったけど、暑かった(途中、バスの冷房が故障、とかもあったし)。
1日(木) いよいよノストラダムス月ですねえ。

 五島勉氏が「ノストラダムスの大予言」を上梓したのは、1970年代初頭と記憶しています。まさかここまで世間の耳目を集めるとは、当の五島氏も想像していなかったでしょうね。それとも、ノストラダムスはその事まで予言していたのかしらん。
 後づけではありますが、なぜノストラダムスがここまでもてはやされたのでしょうか。「大予言」が世に出たのは、69年のアポロ月着陸、70年の大阪万博と言う科学技術のハイライトの影で、公害問題に代表される科学の暗黒面も明らかになり、未来や科学技術が必ずしもバラ色の物ではない、と言う事が明らかにされた時代です。加えて遠い将来ながらも、読者の大部分がまだ生を保っているであろう1999年と言う設定(これが2099年だったら、誰も見向きはしなかっでしょうね)。はたまた、「1999」と言う数字の持つ不安定性。こんな所でしょうか。
 灯台自身はノストラダムスを全然信用していないのですが、ただ、初めて「大予言」に接した時に「遠い未来」と思ったその時が、自分の眼前にやって来た事に、感慨深くあります。