スパッツマンの休日 五郎に捧ぐ
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 スパッツの効用について、私には多くを語る資格がある。
 その形状や履き方からその人の山の技量がわかるほど、私はスパッツのことを深く研究している。
近々その成果をScienceかNatureあたりに発表しようかとも思っているが、ここでは紙面の都合上、要旨(Abstract)だけを述べようと思う。

 まず、上級者のスパッツの場合、色褪せて表面がケバ立っている。土踏まずに回すゴムは一度ならず切れたことがあるらしく、左右違う色だったりする。彼らはこの年季物を立ったままスムーズな動作で着脱するが、そのうちチャックが壊れて廃棄となる。

 次に中級者の場合。同スパッツの内側の、くるぶしのあたりに接ぎ当てがしてある。しかもそれが、律儀に毎年更新されるらしく、2〜3種類の生地が混在していてカラフルである。ゴムはまだ切れるに至っていない。彼らのレヴェルではまだ立ったままの着脱ができず、ザックの上に坐って歯を剥ぎながら着けている光景が観察される。そのスパッツも数シーズン後には完全に破れ去って廃棄される運命にある。

 初級者スパッツは、中級者同様接ぎ当てが目印だが、足の外側まで破れているのが特徴である。スパッツの前後左右を間違えて着けるとこの現象が生ずる。それがかっこ悪いからとか、新しいツートンカラーのものがでたからなどという理由で、まだ使えるうちに廃棄される。

 初心者の場合、冬山初体験の彼のスパッツはゴアテックスマークも鮮やかな新品なのですぐにわかってしまう。前後左右を間違えたり、上端の紐を縛ろうとして引き抜いたり、一通りのことをやった末、くるぶしの内側を破いて帰ってくる。だが彼は意気揚々としている。接ぎ当てをするだけで、もう彼は初級に格上げなのだから。

 さて、そんなスパッツであるが、その用途は一般的には雪や雨露や、狂暴なアイゼンの牙から足と靴を守るということだろう。しかしこれからお話しするのは全く思いもよらなかったスパッツの効用である。
 

 陽春の八ヶ岳。やたら暑い日だった。
 先輩と俺は、大汗かいて赤岳鉱泉へ辿り着き、適当に雪を均してからテントを張った。顔がバンバンにほてっている。
 一眠りしてから俺達は夕食作りにとりかかったが、先輩がニヤニヤしながらザックの中から取り出したのは、分厚い牛肉だった。彼は言った。
 「喧嘩にならんように二つに切っておこう。俺が切るからお前、好きな方取れや。」
 こうして俺達はじっくり時間をかけてビーフカレーを作り、腹一杯食った。

 横岳の西壁がバラ色に燃えてから沈みこむと、夕闇がヒタヒタと迫ってくる。
 ヘッドランプとシェラフ、それにコップを用意してテントに潜り込むと、次に先輩が取り出したのは12年物のシーバスリーガルだった。
 「おおっ、ごっつざんです!」と俺は叫びながらゴボゴボと注いでは呷った。しみるしみる。たっぷりと雪焼けした後のウイスキーはまた格別だ。そしてウイスキーは、男の気を大きくしてくれる。俺はもう、いっぱしの登山家になった気分で、なぜ山に登るのか、自然の本性とは何なのかなどを饒舌に喋り続けた。先輩も負けじと応戦してくるので議論はみるみる白熱してゆき、気がついたらシーバスは空になっていた。もう止まらないぜっ。

 俺はテントを出ると、次の酒をかうためにふらふらと鉱泉小屋に向かって歩き始めた。頭はもう酩酊の境地に達していたし、それでなくても大きい星が、目の中を行ったり来たりする。横岳から赤岳」にかけての稜線が、もんやりしとした東の星空に食い込んで停止している。
 俺は思わず笑い出したくなった。
 しかしさすがに3月の山の夜だ。背中がジンジン寒い。俺はそそくさと用を足すと、レッドを一本買って戻ってきた。それからコッフェルにテントの入り口脇の、ピプラムの型がいっぱいついた雪をすくって持って入った。シーバスの後にレッドというの寂しいかもしれないが、雪で割れば飲めるだろう。
 仕切り直しても議論は一向に冷めやらず、やがてレッドも空くころになると先輩も俺も、完全に深酒に溺れていたのである。

 翌朝もド快晴だった。きっとまた暑くなるだろう。きょうの予定は、硫黄岳から赤岳まで稜線を歩いて地蔵尾根からここへ下りてくるコースだ。ああそれにしても頭が痛い。

 出発の準備をしていた時、財布がなくなっていることに気づいた。昨夜レッドを買いに行った時、落としたに違いない。鉱泉小屋とテントの間を何度も往復して探し、念のため小屋番にも聞いてみたが見つからなかった。俺のショックは大きかった。全財産の聖徳太子3枚が入っていたのだ。
 俺は空を仰いだ。晴天の霹靂とはこのことだ、泣きっ面に蜂に虻とはこのことだ。
 先輩はなんだかんだと屁理屈をつけて慰めてくれる。
 「昨日のあの素晴しい天気とビーフカレーとシーバスは太子3枚くらいの価値はあったじゃないか。」と。
 やがて俺も諦めて、だらけた動作でアイゼンを着け、トボトボ出発した。
 (確かにズボンのポケットに入れたつもりだったんだがなあ。)
 ひどい二日酔いで頭がガンガンする上にこの気分の重さである。雪山の輝きも、彼方まで侵みわたる群青も、ただ恨めしいばかりだった。俺はいったい何のために登るのだろう。こんな登山、ただのディー・アルバイトだ。先輩さえいなかったら腐って帰ったに違いない。いや、帰る金さえ無かったのだ。

 モティベーションを失った足元はいい加減になり、時折アイゼンの牙がスパッツにひっかかるのを邪険に振りほどいたりした。この調子で今日の行程を消化できるとは思えない。硫黄岳も、なかなか近づいてくれなかった。
 俺は赤射*した。赤岩の直下だった。「山を汚すな」とかなんとか先輩がいっていたようだが耳に入らなかった。先輩また、「ここは今後、赤射の頭になる」などと言っていたようにも思う。

 しかしそれを境に、少しは気分が軽くなった。
 そうして山は、その比類なき寛容さで、悔恨にかられる俺の心を徐々に解きほぐしてくれたのだ。
 硫黄岳を越え、横、赤と縦走するうちに、その豪快な景色にマッチして俺の気分もどんどん高揚していった。
 どこまでももったいない高所の映像..........
 (そう、たかだ太子3枚失っただけでこのおいしい山が買えるんだったら安いもんさ。)
 そう思いながら俺は、今朝あんな気分で山に八当たりしながら登り始めた自分に恥じ入るばかりだった。
 今日また、山の優しさを知った。

 地蔵尾根をシリセードで一気に下り、中山乗越を越えてテントの戻ってきたとき、もう俺は最高の気分になっていた。そして昨日から履きっぱなしのオーバーズボンを脱いだとき、スパッツの中から財布が転がり出てきた。

 「だっせーーーっ!」

 先輩の声が狭いテントに、いや恐らくは鉱泉中に響き渡った。
 山が笑っている。終日快晴。充実した山行であった。



*酔っ払って吐くこと