徒 然 草  1999年6月

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30日(水) 昨夜目覚ましをセットし忘れて寝坊するし、家を出ようと思えば雨が降り出すし、駅に着けば電車は10分遅れだし(1本前は定刻だったのに)、エレベーターに乗ろうとすれば3機共上に行っていて中々降りてこないし、何だか歯車がちょこっとズレた1日でした。
29日(火) 今日は「宇宙ステーション利用計画ワークショップ」なる怪しげなものに行っていました(明日もです)。毎年同じ時期に同じ場所(永田町)で行われるので、毎年「暑い暑い」と言いながら参加している気がします。今年は例年よりは涼しいですが、それでも汗かきの灯台は、汗をふきふき通っています。
27日(日) 目が覚めたら土砂降り。あちゃあ。今回、傘を忘れたんだよね。昨夜買おうと思って忘れた。はあ。ホテルを出てバスセンターへ走る。歩いて2分の距離ながら、ズブ濡れ。ハンカチで頭や服を拭きながらひょいと見ると、7時のバスは満員とか。土曜ならともかく、日曜の朝なら空いてるだろうと踏んだんだけどなあ。8時のバスでも間に合うけど、この雨だし、バスが遅れるとやっかいだ。ただ、窓口の人に聞いたら、空いてるかもしれないという。バスが入線した所で確認してもらったら、何とか1席空いていてラッキー。
 道が空いていた事もあり、ほぼ定刻に名古屋着。喫茶店で時間をつぶしてから、今日の結婚記念パーティ会場へ。場所はHISが入っているビルの地下。帯広さんらしいなあ。
 今日のお客さんは帯広さんの旅の関係者揃いと言う事で、アトホームな会でした。帯広YHのOBで一芸と言う事になっていたらしく(もっとも、話は浜松組に行っていて、灯台には来なかった。賢明と言えば賢明な処置)、灯台と○野はピンクとオレンジのエプロンを着せられ、フラダンスもどきを踊らされました。
 記念撮影等もあった後に解散。名古屋駅に戻ったのは15時半。17時の新幹線をとっていたので、時間つぶしに金山の名古屋ボストン美術館へ。ここはボストン美術館のコレクションを交代で展示すると言う物で、名古屋側はコレクションの収集・維持保管がいらないし、ボストン側はお金が入る。考えたといえば考えたもの。今はオープニングという事で、日本人の好きな印象派。玉石混合のではあるけれど、ボストンまでの交通費を考えれば1200円(ただし、金山駅で1000円の割引券を売っている)はまあまあか。新幹線の時間の関係で、ゆっくり出来なかったのは残念。
 名古屋に戻り、新幹線に乗る。西の方の雨で、博多から来る奴は遅れていた。
26日(土) 東京8:51発の週末臨時快速に乗車。雨で行楽客もいないだろうし、ガラガラかなと思ったら結構混んでた。曇り空の下、中央線を西下。終点小淵沢着11:51。学生時代は星見にずいぶん通ったけど、最近は車で行く様になり、この駅で降りるのは久しぶり。駅の回りをふらふら。塩山や勝沼は変わっちまったけど、ここはあんまり変わらないなあ。駅に戻る。天気が良くなって来て、ホームからは富士山の頭が。結構あつい。ここ(標高800m)でこうなら、下界は蒸し風呂かな。小淵沢名物「高原野菜とカツの弁当」を買って鈍行に乗り込む。茅野では八ヶ岳連峰がくっきり。明日もこんな天気だといいけどねえ。
 上諏訪で下車して片倉館へ。築70年。最近流行りの日帰り入浴施設みたいにお洒落ではないけれど、ギリシャ風の大理石の彫刻があったりして歴史を感じさせます。胸までつかる深い浴槽に出たり入ったりして、のんびり。
 再び上諏訪に戻り、列車に乗る。岡谷で乗り換えて飯田線へ。伊那市着は16時。ここは前に会社にいた頃、出張で何度か来た所。駅近くのビジネスホテルに宿を取り、少し仮眠。18時に起き出して夕食へ。いつもの「鍋焼城」にしようかと思ったけど(ここは郷土料理で有名で、どこのガイドブックにも乗っている)、混んでいたので少し先の焼鳥屋へ。鳥刺しと焼鳥と鰯の焼物。伊那は食べ物が美味しいし安いし、良い所。この店も例外じゃないね。店を出て少し町中を歩く。そして「うしお」へ。ここは知る人ぞ知るお店。ビールとうしお煮とローメンを頼む。うしお煮は豚の腸を煮込んだもの。どうやったらこんなに柔らかく煮れるんだろう? ただ、昔より少しアッサリ味になったような。。。ローメンは昔のまま。ハア、食った食った。ホテルに戻る。今日は早起きして眠いし、とっとと寝よう。
25日(金) 「灯台のオフィスはビルの7Fなので、1Fとの行き来はエレベータを使うのですが、こいつを作った人が短気だったのか、ドアが開くスピードが速く、ドアが開いたと思ったら(Closeボタンを押さなくても)さっさと閉り出す。これに慣れてしまうと、他のビルに行った時、ドアが開き始めたからエレベータから出ようとすると、ドアが開ききっていなくて「ゴチッ」。関西仕様のが間違ってこっちに来たのかな?
24日(木) 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、よく言った物だと思います。何か痛い目にあって「もう2度と・・・」と思っても、しばらくすると同じ間違いをしでかしたり。やっている時は良くも悪しくもものすごく大変で、全精力を注ぎ込んだ事でも、終わってしまえば昔見た
夢みたいだったり。
23日(水) 今日見かけた間抜けな話
日刊スポーツから:「ベネチア、またの名ベニス」。おいおい。ベニスはヴェネツィアの英語表記やん(シャークスピアはイギリス人なので「ベニスの商人」なのであった)。
SPAから:世の中には「ノストラダムスの時代は旧暦だから、「7番目の月」とは今の8月を指すかも知れない」などと言う人がいるらしい。そりゃ日本は明治まで旧暦(大陰暦)だったけど、ヨーロッパは「ユリウス暦」で知られるように、シーザーの昔から太陽暦だべさ。

今日はホント久しぶりにスポーツクラブ行って泳いで来ました(会社が法人会員になっているので、安く利用できるのです)。50mごとに休憩しながら、クロールで300mと平泳ぎ50m。ゼイゼイ。体力落ちてるなあ。まあ、これから少しづつ距離を伸ばして行きましょう。


22日(火) 昔、定期券の行き先とか日付けとかは係員がハンコをついていた時代、女性の定期には名前の所に赤エンピツで線が入れてありました。定期というのは記名人に限るので、これで定期の貸し借りを少しは防ごうと言う魂胆だったのでしょう。定期は機械が打ち出して、改札も無人になっては、これも古き良き時代ですかね。そう言えば学園祭前、大学の近くに下宿している奴が渋谷の東急ハンズに買い出しに行く際、定期貸したりしたっけ。で、返してもらうの忘れて、帰りに駅で「あっ」。
21日(月) つくばの辺りは、栗の花が盛り。実は丸いのに、花は毛虫みたいなのはご愛敬。農家の庭先に1本2本植わっているのは大木が多い。その反面、ひょろひょろした木が整然と並んでいるのも目につく。農地は宅地に比べて税金がメチャ安だけれど、農地と認定されるためには何か作物が植わっていなければならない。で、一番手がかからない作物は「梅」と「栗」なんだそうだ。
20日(日) 朝寝に続いて昼寝の1日。まあ、ここんとこ疲れもたまっていたし、いい休養になったかな。今日のお酒は、チリのCONCHAyTOROのカベルネ ソーヴィニオン
19日(土) 今日は埼玉の実家に帰っていました。庭の木が電線にかかってしまったので、2mくらいの所で、上を切る。切った部分を引きずって動かそうとしたら、重い重い。木の幹ってのは、こんなのを支えているんだなあ。
18日(金) 今日は振休。梅雨らしく雨が降ったり止んだり。涼しくていいや。
17日(木) 蒸し暑い1日。午後から福生で会議なので、昼飯を立川で食べる。新しくできた駅ビルの中の中華街。開店(11時)直後に行ったんだけど、店によってはおばさん軍団が既に席を占めている所もある。良いご身分だねえ。
15日(火) さらに続き。新鎌ヶ谷まで戻って新京成で京成津田沼へ。ここの立食いそば屋で「冷し天ぷらソバ」を食す。この季節になると、「冷しタヌキそば」とかがメニューに登るけれど、大抵は平たい容器にそばをのせ、キュウリ、錦糸卵、カマボコ、わかめ等を乗せてつゆをかけるという「冷し中華」スタイル。ところが、ここのは丼に冷やしたそばを入れ、冷たくしたつゆをかけてかきあげを乗せる。へぇ。
 そのあと京成で勝田台へ出て、東葉高速鉄道に乗る。新線とあってきれいだけど、やはり値段は高い。イマドキの新線ともなると全線立体交差が求められるから、建設費もかかるだろうなあ。そこまでして宅地開発をする必要があるんだろうか。終点西船橋で武蔵野線に乗り換え。隣の船橋法典で一旦下車して、安田記念をTVで観戦。何とか当たった。
14日(月) 昨日の続き。以前から、千葉に点在する新興鉄道を乗りに行こう、と思っていたところ、丁度用事のない日曜日が出来たので、ぶらぶらと出かけてきました。まずは京成高砂から北総開発鉄道へ。しばらくは高架。住宅地と畑地が混在する辺りを行く。新鎌ヶ谷を過ぎるといよいよニュータウン地帯。ただ線路の両側が堤防のように高くなっていて、見晴らしは全く利かない。とは言え、駅を離れれば何もないのは一目瞭然。
 そうして終点の印西牧の原に着いた。駅の両側とも、歩10分位の所には高層マンションが何軒か建っているものの、駅前は何もない。商業地としてとってあるのだろうけど、人口が増えるまで待ち状態か。一応、電車(20分毎)に合わせてマンション地帯まで循環バスは走っているようだ。後は本当に野っ原状態。のどか〜。日差しが暑い。
 一駅手前の「千葉ニュータウン中央」に引き返す。ここは、さすがにマンションの数も多いし、オフィスビルも建っている。駅前にはそれなりにレストランもあるようだ。昼時だし「王将」に入ろうとしたら、行列していたので取り止め。休日にご飯を作るのは面倒だけど、ローンもあるから安く上げたい、と言う家庭が多いのかな。
 しかし、この鉄道は高い。全線28.5kmが790円(JRの幹線なら480円)、京成経由で上野まで行けば、片道1000円を越える。確かに、鉄道沿線は開発しつくされ、新しくニュータウンを作ろうと思えば辺鄙な所しかない。お金のある私鉄なら新線を建設するのだろうけど、貧乏な京成には無理。でもって第三セクター鉄道となるのだろうけど、建設費をそうそう料金に転嫁できない(いいとこ、JRの倍まで)。おまけにバブル崩壊で沿線人口が増えなければ。。。本四架橋や東京湾横断道の二の舞か。
13日(日)  北総開発鉄道(京成高砂−印西牧の原)と東葉高速鉄道(東葉勝田台−西船橋)に乗ってきました。知らない路線を乗るのは楽しいですね。思う所も多々あったけど、眠いし、その辺は明日書きます。
12日(土)  今日、とあるパチンコ屋の前を車で通りかかったら、店員の兄ちゃんが店の前でチェッカーフラッグを振っていた。ガソリンスタンドでは時折見かける光景だけど、パチンコ屋とは珍しい。
 しかし・・・。GSなら「そろそろガソリンを入れなくちゃ」と思っているドライバーが、チェッカーフラッグを見て入る事もあるだろうけど、パチンコってのは(灯台はやらないから良く分からないけど)それなりに「やるぞ!!」と思って行くんじゃないのかなあ。果たしてどの程度効果があるんだろう。ともあれ、この暑いのにご苦労様、と思って通り過ぎたのでした。
*ここは最寄り駅から歩30分位の所に位置し、来るお客さんは90%は車、と言うお店です
11日(金) とりあえず今週が終わった。その代わり、1週間分年を取った訳か。はあ。
10日(木) 経企庁が「変化の胎動」「下げ止まりつつある」を経て「景気は下げ止まった」と宣言したらしい。あれだけ赤字国債を発行して公共事業を積みましたり、銀行に公的資金をぶち込んだおかげで、下げ止ったと言うよりは、とりあえずは踏みとどまったと言うところ。もちろんこれらの効果は一時的であり、効果が切れればまた下がり始めるのは明かであるが(既に20兆円の補正予算、と言う声が出始めてるのがその証拠)。

 堺屋太一氏が経企庁長官を引き受けた時、「何故こんな頭のいい人が、こんな職を引き受けたのか」と思ったのであった。しかし考えて見れば、権力亡者の陣笠代議士には自ら大臣のイスを棒に振る真似はできないから、自分の立場を安泰にするために役人の言うなりにならざるを得ないが、彼はそこらの政治屋と違っていつでも辞表を出せるし、小渕内閣の目玉が辞表を
出そうものなら経企庁幹部の出世はそこで終わってしまうから、役人としてもそれなりに言うことを聞かざるを得ない。とは言っても、やった子とといえば経企庁が出す文書の表現を実体に即したものに代えたくらいだから、別に大した事をやった訳ではない。ただ、これまでが何もしてこなかったから、やった様に見える。上手い!ザブトン1枚!! である。

 後は辞め時である。0.5%成長が達成できなかったら責任を取るとの事だが、彼の事だから0.5成長が可能だなんて、これっぽっちも思ってはいまい。そこで、0.5%成長が不可能とハッキリする秋か冬に、責任を取って辞任するつもりだろう。ドロ船から一足先に抜け出すと言うわけである。彼の場合、大臣より経済評論家である方が収入は良いし、元大臣の肩書きで講演料もアップする。小渕内閣の責任を一身に引き受けることで自民党に恩も売れるし、良いことずくめ。流石に彼は頭が良い、と感服する次第。


9日(水) 10年後位をメドに、テレビの地上波をアナログからデジタルにしようという計画がある(かなり本決まりらしい)。これが行われると、受ける側(各家庭の受像機)を代えなければならないが、電波を送る側も設備を変更しなければならない。その代表が東京タワーである。現在、「今のタワーの横に新タワーを建てる」「埼玉新都心に500mのタワー」「多摩丘陵(標高150m)に350mのタワー」の3案がしのぎをけずっているらしい。
 ここで重要なのは、「日本でランドマークたらんとする建造物は、ゴジラを始めとする怪獣に蹂躙されて初めて認知される」の法則である。国会議事堂は初代ゴジラに破壊され、東京タワーはモスラが繭を張った。大阪城は2代目ゴジラとアンギラスがプロレスを行った。唯一例外は皇居だけである(東京湾から上陸して東京を火の海にした初代ゴジラは、何故か皇居前まで来るとUターンして東京湾へと戻ってしまう。これを「ゴジラは実は南の海に散った英霊の御霊である」と看破した評論がある。脱帽)。
 話がそれたが、新タワーを建てるなら、ゴジラかモスラかキングギドラかは知らないが、とにかく彼等に破壊されるに足る品格のあるものを作って欲しい。
8日(火) 今日は 'Chiba Walker' の創刊日。特集は灯台の住んでいる地区とかで、駅では創刊号を買った人に、キャンディつかみ取りのサービス(ついでに、 'Chiba Walker' のロゴ入りラーメンも1つくれた)付。
 東京、横浜まではいいけど、千葉となると調子に乗り過ぎ、みたいな気もするけどなあ。季刊ならともかく隔週刊じゃ、すぐネタがつきてしまうべ。TDL、浦安、市川、船橋、津田沼、千葉、松戸、柏。。。位しかなかろ。そのうち、野田vs.銚子の「醤油対決」とかやるんだろうか。そう思いながら次号予告を見ると、「ユーカリが丘サティで一日遊ぶ」「ルート16で買う!食べる!!遊ぶ!!!」。さ、寒い。
7日(月) 今から17-8年前だったと思うけど、「レンズマン」と言うSF小説がアニメ化された。その時の謳い文句が、「世界で初めて、コンピュータ・グラフィックス(CG)を使用した映画」。もっとも、CG使用場面と言っても赤や緑の線画がチョロチョロするだけで、こりゃあまだまだ実用化は遠いなあ、と思った記憶がある。
 昨日、たまたまNHK教育の「将棋の時間」にチャンネルを合わせたら、オープニングにCGが使われていて、(昔の同番組のオープニングは対局場を映していたもんだが)、将棋の駒が踊っていた。大した制作費をかけているとは思えないこんな番組でもCGが使われるんだから、世の中変わったもんだ、と思った次第。
6日(日) 9時半に中山競馬場へ。とりあえず運試しに1レースを500円。ハズレ。しかし、横山典は相変わらずヘタだねえ。4千円の当たり馬券を換金し、これでダービーの馬券を買って帰る。船橋法典駅に着くと、ホームからはすごい人の波。KIOSKのスポーツ新聞の量も、いつもより多いような気がする。ダービーサンデーだもんね。
 クリーニング屋に寄って家に戻り、洗濯・布団干し。でもって健康ランドへ。ひと風呂浴びて、ビール片手にダービーを観戦。アカン! 外れた!!
5日(土) 塩尻さんから絵葉書が届いたよ。礼文島・桃岩荘YHの開所に来てるとか。彼女は灯台より11ヶ月年上のはずだかど(学年は同じ)、元気やねえ。
4日(金) 明日は全社あげての(と言っても、100人かそこらだけど)お勉強会、と言うわけで、休日出勤。週休2日に体が慣れきってしまうと、休日に、しかも定時に出勤するのはチト辛い。まあ、振休が取れるので、7/2(金)に取って3連休でどこかに行こうと思っとります。
 この時期なら、サロベツ・礼文の花かなあ、と思ってANAのHPを見たら(と言うのは、マイレージがあるんだ)、稚内便は満席。オバハンの集団に押さえられたか。千歳か旭川なら空きがあるから、大雪の花かなあ。那覇のオリオンビール祭は2週目だっけか? 那覇の人口が30万人しかいないのに、2日で20万人の人出があるという、ものすごいお祭り。広い会場(国体のメイン会場になった公園で、野球場や400メートルトラックを含めた全てがビアガーデン)は屋台とビール売場で埋め尽くされる。あれやこれやと考えている最中でした。
3日(木) 会社を出て、駅に着いたら「30分ほど前に人身事故が発生して、現在運転見合わせ中」。結局、電車が動き始めたのは1時間30分後。はあ。
2日(水) コンビニに行ったら、「ベビースター天かすうどん」なるものを売っていたので、思わず買ってしまいました。お味は・・・。まあ、多くを望むのは無理やね。でも、カツオだしの味はしました。考えてみると、灯台が小学校に上がる頃までは、怪しい駄菓子(「仙台駄菓子」みたいな立派なのじゃなくて、5円10円でかえた、小さな餅やらクリームやら)が、まだあったよなあ。3、4年の頃になると、ベビースターラーメンとか、仮面ライダースナックとか、ライスチョコとか、それなりに素性の分かる駄菓子ばかりになってしまった。ふと、昔を懐かしんだ夜でした。