DOKONI IKOUKA(後編)
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   10月9日  乗車船時間 16:51

(かいもん)5:54伊集院6:05(バス)7:44枕崎7:52(3738D)10:13西鹿児島13:10(やたけ)14:49吉松14:55(864D)16:02人吉16:17(2331D)17:01湯前17:08(2330D)17:51人吉20:25(868D)21:40八代22:05(931D)23:34出水

 「かいもん」車内で、久しぶりに意識の混乱が起こってしまった。自分は誰か? ここは何処か? 今いったい何をしているのか? そんなことが、まるきり分からなくなる。肉体と精神の疲労が頂点に達するとこうなるんだけど、あまりいいものじゃない。

 伊集院で下車。他に同業者1人。朝もやの中、バスがやって来た。あ〜、眠い。車中はずっと寝てた。目が開かないんだもん。途中から乗って来た高校生達の離し声が子守唄。枕崎着。今は無き鹿児島交通のディーゼルカーが、構内に鎮座していた。

 3738Dは通学列車。ま、朝夕のローカル線なんざ、大抵そうだけどね。海がキレイだ。開聞岳も美しい。近くで見ると、ちょっと不格好だけど。前見たのは、桜島から海を隔ててだったからな。山川からは快速。秋風を顔に受けて気分気分。とにかく天気に恵まれた旅だ。今回は。

 西鹿児島着。荷物をロッカーへ。こんな事してるとコインロッカー代がかかるのは、致し方ない。駅2階の食堂でチーズケーキセットの朝食。ここは中々美味いんだ。一息ついたので、チンチン電車で天文館(鹿児島の中心街)に行く。さすがに真っ昼間とは言え人通りが多い。ちょいとゲームセンターで気晴し。少し眠気が覚めた。

 快速「やたけ」で吉松へ向かう。もっとも快速と言っても、日豊本線内は各停なんだけど。鹿児島市街が切れ、錦江湾の向こうに桜島が浮かぶ。隼人から肥薩線。ここは何時乗ってもつまらない。吉松で864Dに乗り換え。ディーゼル1両が、鹿児島−宮崎−熊本県境に挑む。35kmの間に駅4つ。ここを1時間かけて通過する。真幸のスイッチバック。大畑のループ。彼方に広がる山々。これだから鉄道旅行は止められん。分水嶺を越え、それまで喘いでいたディーゼルエンジンが、快調な音を立て始めた。ループを一気に駆け降り人吉着。12分遅れは対抗車のため。

 最初の予定では人吉でビジネスホテルに泊まるつもりだったんだけど、一応眠気は取れたし、今夜も夜行泊にしよう。しんどいけど、やっぱり最後の可部線が土曜日になるのは避けたいもん。湯前線を湯前まで往復。行きも帰りも中学生や高校生で満員だった。

 人吉市内はお祭りのせいか、19時過ぎても活気がある。銭湯(温泉だよ)で一風呂浴びて、お祭り見物。タコヤキを買う。24ヶ入り500円。しかも東京のと違って、薄っぺらくて軟らかい。ソースの味も異なる。日本は広いね。KIOSKで球磨焼酎を買い868Dに。夜風が風呂上がりの体に気持ちいい。窓の下は球磨川のはずなんだけど、何も見えず。「かいもん」車内での睡眠時間を少しでも長くするため、八代から931Dで出水へ。931Dは終列車。終列車にはドラマがある。乗客一人一人にね。出水着。あ〜、眠い。早く「かいもん」こ〜い。

236 指宿枕崎
237 湯前
238 肥薩
残り4線区  130.8km


10月10日  乗車船時間  11:29

出水0:04(かいもん)5:34博多6:30(525M)7:51唐津8:15(2525D)8:26山本8:37(2524D)8:48唐津9:22(9540M)10:06姪浜10:17(地下鉄)10:36博多11:18(4142M)11:29香椎11:38(732D)11:59西戸崎12:04(737D)12:25香椎12:49(737D)13:14宇美13:20(734D)13:45香椎13:49(3126M)14:21折尾14:55(131D)15:01中間15:09(2848D)15:47小倉15:51(338M)15:57門司16:14(256M)16:22下関

 「かいもん」は休前日ながら空いていた。ひたすら寝る。博多着。少し頭がすっきりした。博多も、街の中心は西鉄の天神駅あたりで、博多駅の周辺はあまりニギヤカとは言えない。駅のすぐ側にセブンイレブンがあったりしてね。1時間程ビル街をブラブラして、地下鉄に乗る。休日の朝だけあってガラガラ。20分行った姪浜から筑肥線に入る。筑肥線の歴史は複雑で、以前僕が乗った時には、博多−姪浜−虹ノ松原−東唐津−山本−伊万里 だったんだけど、その後地下鉄が出来た時に、博多−姪浜 と、虹ノ松原−山本が廃止され、博多−姪浜は新たに地下鉄路線が新設され、虹ノ松原−唐津 は筑肥線の新線が建設された。その結果、唐津−山本 は、単線区間でありながら、筑肥線と唐津線の二重戸籍区間になった。

 小雨のパラつく中、新線区間に入る。きれいな高架だ。唐津駅も新しくてきれい。ここから山本まで、筑肥線の列車で往復。以前乗った路線だと言うのに、馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。

 山本駅では佐賀行のバスがあったが乗らなかった。田舎のバスは高いからなあ。でも、同じ路線を往復するのを考えると、どっちだったか。唐津に戻って駅の回りを歩く。商店街が9時から開いているのにはビックリ。一回りして、駅前のサ店でモーニングを食べる。美味しかった。旅先でのメシってのも、これで結構気を使う。お金がないから、土地の名物なんかは中々食べられないし・・・。ロクな店が見つからない時には抜いちゃうけど。最高、3食立て続けに抜いた事もあった。なに、1日絶食した位じゃ人間死なないもんだよ。

 博多から鹿児島本線で香椎へ。ここで香椎線(西戸崎−香椎−宇美)に乗り換え。まず西戸崎へ行く。ここは日本海に突き出した、細長い砂の半島で、福岡国際マラソンの「海の中道」はここだ。また、西戸崎には遊園地があって、今日は子供連れがいっぱい。もっとも、チャレンジ2万キロの連中の方がもっと多いけどね。今度は宇美へ。途中、香椎で24分停車なので、改札口の外へ。東京近郊の私鉄の駅前みたいだ。

 宇美着。2万キロの連中が、カメラ片手にホームへ飛び降りる。よくやるなぁ、こいつら。車中はウォークマンやゲームに興じ、終着駅に着くや否やカメラ片手にホームを駆けずり回る。一体何が楽しくてやってんだろ。まあ、いいけどね。勝手にやったんさい。私はもうすぐ終わる。もう君達と会う事もなかろ。博多のベッドタウン化の進む車窓を見ながら香椎に戻る。

 今日のノルマはこれでおしまい、なんだけど、行きがけの駄賃に折尾短絡線に乗る事にする。再び鹿児島本線に乗り、折尾へ。ここの駅前のゴチャり方は賞賛に値する。道は狭い。しかも曲がりくねっている。店は小さいのがウジャウジャあるし、人通りが多いし。江古田や下北沢の比じゃない。パチパチ。

 折尾の短絡線を経て小倉へ。4分の間に「いなりずし」を食べる。これが昼食。門司でビジネスホテルにTELする。予約OK。よしよし。海の香のする関門トンネルをくぐって下関へ。やっと本州に帰って来た。BHに荷物を置いて唐戸(下関の中心街)へ行く。夜道をぷらぷら歩いていたら、すごいスピードで車が走って行った。と、突然脇道に隠れていたパトカーがピーポーピーポー。しばらく行ったら、しっかり捕まっていた。はっはっは。唐戸で釜飯を食って、駅に戻る。日本食堂で「ふぐ」を食べようと思ったら、品切れだった。くそ。

 再  筑肥
239 香椎
残り 2線区  92.9km


10月11日  乗車船時間  6:43

下関9:10(538M)12:48岩国12:53(527D)13:55錦町14:00(530D)15:00岩国15:04(3128M)15:50広島16:38(942M)16:55坂

 う〜ん、寝不足のはずなのに、あんまし寝れんかった。荷物をまとめ、駅に行く。駅前の郵便局でお金を下ろし、駅弁と新聞を買って538Mに乗る。結構すいてる。ま、朝のラッシュは終わってるからね。今日も快晴。青い青い空に白い雲が眩しい。長府、厚狭、小野田、宇部、防府、新南陽。本州の西の突っはずれ町々を列車は通過して行く。残す所、あと100km弱。あと2日。もう何もあせる事はない。進行右側のボックスを占領して窓を一杯に開け、流れる景色に身をまかす。いい気分だ。ここ2年位は駆けずり回るばっかりで、ゆったりした気分で鈍行に乗るなんて事はなかったもんな。徳山、下松、光、柳井と、瀬戸内を見ながら進む。山陽本線ってのは、瀬戸内海沿いを走っているように思うかもしれないけど、実際に山陽本線から瀬戸内海が見えるのは、ここと尾道くらいのもんだ。透明度がイマイチで、海の色が少し暗いけど、瀬戸内にはその方が似合う。大小様々の島を眺めて岩国着。ここで岩日線へ。もっとも正式には、2つ先までは岩徳線だけど・・・。

 御庄で新幹線とアンダークロスすると、岩日線は進路を北に向けて山の中に入って行く。横を流れる川がとてもきれい。進行左手はすぐ山で、右下はすぐ川。そして川の反対側に道路と集落があり、各駅には吊り橋がかかっている。空の青。柿の朱。黄金の稲。そして、刈り入れの済んだ田の緑。秋の旅には色彩がある。とは言え、ここまで見事な線も少ない。241分の1として乗った線だけど、241の中でも10指に入る線だ。こいつは思わぬ拾い物をした。るんるん。楽しい楽しい1時間だった。呑気に途中下車でもしたかったな。

 岩国に戻り、3128Mで広島へ。今回も又、宮島は素通りだな。それ程行きたいとは思ってないせいもあるんだけどね。広島では駅ビルの中をブラブラ。後はYHへ行くだけだと思うと、時間を気にせずブラつけるからいいね。それに、今日は6時間しか乗っていないから、疲れてもいないし。ただ乗ってるだけだから大して疲れないだろうと思うかも知れないけど、1日の乗車時間が12時間を越えるとこれで結構疲れるんだ。18時間を越えたらヘトヘトだね。

 942Mに乗り、呉線の坂で降りる。ここから広島坂町YHまでは、「坂」町の名に恥じない急坂を10分程登ると着く・・・はずなんだけど、1年半前の記憶を信用したのが間違いで、道に迷って20分もかかってしまった。着いた時にはもう汗だく。それでも、ペアレントさんの笑顔にホッと一息。

 今日のホステラーは僕一人。YHも30泊以上したけど、ホステラーが自分一人だけってのは初めてだ。つまんないなあ。この時期旅してる連中は妙なのが多いから、そんな奴等と話をするのを楽しみにしてたのに。ま、しょうがない。1年半前にここに来た時書いたノートを見た。
 

240 岩日
残り 1線区  60.2km


10月12日  乗車船時間  6:36


坂7:47(921M)8:03広島8:16(325M)8:21横川8:23(1537D)10:24三段峡15:15(1544D)17:40広島22:01(富士)

 6時半起床。眠い。朝メシを食べてYHを後にする。広島で途中下車して荷物をロッカーに入れ、325Mで横川に行く。可部線に乗り換え。

 車内に一歩踏み込んで驚いた。朝のラッシュだから満員なのは当然だが、何とお客がみんな女子高生なのである。どうなっとるんじゃ。おまけに、遠足らしい小学生の団体なんかも乗ってきて、車内は甲高い声で充満している。広島ってとこは、恐ろしい所だなあ。

 それでも女子高生も小学生も、可部までには全員下車してガラ空きとなった。ただ、何故かは知らんが大学生の一群が乗っていて、大声でわめいているのが若干興ざめ。可部線は、もっと山深い所を走って入るのかと思っていたのだが、意外とそうではないのも残念。昔から、乗りつぶし最後の日には、朝っぱらから必死に鈍行を乗り継いだ挙句、お客の誰もいないローカル線にゆられ、夕暮れ間近かにやっと山の中の無人の終着駅に着いて終わるんだろうと、なんとなくそう考えていたけど、見事にハズレてしまった。

1984年10月12日 10時23分45秒。可部線三段峡駅着

乗車キロ 20932.5km  終わった。
 
 


10月13日  乗車船時間  9:58

(富士)9:58東京
 

今回の旅のまとめ

乗車船時間合計  112:36

列車 97:27(4667.5km)
バス 10:34
船舶  3:55
私鉄  0:40


「エピローグ」

 僕の手元に「DOKONI IKOUKA」と言う名前のノートがある。今使っているのが4代目。皆、僕と共に日本中を歩いてきたノート達だ。僕には日記をつける週間はないけれど、旅に出た時だけは、こいつにその日の行動を書き留める事にしている。もっとも、書くといっても1日1ページ位のものだし、サボッテ空白のままのページもある。だが、これで十分。これだけあれば、ノートを開いた時に、その日の出来事は全て思い出せる。

 この文も、実は「DOKONI」を元にして書いたものだ。しかも、かなりはしょりながら。その気になれば、一日の出来事だけでこの位のページは埋められよう。旅って奴は不思議なもので、家と学校を往復しているだけでは、1年かかっても得られないような物を、たった1日で人に与えてくれる。旅の1秒1秒は、とてつもなく印象的だ。だからこそ、昨日の昼飯のメニューが思い出せないのに、列車で前の席に座ったおばあさんが呉れたセンベエの味を、今だに憶えていたりする。

 僕は「旅とは、自分を見知らぬ世界の中に置くこと」だと思っている。今まで自分が暮らしてきたのとは全く異なる世界の中に飛び込んで行って、その中で自分1人の力で行動する事によって、自分を磨き、自分の属する世界を省みる事だと。だから「1人旅」という言葉はおかしい。旅とは、1人でするものだから。目の前に、自分の日常とつながる物を持つ人がいては、それは旅ではない。同様に「クルマで旅をする」というのもおかしい。たとえ同乗者がいなくても、ドライバーを周囲の非日常から隔離してしまうクルマは、旅人の足とは成り得ない。もちろん旅行の移動手段としては、クルマの機動力は素晴しいものだ。だが、それだけの事である。クルマは、自然との対話も、土地の人々との語らいも、旅人同士の友情も与えてはくれない。

 どんな旅人だって、最初はただの人だった。旅の中で自分を磨き、自分を鍛え、そして自分を確立し、旅人と呼ばれるようになって行ったのである。車で旅行している人々も、車から降りるだけの勇気があるならば、旅人と呼ばれる日が来るだろう。だが、残念ながらそういう人は少ない。便利さが人を堕落させてしまうのか。ドアを開けて1歩外へ踏み出せば、そこには素晴しい世界が広がっていると言うのに。せっかく時間とお金とをかけて遠くまで来て、きれいな景色だけでに満足して帰ってしまうとは。

 だが、それも時の流れなのだろうか。僕は高2の夏に、初めて旅と呼べるものをした。東北だった。当時のYHは大学生ばっかりで、高校生のホステラーはかなり珍しかった。おかげで色々と可愛がってもらったし、色々な事を教えてもらった。あれから6年。当時のホステラーは、もういくらも残っちゃいまい。時代は変わったし旅人は減った。それはそれでいいだろう。僕は僕の道を行くさ。先人達が示してくれた道をね。追いかける者がいなくても。

 やっと国鉄全線を乗りきった。最後の5千キロは意地で乗った様なものだが。あとはもう、どこに行くのも気の向くままに。さて、今度は

「どこに いこうか」