関東近郊ローカル鉄道の旅/茨城
 
・1つ上にもどる  ・トップへ戻る


2002年6月1日 鹿島鉄道&日立電鉄

 石岡で少し時間があったので、駅舎の中のベーカリーで朝食。休日とあって、静かな駅前。駅前のビルには「西友」の看板を取り外した跡。今ドキ、駅前スーパーは流行らないか。1両のレールバスに乗って石岡発。石岡を出た辺りは住宅街だけど、すぐに畑、そして田んぼ。左手には平行して道路。もともとこの線は赤字で、百里基地へのジェット燃料輸送のために残ってたんだけど、既にそれもなく、頑張って30分ヘッドの運転は維持しているものの、経営は辛かろうなあ。右手にのんびり広がる霞ヶ浦を見ながら、そう思った。

 終点の鉾田着。ちょっと古いけど、立派な駅舎。駅前からはすぐにバスが接続しているので、それに乗る。鉾田の商店街は、1970年頃の感じの懐かしい構えの店が並んでいる。とは言え、シャッターの閉まった店もちらほら。ここでも、ロードサイド店に押されているか。バスを降りて、鹿島臨海鉄道の新鉾田へ。高架駅の周囲は閑散とした感じだけど、それでもガーデニング、古本屋、電器屋、コンピュータ屋、コンビニ等々が並んでいる。これでは、商店街の櫛の歯も仕方ないか。

 30分ほど待って、鹿島臨海鉄道の水戸行きに乗る。こちらも1両だけど、水戸に着く頃には満員だった。水戸駅でひょいと時刻を見ると、15分ほどで水郡線があって、上菅谷で常陸太田行きに接続している。常陸太田行きは本数が少ないので、ラッキーと飛び乗る。土曜日の昼過ぎとあって、2両編成は結構混んでる。上菅谷で乗り換えたら空いてたけど。

 常陸太田の駅の向いが日立電鉄の常北太田駅。常陸太田は新しくてきれいな駅舎だけど、常北太田はボ○い。まあ、経営的にギリギリだろうから、仕方ないんだけど。常北太田を出ると、水田地帯を行く。のんびりしてて良い感じだけど、沿線人口少なそうだなあ。1両の小さな電車が行く。喘ぎながら常磐線の上を越え、大みか(字が難し過ぎて出ない)で常磐線に合流。15分ほど停車。お客はほとんど入れ替わる。

 ここから先は日立の城下町。家やオフィスや小さな工場が所狭しと並んでいる。昔は日立の社員の通勤で賑わったんだろうなあ。今は車社会だから。しばらく行くと、左手は日立の巨大な工場の塀となり、右手は道路と家、その向こうは大平洋。巨大な工場が尽き、常磐線の線路が再び見えると、終点鮎川。小さな無人駅。駅前には自動販売機とバス停のみ。もう少し進んで日立駅まで行っていれば、また違った展開もあるんだろうけど。ともあれ、これで関東地方の鉄道は完乗したよ。


2001年4月29日 関東鉄道常総線

 取手に着いたのは7:45頃。関東鉄道に乗り換え。平日の朝は6両編成のこの線も、休日とあって2両編成。しかもガラガラ。取手を出ると小雨が降って来た。やれやれ。沿線には結構家が立ち並んでいるけど、普段の生活はみんな車なんだろうな。取手駅前のヨーカドーが撤退したのも、ロードサイド店に食われた結果だろうし。通勤通学の足、というのが、この線の役回りか。

 しばらく行くと守谷。駅前には店が数軒あるだけの静かな駅だけれど、常磐新線の工事が行われている。今は取手まで20分、そこから上野まで45分かかるけど、新線ができれば秋葉原まで40分。そうなればこの辺りもまた変わるんだろうか。

 30分で水海道。ここで乗り換え。ここから先は1両編成、ワンマン運転。東京への通勤圏はここらで終わりか。田んぼや畑と住宅が入り交じった車窓の中を、気動車が進む。雨も上がったし、まあ、良いGWかな。やがてお客が増えて来た。ざっと70-80人程のお客を乗せて、終点の下館着。JR水戸線に乗り換えて、小山に向かう。続きはこちら


2001年3月11日 茨城交通

 勝田駅から茨城交通に乗る。すぐに日工前駅。この辺はもう日立城下町で、駅の反対側には茨城工場、水戸工場、勝田工場が並んでいるし、こちらは日工(日立工機)。工場の塀に沿って桜並木があり、花の季節はきれいだろうな。勝田の駅前は閑散としていたけど、ここにはジャスコや商店街もあるし、結構賑やか。ただ、単コロ(1両編成)の車内にお客は20人くらい。平日の通勤通学時間帯ならまた違うんだろうけど。次の金上を過ぎると、冬枯れの水田地帯。この辺は、水郡線にも通じる物があるな。勝田から10分ちょいで那珂湊。ここは、勝田以外では唯一の有人駅。駅構内には10両ほどの車両が休んでいて、更には廃車も何両か。

 ここで一旦下車して、穂10分の「おさかな市場」へ。駅前は閑散としていたけど、市場に近づくにつれて渋滞が。時刻は14時を回っているけど、市場の中は人で一杯。食堂も長蛇の列。はあ、すごいねえ。駅からの道が歩道や街灯も含めてすごくきれいだったけど、これだけお客が来るならむべなるかな。海鮮丼でも食べようかと思って来たけど、行列するのもアホらしいし、鮎の塩焼きとホタテの串焼きを立ち食いして駅に戻る。

 再び茨交線に乗って終点を目指す。那珂湊を出ると線路は左にカーブを切って北上を開始。同時に上り坂となり、ディーゼルエンジンがわめき始める。海沿いに走るのかと思ったら、そうでもないんだな。右手の向こうにチラチラとは見えるけど、この辺は標高も結構あるし、周囲は畑作地帯。今は麦が少しあるだけだけど。

 磯崎で他のお客(といっても6人)は全部降り、車内は灯台と運転手だけになった。そして終点阿字ヶ浦着。家はチラホラあるけれど、商店とかは全くない。すごい所だなあ。折り返しまで15分あるので、駅前の看板に従って少し歩いてみる。車1台がやっとの細い道。民宿の看板がいくつか。眼下に海が見えて来た。このまま降りて行けば国道の走る海岸に出られるらしい。夏は海水浴も可。駅の構内には、廃車を利用した更衣室があった。しかし、今どき茨交で海水浴に来るお客なんているのかなあ。そもそも、那珂湊までは分るとしても、何で阿字ヶ浦まで鉄道を延ばしたんだろう? 

 無人の駅舎には、開業30周年記念切符の宣伝が張り出されていた。昭和49年と言う事は、開業は昭和19年か。戦争中、何が合ったのかな。それはともかく、この記念切符の発行は27年前。まだ売ってるんだろうか?

 時間が来たので、ディーゼルカーに乗る。勝田まで14.6km、25分の小旅行。意外と楽しいひとときだった。