徒 然 草  1999年3月まで

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1月13日
 東急の日本橋店が盛況の様である。閉店セールの値段に惹かれての事だろうし、無くなる前に一度、と言う心理も働いているのだろう。

 見ていて、赤字ローカル線の廃止を思い出した。普段は1両編成ですら客が乗っていなかったのに、最終日は5両10両とつないでも超満員で、乗 り残しも出るほど。取材に来たマスコミに向かって「今乗っておかないと、二度と乗れませんからね」。

 もし、このローカル線が廃止にならずにこの人よりも長生きしたとしたら、果たしてこの人は乗りに来たろうか?大いなる矛盾、と言うよりは、こ れが野次馬根性と言う奴である。大金の見つかった竹藪が、毒カレーで死者の出た集落が、見物人の群に包まれる。それと同じだ。実に日本的光景である。

 東急日本橋店の店員は「このお客が、もっと早く来てくれたら」と言ったらしいが、それは無理な注文である。閉店と言う、いわばワイドショー的 ネタを得たからこそ野次馬の群が訪れた訳であり、閉店がなければ客など来る訳がない。廃止が決まる前のローカル線に客などいなかったように。


2月23日
 今日は皇太子の39歳の誕生日だそうだ。数え年なら40。我がプリンスもめでたく不惑を迎えられたと言うわけである。

 現在、彼には子供はいない。弟の秋篠宮は娘2人である。もっと言うと、現在皇位継承権を持つ30歳未満の男性はいない。皇位継承権を持つ人は 現在10人ほどいるが、娘ばかりか、子供がいないかである。年齢等を考えるとこの先男子が誕生するか、かなり厳しいと言うのが生物学的判断であろう。

 現在の皇室典範では女性の皇位継承権を認めていないから、このままでは皇室は跡継ぎが無く絶える事になる。養子を取ると言っても、天皇家の血 筋に連なりながら宮家でないとなると、今の皇太子から見て7親等か8親等。一般常識から言えば他人である。これは国民感情から難しい。必然的に皇室典範を 改正して女帝を認める事になろうが、配偶者問題が起こるのは火を見るよりも明らかだ。

 天皇家の最大の仕事は1000年の歴史を経て伝わってきた儀式・儀礼を次の世に伝えることだが、今の世にこれを一人の人物・一つの家系に強い るのは酷な事である。だからこそ、この国でもっとも由緒正しい血筋のプリンスが、結婚相手探しに悪戦苦闘しなければならなかった。結婚すれば臣籍降下する 紀宮ですら、30にして未だ独身である。時代も変わった。権力者がその正当性を時の天皇に保証してもらう時代でもなくなった。定家の血を引く冷泉家も、宝 物を国家管理に委ねた。そろそろ、終わりにしてもよかろう、と言うのが筆者の考えである。どの時代・どの国においても、王室・帝室の最後は無残な例がほと んどである。平和裏にそうした制度を終わらせるのは、平和国家として日本が世界に誇るべき事例になるであろう。

 もちろん、今まで天皇家が受け継いできた伝統行事は国家・国民の重要な文化であるから、国家が国の責任において受け継いでいくべきである。毎 年秋には宮内庁の役人が新嘗祭を行い、20年毎には即位の礼を行えば良い。


3月1日
 日本で初めての脳死移植が行われた。個人的には、脳死移植には賛成である。もちろん、ドナーの意思と、移植を受ける人へのインフォームドコンセントと、 厳格な脳死判定が前提ではあるが。

 単純に技術的な問題からすれば、脳死移植は10年前に可能であったはずだ。それがここまで遅れたのは、1つは和田移植の後遺症である。移植 が、患者の治療ではなく医師の名声のために行われた事が、医療不信を招いた。実際問題、「白い巨塔」にも画かれた様に、大学の医学部と言うのは教授という 絶対権力者によって支配されている。助教授以下を生かすも殺すも教授のさじ加減次第。必然的に医学部で出世するためには、政治力が必要となる。と言うか、 医者としての腕を磨いている暇があるなら、教授に媚び入り、他の競争相手を蹴落とす様でなければ出世は出来ない。結果として医学部の教授のほとんどは、傲 慢で自己顕示欲の塊である(これは、実際に医者から聞いた話である)。その一例が和田移植であった。この状況下で脳死移植を許せば、医者が自己の名声を目 的として、脳死でない者も移植が必要でない患者もドシドシ移植の対象にしてしまう、その危惧がこの遅れを生んだ。法律の施行後、1年以上も移植が無かった のも、医者の自己顕示欲を廃するために脳死判定条件をやたらと厳しくしたためである。

 もうひとつ、この遅れを生んだ原因は、自民党の「大きなお世話」体質である。臓器移植法案は、国会で3年間も棚晒しにあった。臓器を提供する か否か、臓器移植を受け入れるか否か、は個人の問題である。そうした個人の自由、あるいは裁量を認めることが、この政党は嫌いらしい。夫婦別姓法案での対 応が最も明瞭にそれを物語っている。曰く、夫婦別姓は日本の伝統的な家族制度の崩壊を招く。大きなお世話である。国家が個人(家庭)レベルに介入して国民 が利益を得たことは、歴史上一度もない(国家が利益を上げた例は枚挙にいとまないが)。夫婦がどんな家庭を作るかはその夫婦が決めることで、国家が伝統を 振りかざして強制する問題ではない。脳死移植においても、脳死は日本になじまないとの感情論が後れを呼び、助かる可能性のある人が何人も死んでいった。彼 らが個人レベルで臓器提供や移植を拒否する事をどうこう言うつもりはない。ただ、自分の考えと異なる思想は認めない、と言う全体主義的思想は、今でもはび こっているのである。

 マスコミの報道についてはあちこちで指摘されているから繰り返さない。が、ここで重要なのは、医者や自民党の代議士やマスコミ人は、決して特 殊な人種ではない。彼らはこの国の縮図に過ぎない。我々はそう言う国に住んでいる、と感じた次第。


3月4日
 最近会社で、「かわいいサンダルを履いていますね」と言われる。今までのサンダルが壊れて買いに行ったら、冬だからか先が閉じた物しかなかった。足がム レるのがいやでオフィスでサンダルを履いているのに、これじゃあ意味がないなあ。先が開いてるのはないんかいな、と探したらエメラルドグリーンの健康サン ダルしかなく、まあいいやと買ってきた。

 ご承知のように健康サンダルはプラスチックの突起があり、これが足の裏のツボを刺激する。足の裏にはツボが集中しているので、これが健康にい いのだそうだ。そう言えば以前、中国式足の裏マッサージを受けたことがある。足の裏をグリグリとやられるアレ。マッサージ師同士は中国語で話していたか ら、それなりに本格的だったと思う。いやあ、痛かった。「こんなに痛がる人もめずらしい。お客さん、こってますネェ。」と言われたので、肩のこりは、足の 裏にも出るんだなあ、と感心した次第(灯台は、極度の肩こり)。もっとも、マッサージの翌日に体が軽い、と言うこともなかったから効果の方は定かでない (値段も安くないし、これなら普通のマッサージの方がいいや)。それはともかく、今日もかわいいエメラルドグリーンの健康サンダルを履いている。肩は相変 わらずこっている。

 ところで、マッサージの後、自分で自分の足の裏をグリグリしてみたが、どんなに力を入れても全然痛くない。不思議やねえ。やっぱり、中国3千 年の驚異なのかしらん。


3月9日
  昨日は高校時代のクラブの同期が講演で筑波にきたので、筑波勤務の1年先輩&2年先輩を交えて4人で酒を飲んだ。いやあ、みんな全然変わらんわ。三つ子の 魂百まで。
3月10日
 石原慎太郎都知事選出馬。選挙権はないものの、これは見物やねえ。有力6候補なら、いっそ馬券ならぬ人券でも売り出して、選挙費用の一部にすればいいの に。6枠連単なら、競艇と同じやね。
3月11日
  帯広の駅ビルが倒産(自己破産)したそうだ。そういえば97年の年末に訪れたけど、確かに閑散としていたなあ。元々帯広には、いかにも地方都市らしい駅ビ ルがあって、それなりに繁盛していたけど、根室本線の高架化に伴って取り壊された。その後、高架下を利用した新駅ビルが完成したのが96年。わずか3年足 らずの破綻。詳細は分からないけれど、想像するにビルが新しくなって賃貸料もハネ上がったけれど、売り上げがそんなに伸びるわけはない。元々、市内の店が 駅ビルに出店を出していたケースがほとんどだから、ペイしないとなれば撤退するのは必定。値下げをすれば収入は減るし、で、結局倒産、てなとこかな。官と 民の悪い所を兼ね備えた第三セクターが運営していたそうだから…
3月13日
 丁度20年ぶりで、金沢・兼六園を訪れた。20年前は雲って寒い日だったが、今日は晴れてポカポカ。梅がきれいだった。20年前は気がつかなったけど、 園内には桜が多い。花の頃はきれいだろうな。
3月17日
 1999(平成11)年度の国家予算が成立した。宮沢大蔵大臣が「大魔神を1回から投入するようなもの」と評した通り、1回2回は抑えても、3回以降は メッタ打ち。しかも、もはやリリーフはいない、と言う予算である。

 1950年の朝鮮特需以降1990年のバブル崩壊まで、この国の経済はオイルショック等の停滞はあったものの、長い目で見れば右肩上がりで あった。だから何か問題が生じても、とにかく「その場を凌いで」「先送り」しておけば、いずれは経済成長が解決してくれた。

 しかしバブルの崩壊以降、この図式は崩れた。今や、先送りは傷口を広げるだけである。しかし、今だに長老議員は「今を凌げばいずれ何とかな る」と思っている、と、これは「アエラ」の30代国会議員へのアンケート結果。

 1999年度予算も、要はこのノリである。税収50兆円に対し歳出80兆円。その差は30兆円の国債である。公共事業も大判振る舞い。これで 景気がよくなるなら良いが、今の公共事業は建設業界の延命になるだけ。しかし、いつまでもこんな予算が組める訳はない。これが尽きれば、建設業界も崩壊す る。残るは国債の山。

 金融行政も同じである。「不良債権処理のヤマは越えた」。ここ5年くらい、毎年繰り返された台詞である。低金利政策により、本来預金者が受け とるべき金利を銀行に付け替え、銀行は巨額の利益を得、不良債権処理を行ってきた。しかし、その利益よりも不良債権の増大スピードの方が大きいのだから、 どうにもならない。挙句、7兆円の公的資金導入である。これで、今ある不良債権は片付くかもしれない。しかし、これで終わりと思うのは楽観主義を通り越し て間抜けであろう。イタチごっこは終わっていない。

 そして、そろそろ「その場を凌ぐ」手段が尽きかけてきた。金利は既にゼロとなり、財政出動も原資がない。国債は市場が拒否反応を示し始めた。 このままいけば、国債の日銀引受しかないだろう。その先に待つものは、インフレとカタストロフである。


3月21日
 この連休は乗鞍高原のさつ木荘へ スキーに行ってきた。雪がないと言う話だったので、スキー自体は大して期待していなかったけれど、灯台が乗鞍に着く頃から大雪。おかげで春スキーとは思え ない極上の雪が楽しめました。やはり、日頃の行いが良いせいでしょう(^o^)。ご飯は美味しかったし、檜のお風呂も気持ち良かったし、帰りの渋滞も大し た事なかったし、良い連休でした。
3月24日
 乗鞍へ行った土産に、長野県限定販売「あんずコロン」(クリームコロンのあんず味)を買って帰ったけど、イマイチやった。甘すぎるんやね。あんずはやっ ぱり酸っぱくないと。「杏しぐれ」「杏楽」「玉だれ杏」と言った老舗のお菓子はやっぱり良くできてるわ。
 今日は東京・大阪で桜が開花したとか。春やねー。もうすぐ信州も杏の花の季節か。
3月27日
 今日はすみちゃんと一緒にドクターの家を訪ねた(すみちゃん&ドクターについては「北海道山行記」参照)。ドクターと会うのは5年ぶり。すみちゃ んに至っては6年半ぶり。本当に久しぶりだったけど、2人とも性格は全然変わってなかった。外見は、頭が薄くなっていたり(ドクター)、ちょっぴり色っぽ くなっていたり(すみちゃん)したけど。
 ドクターは4才と1才半の2人の子持ちだから、そんなに長居はできなかったけど、楽しい一時だった。旅って不思議だね。
3月28日
 桜も咲き出したので、北千住で乗り換えて浅草へ。隅田川公園でぶらぶら。木によるけどまだ2ー5分咲き。これで気温が上がれば一気に満開なんだろうけ ど、今日は風が冷たいからなあ。でも、春らしくて気持ちいい。その後、都営浅草線ー京成線で東中山へ。バスに乗り換えて中山競馬場。ここの桜も、まだ2分 咲き。見頃は来週かな。ちょびっとだけど馬券も浮いて、まずは満足。しかしセイウンスカイは強いねえ。天皇賞でのメジロブライト・スペシャルウイークとの 対決が楽しみ。
3月29日
 今日(3/29)はグループの歓送迎会。3/30は横浜出張。3/31は会社の歓送迎会。4/1は会社の歓迎会。4/2は花見。年度末やねえ。
 ホームページの公開まで、あと3日。何とか見られるようにはなって来たかな。
3月30日
 NHKを見ていたら、面白いコンピューターウィルスを紹介していた(伝染性がないので、厳密にはウィルスとは言えないのかも知れないが)。

 このウィルスはインターネット経由で感染し、インターネット接続の設定の中の「プロバイダーの電話番号」を勝手に書き換える。従って、自分の 近くのアクセスポイントにつながっているつもりが、海外(番組ではセイシェル)のプロバイダーに繋がってしまう。インターネットは今まで通り使えるので、 その場では気がつかない。1ー2ヶ月後、国際電話会社からの請求書が来て、「やられた」となる。

 基本的に国際電話料金は、かけた国とかかってきた国で折半するので、これを考えた人間はセイシェルの電話会社とネゴして、セイシェル分を山分 けすることにしているのでしょう。今までのウィルスはコンピュータのデータ破壊を目的とするのがほとんどだったけれど、ウィルスを金儲け(詐欺)に使うと はコペルニクス的転回である。やはり詐欺師は頭が良い。

 問題なのは、その場に居合わせていたNHKの解説委員。「当局はこんなことが無いよう、しっかり取り締まって欲しい」などと、大ボケのコメン トをかましていた。ボーダーレスの象徴であるインターネット犯罪に、お上を頼ってどうする。リスク管理は個々が行う時代だぞよ。こんな事だから、大枚をは たいて開発したハイビジョンが、ベータの二の舞になるんだよねえ。


3月31日
 年がら年中眠たい灯台ですが、春は特に眠い。朝起きても眠い。昼仕事してても眠い。ただ、夜になると目が覚めてくる。そして、翌朝も眠い。やれやれ。

 さて、ホームページも何とか体裁が整って開業にこぎつけました。年明け位から構想を練り始め、実際の製作にとりかかったのが2月末。折角ホー ムページ作成用ソフトを買ってきたのに、インストールしようとしたら「あんたのマシンは古くてあかん!」と言われてしまい、仕方なく Netscape Communicaterで作ったと言う事情もあり、あんまし見てくれは良くありません。夏のボーナス出たら、i-Mac買おうかなあ。