山バテマンの話
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 「強」になったクーラーの風を顔面に浴びながら頭が割れるほど冷たいアイスコーヒーを一気に飲み干す。彼の頭の中にはこれしかない。
 彼の名は山バテマン。山バテマンを見るのは実に楽しい。
 誰でも彼に会いたかったら盛夏の北アルプスに行けばいい。長い人生の中で最初で最後の登山に挑む青年達は、偶然にも彼らを鼓舞したアウトドア雑誌を片手に一人でぷらっと現れる。それでは彼らの特徴を観察してみよう。
 まずタオルを首からぶら下げているか、頭に巻いている。服装はGパン+ポロシャツか、ひょっとするとあの体操着(Vネックの白綿のシャツに短パンかジャージ)かもしれない。足元にはもちろんスニーカーに綿靴下。遠足用のリュックサックに肩掛け水筒(多くは達磨型で漫画の描かれたビニールが張ってある)。
 その行動パターンは刹那的で、ダーーッと登って行ったかと思うと所かまわず座り込んでゼーゼーいいながら休み、またダーーッと登ることの繰り返しだ。従って、一定のペースを守ってひたひた歩く一般の登山者とは何度も抜きつ抜かれつした末、気まずそうに見送って諦める。登る彼の顔は苦痛に歪んでいて、見ている方がバテてくる。
 では若い彼は、なぜバテるのだろう。
 原因はあの水筒だ。彼らは座って休むとき、発作的に水を飲む。山でダイレクトに水を飲むのはよろしくない。キャンディーでもしゃぶっていれば十分である。水を飲んでもあっという間に汗になって出てしまうが、その際膨大なATPを消費するからバテるのだ。私は元薬屋だから、この手のことに詳しい。
 さて、山バテマンは座り込んで恨めしそうに地図を眺め、計画を「修正」する。だが。彼らの地図は大抵、駅で配られている絵地図か観光図で、いかにもすぐ山があるかのように描かれている。
 そんな彼らに特効薬はあるのか?
 山小屋についてビールを飲んで大の字になること以外には無いであろう。
 
 

 今私は良く冷えたビールを買って会社から帰ってきたのであるが、このビールをよりおいしく飲むために、私自身が山バテマンになったあのときのことを回想してみよう。

 不帰ノ嶮をほとんど越えて唐松岳の頂上は指呼の間だというのに、私は砕石つづきの登山道にへたり込んでガボガボと水を飲み、その全てを汗に替えていた。
 その日は白馬大池から歩き詰めで、ほとんど休み無く10時間の行程を辿ってきた。途中の天狗山荘で買ったカルピスがおいしかったので、水筒の水でうすめて2杯飲んでしまった。それが始まりだった。ひとしきり汗した後、ガス欠状態に陥り、さらに水を飲んでしまったために私は山バテマンと化した。
 ほんの15メートルほど登っては座り、水を飲み、また15メートル登っては水を飲む。そうやっているうちに2リットルの水筒が空っぽになってしまった。
 だいたい私のような、仮にも装備のきちんとした人間がバテるほどの醜態はない。通りすがりの、明らかに初心者と見える人たちからも、
「やあ、がんばってくださいよ。」
「もうすこしですから。」などと励まされるに至っては、もう誇りも面目も丸つぶれである。
しかし50メートル前方に、いた! 山バテマンだ。しかも体操着だ。あいつになら勝てる。
 どうやら彼も私のことを意識しているらしかった。そして私同様に15メートルごとの健気な前進を繰り返している。私は少々気張って一気に追い付いた。仲間意識がすぐに芽生え、彼は話しかけてきた。今日の予定について。それは八方池まで下るという壮大なものだった。今すでにこの状態だというのに。
 だが、彼の見せてくれたカラー刷りの「地図」には、大きな八方池山荘の絵が描かれていて、その屋根は唐松岳の頂上にまで達していた。私は彼のプライドを傷つけないように注意しながら、少なくとも唐松山荘には寄ったほうがいいよ、と言っておいた。これで彼も平和に唐松岳泊りとなるだろう。
 私達は互いに牽制し合って、自分が山バテマンだなどとは一言も言わなかったが、結局彼は歩きだし、私は立ち上がることができなかった。唐松山荘までのさいごの200メートルを20分かかった。そこで私はザックをかなぐり捨てるとまず最初にビールを・・・・・
 

 机の上のビールはすっかり温くなって泡だらけでまずかった。
炭酸ガスは低温の液体には良く溶けるが温かな液には溶けにくいのだ。
私は元薬屋だからこの手のことに詳しい。