まじかる みすてりぃ つあぁ 前編
 

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☆プロローグ☆

 5月4日 16時。外はまだ雨。ラジオの気象通報を聞きながら、天気図を書いている。

 本来なら今日の未明に旅立っていた筈なのだが、降り続く雨に足止めをくらって、まだ大阪にいる。バイク乗りにとって雨は宿命みたいな物だか ら、ある程度の覚悟は出来ているし、カッパの用意もしてあるのだが、やはり瀬戸大橋だけは朝日の中を走りたい。そう思って、日程を1日切り詰めても出発を 遅らせた。そのかいあってか天気図は、現在関西上空にある寒冷前線が、24時には通過することを示していた。

いける!

ただ、寒気が流入するから、夜明け前の3時間は寒さとの戦いになるだろうし、この雨が霧を呼ぶかもしれない。しかしまあ、その辺は出たとこ勝負 だ。

 早めの夕食をとり、フロに入って仮眠を取る。出発は明日午前1時の予定。


5月5日

 出発準備に手間どって、バイクに荷物を乗せ終わったのは午前1時半を回っていた。空は快晴。月齢19の月があたりを明るく照らしている。道も そろそろ乾いてきたし、これなら快適なNight Touringが楽しめそうだ。

 轟音一発。HONDA VTZ250のエンジンに火が入る。R170−R309とつないで、三宅の入口で阪神高速に入り、深夜の大阪を駆け抜 ける。阪神高速特有の急カーブを右に左にクリアしながら、恵比須町で環状線に合流し、阿波座で神戸線に乗る。ここからはひたすら西への一本道。ギアを5速 に入れ、タコメーターを8千回転に保つ。6速・1万3千5百回転を誇るVTZのエンジンは、これでもまだ半開なのだが、それでも時速は百kmを越えてい る。心地良い夜風が体をすり抜けてゆく。肉(からだ)体と愛(マシン)機が一体となり、精(こころ)神に翼が生えて宇(そら)宙に翔ぶ瞬間だ。

 阪神高速終点の須磨から第二神明道路に入り、一寸行ったPAで小休止。眠気覚ましにコーヒーをすする。予定より30分ほど遅れている。先はま だ長い。10分の休憩で再び走り出す。加古川バイパス・姫路バイパス・太子竜野バイパスと有料道路を乗り継ぎながら先を急ぐ・・・。

 午前3時半、太子竜野バイパス終点に辿り着く。大阪から西へ延びていた有料道路もここまで。この先岡山までの60kmは、一般道を走らねばな らない。自動車専用道を走って来た身には、片側一車線・信号ありの道がもどかしい。そして夜明けが近づくにつれ、気温が下がってゆく。おそらくもう1ケタ だろう。体感気温は1時間ほど前から既に氷点下である。アクセルを握る右手の感覚が失われて行く。そして今日最大の難所、船坂峠越えが近づく。7%の上り 勾配を駆け上がるうち、霧があたりに立ち込める。闇がヘッドライトを吸い込んで、幻想的な美しさだ。だがその霧は、服にまとわりつき、ヘルメットを曇らせ る。ほとんど前が見えぬまま、次々と襲い掛かるヘアピンをクリアして行く。対向車線を大型トラックが引っ切り無しに通過して行く。ひとつ間違えたらアウト だな。そんな考えが頭をよぎる。

 午前5時。ようやく岡山に辿り着く。霧の中を走ってきた体は氷のように冷えきって、握力はほとんどゼロに近い。よくここまで持ったもんだ。と にかく手近かのラーメン屋に飛び込む。空は既にほのぼのと明けている。最初は夜明けと同時に瀬戸大橋を渡るつもりだったが、こう体が冷えきっていてはそう もいかない。レーメンを食いながら体が暖まるのを待つ。とは言え、一旦冷えきってしまった体は、そう簡単には暖まってくれない。結局ラーメン屋を出たのは 午前6時近く。東の空には、曙の光が顔を見せていた。

 GSでガスを入れ、早島ICからいよいよ瀬戸中央自動車道に入る。さすがに出来立てだけあって路面がいい。児島ICまで一気に飛ばす。鷲羽山 トンネルの暗黒を駆け抜ければ、そこは全長1万メートルの瀬戸大橋。光溢れる海の上。瀬戸内の島々にかかる霞のヴェールが、朝日を受けて金色に輝いてい る。凄まじいくらいの絶景だ。路肩には、記念写真を撮る車の列が彼方まで続いている。僕も仲間に加わろうかとも思ったが、この景色はとてもじゃないがカメ ラに収まる代物じゃない。そう思ってアクセルを開けた。5速全開。140km。この景色を心に焼き付けながら。

 午前6時半、四国に入る。ともあれ、これで半分以上は来たのだし、何より太陽の下を走れるのは気が楽だ。R11を10km程走って、善通寺 ICから松山自動車道に入る。ここも今年開通したばかりとあって、路面は奇麗。おまけに思い出した頃にしか対向車がやって来ないくらいガラガラ(今はGW なんだが)とあって、快調に飛ばす。途中豊浜SAで休憩。夜中ほどではないにしろ、なかなか上がらない気温に冷えた手足を暖める。とは言っても食堂はまだ 閉店中。自動販売機のコーヒーで眠気覚まし。そして再び走り出す。土居ICでR11に戻り、後はひたすら退屈な一般道を西進する。松山まであと75km。


 松山に着いたのは午前9時だった。大阪−松山の400kmを、正味6時間で駆けて来た事になる。さすがに疲れた。今日はもう走りたくない。さ て、これからどうするかな。今から千葉家に行っても、とてもあのおばさんが起きているとは思えないし・・・。とりあえず朝飯にしよう。松山市駅前の喫茶店 に入ってモーニングを注文。新聞を読みながら1時間ほどつぶす。

 やはり! と言うべきか、千葉さんは寝床の中だった。昼頃着くと言ったでしょ(遅れた時に心配かけないよう、わざと遅めに言ったんだ)。早く 着いたんなら電話の1本くらい入れなさいよ(もう10時だぜ)。この辺の、自分の非を一切認めようとしない態度は、さすが千葉さんである。ちっとも変わら んなぁ。変わらんと言えば、ここの親父さんも全然変わらん。人の顔を見るなり、いきなり憎まれ口をたたいてくるんだから。ガソリンの無駄使いしおって。わ しらが営々と築いたこの国を、こいつらがみんな壊してしまいよる。ぶつぶつぶつぶつ・・・。まあ、要するに小さい子供が、珍しい物見つけてツンツンするの と同じなんだけどね。初めての時は面喰らったな。しかし何だね。血は水より濃いと言うけれど、こうして父娘並べると全くその通りだなと、毎度そう思ってし まう。

 ひと休みした後、お風呂をいただいて、昼飯をご馳走になって、ひと眠り。あまり迷惑をかけるのもなんなので、道後温泉に行ってひと風呂浴び て、休憩室でひと眠りするつもりだったのだが、千葉家式過剰接待につかまってしまった。お茶を飲んでいるうちに風呂が沸いていて、風呂から上がったら昼飯 が出来てて蒲団が敷いてあるんだもの。だからこの家は来るのが恐いんだ。とは言え、夜通し高速を走り続けて来たせいか、神経が高ぶっていて、折角の蒲団も ほとんど眠れなかった。

 15時頃起き出し、千葉さんと石手寺に行く。久し振りに国宝三重塔とご対面。最近奈良の大寺を見慣れているせいか、寺の敷地がえらく狭く感じ る。そのあとプラプラと道後の方へ下って行き、道後公園を散歩。小高い丘に登って、夕暮れの松山を眺める。ひねもすのたりの瀬戸内の夕焼けは、何度見ても いいもんだ。

 陽も暮れて来たので、チンチン電車で市内に戻り、焼鳥屋に入る。
「あの二人、いつになったら結婚するのかしら。」「五野上さんに電話で聞いてみたら。」「あたしだって恐い物あるわよ。」
などと言う会話をしながら、酒を酌み交わす。しかしまあ、千葉さんのピッチの速いこと速いこと。おまけに人の杯にどんどん注いで下さる。
「僕、これ以上飲んだら吐きます。」「吐けるもんなら、吐いてみい!」 と言う、千葉さん就職直後の逸話が思い出される(しかし、研修中にそんなことするか!?)。

 2時間ほどで焼鳥屋を切り上げ、喫茶店に入る。しこたま酔っ払った千葉さんは、1人でケーキを2つも注文し、全部食べるのだと息巻いている。 さすがに1つ食べ終わった所で後悔したような表情を見せたが、知らん顔してたら全部食べてしまい、帰り道で気持ち悪いと座り込んだのにはまいった。