鳥海山への遠き道程 
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 事の発端は、残雪豊かな初夏の東北の山へ行きたい、と思った事にある。とは言え飯豊や朝日は、ちょっと週末に入れる山ではないし、月山と岩木山は昔登ったことがある(8月で雪はほとんどなかったが)。そんな訳で、東北最高峰・鳥海山を選んだ。

 最初は1人のつもりだったが、会社でその話をしたら「行きたい!」と言う人間が現われて、結局6人になった。おまけに「どうせ秋田まで行くんなら、ついでに佐渡に寄って芝採って来い」と言われ(離島の植物は変異が大きいので、コレクションとして貴重である)、僕と永田が1日早く出発して佐渡に渡り(当然出張)、後発隊とは酒田で合流、と言う事になった。


I

 夜の新宿駅は、既に雨が降り出していた。日本海を進む低気圧の影響で、明日はどうも荒れ模様らしい。せめて明後日は晴れてほしいな。発車のベルと共に永田が駆け込み、ドアが閉まる。快速「ムーンライト」は定刻に新宿を後にした。

 午前5時、新潟着。雲は黒いものの、雨は降り出してはいない。このまま1日持ってくれればいいが。採集に必要のない荷物をロッカーに放り込み、夕方の買い出しをする店の場所を確認した上で、新潟港に行く。出張申請書には高速艇に乗る事にしておいたが、それには1時間待たねばならない。フェリーならすぐ出航する。両津着の時刻はフェリーの方が30分遅いが、3,500円と言う値段の差を考えると・・・。当然フェリーだな。6時出航。永田は毛布を借りて来て、ゴロンと大の字。こっちも先週末から、四国へ出張したり合津へツーリングへ行ったりで、疲れ果てている上に昨夜の夜行。エラく眠いのだけれど、何故か目が冴えて眠れない。ポツネンと鉛色の日本海を眺める。

 8時半、両津着。ついに雨が降り出してしまった。あ〜あ。まあ、しょうがない。タクシーを捕まえ、行き先に大佐渡ロッジを告げる。佐渡は、最高地点が1,000mを越える、意外と山深い島である。その山頂部は牛が放牧され、その放牧圧で、かなり純粋な芝地となっているらしい。大佐渡ロッジから縦走路が走っているので、その辺を探ってみようと言う訳だ。タクシーが標高を上げるに連れ、中々キレイな草原が現われ出す。これは期待出来そうだ。ただし、雨の方も元気を増す。9時、大佐渡ロッジ着。軒下を借りてカッパを着、ザンザン降りの中をいざ出発。

 10時半、大佐渡ロッジ帰着。草原は予想以上の物だった。天気の良い日に、おべんと持って眼下の海を見ながらハイキングすれば、それは爽快だろう。考えてみれば、新幹線と高速艇を乗り継げば、東京ー両津はわずか4時間。下に降りれば海水浴も出来るし、魚も美味い。これはけっこう穴場だな。ただ、今日のこの雨とガスと気温にはマイッた。電話でタクシーを呼び、リッジでしばし休憩。11時、タクシー着。再び両津へ。

 両津まで降りてきたら、雨は小降りになっていた。山に入ると悪い訳か。明日はどうなるのかなあ。さて、折角佐渡に来たのだから、昼飯は鮨でも食おうと言う事になり、両津の町をウロウロ。1軒の鮨屋に入る。値段は確かに安いけど、味はそれほど大したもんじゃあないなあ。一通り食い終わり、地図を広げて次の行動の検討。午後は西海岸の辺りを探る事にする。12時半になったので、会社へ電話。「午前の採集は順調に終わりました。ただ、天気がねえ。明日はどうかなあ」「それはいいんだけど、さっき家の方から電話があって、お母さんが倒れたらしいよ。家に電話してくれって」
「えっ!?」

 自宅の電話番号を回すわずかの間に、様々の思いが胸の中を駆け巡った。「一体何の病気だろう。2週間前に帰った時は、あんなに元気だったのに。大した事がなければいいが」。電話に出たのは、涙声の叔母だった。「危篤状態なの。おねえちゃん達もこっちに来てるし・・・。すぐ帰って来て!!」

 会社に電話して出張を打ち切りにしてもらい、鮨屋に走って永田に事情を話す。永田もすぐ了解してくれた。両津港へ走り、13時の高速艇に飛び乗る。新潟まで1時間。灰色の空の下、灰色の日本海を水中翼船が駆け抜ける。かなりの高速なのは百も承知なのだが、それでももどかしい。隣の席では、いつも下らない冗談を連発してウルサイ位の永田が黙りこくっている。僕はと言えば「こんな事ってあるんだなぁ」と、ただ呪文の様に繰り返していた。時間がよどむ。

 新潟港からタクシーで新潟駅へ。横目で発車時刻表を見る。次の新幹線まであと7分。ロッカーを開けてザックの中身をブチまけ、山道具を永田に託す。キップを買い、改札を通り、左手の長い階段を駆け上がる。息が切れるが、ここで立ち止まる訳には行かない。新幹線改札を突破して、発車ベルの中、上野行きの「あさひ」に転がり込む。荒い息の後ろでドアが閉まり、発車。これで18時には家に着ける。この時ばかりは田中角栄に感謝した。車内からもう一度家にTel 。電話の向こうは父だった。「どうなの、容態は」「うん・・・、帰って来たら話すよ」。それ以上は聞けずに受話器を置く。間に合わなかったのだろうか。力なくシートに腰を下ろし、目をつぶる。とにかく今は、少しでも体を休めておくことが先決だ。けれど、山の様な疲労を感じつつも、中々眠れない雨が窓をたたく。浅い浅いまどろみ・・・・。



 後で分かったことだが、僕を乗せた「ムーンライト」が新宿を発車したのと、母が倒れたのは、ほぼ同時刻だったらしい。世の中にはこんなこともあるんだな。間に合った事だけが救いではあった。
 そうして1年が経ち、母の一周忌を翌日に控えたこの夜、僕は再び「ムーンライト」に乗り込んだ。中断された道程を完成させるために。

II

 新宿駅に着いたのは発車10分前だったが、「ムーンライト」はまだ入線しておらず、ホームはごった返していた。程なく入線。新井・村上各3両の今日のムーンライトだが、ほぼ満席。中年のオバさんの団体がけっこう目について、ビックリした。定刻に発車。学会の準備で寝不足の頭を睡魔が襲う。去年よりは天気は良さそうだな。そんな事を考えながら、眠りに落ちる。

 6時半、村上着。グリーン車と同じシートのムーンライトとあって、良く眠れた。とはいえ、やっぱりまだ睡眠不足。酒田行の鈍行客車に乗り換え、再び眠りに落ち・・・たかったのだが、途中から高校生がどんどん乗ってきて、それどころではなくなった。今が丁度試験期間らしく、ノートやら参考書を広げて、悪あがきに余念がない。ずいぶん昔に、こんな時代もあったな、と思う。列車は、日本海を見ながら北上する。

 8時半、酒田着。駅近くのバスターミナルへ足を運ぶ。が、やはり鉾立行のバスは運行されていない。夏休みに入るまでは日曜のみ。ちぇ。土曜日も運行してくれたって良さそうなものを。駅に戻り、朝食を食べる。そして、9時47分の鈍行で吹浦へ。天気の良い日に、ガラガラの鈍行に揺られるのはいいもんだ。右手の鳥海山が段々大きくなる。ただ、空は晴れているのに、山には雲がかかっているのがシャクの種。

 10時15分、吹浦着。タクシーで、鳥海アスピーテラインを通って鉾立へ。バイクで走ったら、気持ち良さそうな道だ。10時45分、鉾立着。タクシー代6,000円は痛かった。天気曇り。平野の方は晴れているんだが。登山者名簿を書いて登り始める。ちょっと上にある展望台までは観光客も入り込んでいるのだが、その先は誰もいない。整備された道をポクポク登る。

 

 1時間程で、賽の河原に着く。この辺まで来ると、結構雪渓が残っている。軽アイゼンを持って来るんだったかな。ちょっと後悔。5分ほど休んで、また歩き始める。雪渓の脇を登って行くのだが、雪に道を閉ざされて、かなrキツイ雪渓登りの場所もあったりする。ああシンド、と思っていると前の方に道標がある。ひょいと覗くと「川原宿」。ありゃ。ガスで見通しが利かないのと、道が雪で隠されていたのと、地図がいい加減(本当は流れを渉るのに、渉らないように見える)なのとで、いつの間にか1本隣の登山道に来てしまった。まあ、いいか。道標に従い愛宕坂を登って行くと、ここが御浜神社。カロリーメイトをかじりながら、少し休憩。

 ここから御苗代までは、割合なだらかな道。高山植物も豊かで、晴れていれば気持ち良いのだろうが、ガスで20mも見えないとあっては如何ともし難い。ただし、まったく汗を掻かないで済むのは、異常な汗掻きの僕には有難い。御苗代から先は、道が2つに別れる。千蛇谷雪渓を行く道と、外輪山の上を行く道。雪の具合が分からないので、後者を行く事にする。登りのキツイ、岩場の道。晴れていればどうでもないのだが、視界が利かないと自分の現在位置が分からないので、エラく疲れる。ヒイヒイ言いながら、やっと行者岳の下降点に着いた。15時30分。鉾立から4時間半。


 谷に降りて雪渓を渉り、少し登れば大物忌神社、今日の宿。宿泊手続きを取り、小屋に入る。客は30人位。正式の開山(次週の日曜)前とあって空いていた。雑炊を作り、腹に入れる。食い終わってくつろいでいると、隣に陣取った、新潟から来た50才位の3人組がほうじ茶をご馳走してくれた。中々いいもんだ。外に出るといつの間にかガスが晴れていて、夕陽が沈む所。標高2,000mから水平線に沈む太陽を見るのは、何となく不思議な気分。

 20時頃、星を見るために外に出たが、高層雲が出ていてダメだった。21時、就寝。

 午前3時半、腕時計のアラームで目が覚めた。小屋の中はまだ寝ている。外は結構良い天気だ。これは期待出来そう。ゴソゴソと寝袋をたたみ、出発する。鳥海山は、アスピーテの優雅な山容とは裏腹に、山頂部は人間よりもデカい岩が積み重なっている。こう言う岩場は苦手だなあ。両手両足を使いながら、エンヤコラと登る。日の出は4時15分。間に合うだろうか。足場に注意しながら、先を急ぐ。

  

 4時10分、誰もいない山頂にたどり着いた。思えば長い道のりだった。その数分後、東の空に金色の御来光が現われた。この世の始まりを告げる無垢な光りが、頬を染める。夜明けの風が心地好く頬を刺す。雄大に広がる山麓に、残雪が様々な模様を描いている。下界はまだ、薄いもやのヴェールの中で眠っている。そうして西の方を振り返れば、影鳥海。朝日を浴びた鳥海山の影が、日本海にその美しい三角形のシルエットを結んでいる。止まっていた時間が流れ始める。

 午前5時。大展望も十分に堪能したし、そろそろ下山にかかろう。遥かに望む庄内平野に向けて、僕は山頂を後にした。