海 峡
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I

ビジネス・ホテルをチェック・アウトして、いつものように駅前の魚市場で、焼ウニと甘エビを買い求めた後にたどり着いた、春3月の青森駅4番ホームは、既に「はくつる」から流れてきた乗客達であふれ返っていた。「あ〜あ」と思わず舌打ちが出た。そりゃまあ、予想はしていたさ。けどね、ガラガラの客車のボックスに一人沈んで、窓の外を流れる蛍光灯の明りに身を任せる幸福、そんな期待も、心の何処かにあったから。やれやれ、まだ僕も甘いね。

 しかしまあ、すごい人の数だ。「はくつる」の上野発の時刻を考えれば、こいつらは皆、東京(あるいはもっと遠く)から来てるわけか。いくら今日が青函トンネルの開業1週間前で、連休の初日とは言え、高い寝台料金を払って、死ぬほど揺れる(おそらく、素人には一睡もできまい)電車寝台で10時間もかけて、トンネル1本の為にやって来るのだから、その野次馬根性も馬鹿にはできない。どこぞの評論家とやらが赤字必至と叫んでいた青函トンネルだけど、これなら多分大丈夫だろう。日本人の野次馬根性を甘く見てはいかんよ。この無知で無定見で無節操な連中は、マスコミが話題にしたことなら、何にでも食い付いて行く。何も考えずに、ね。

 そうこうするうち、快速「海峡1号」が入線してきた。真紅のED79を先頭に、12系5000番台5両という、ほとんど訳が分からない編成だ。最近、この手の妙ちきりんな編成が多くて頭が痛い。乗り手の質が下がったもんだから、列車の質まで下がってしまった。困ったもんだ、と思っているうちにドアが開いた。乗客が雪崩込む。こっちはハナから座ることを諦めているので、席には目もくれず、デッキの進行窓際を確保した。何で右側かと言えば、こっちが海側だからである。列車に乗ったら、海側または川側を確保する。これが汽車旅の大原則。その方が景色がいいからね。車内では、座席確保のドタバタがまだ演じられていた。一人旅の人間ばかりなら問題は無いのだが、二人三人四人と団体さんが多いからねえ。

 7時29分、定刻に発車。わずかに雪の残る青森市街を、「海峡」は軽やかな音を立てながら、スピードを上げて駆け抜ける、しばらく行くと、右手には陸奥湾が見えて来た。生憎の小雨で北海道は見えなかったものの、海の向こうには下北半島が横たわっていた。左後方には、頂きに白い雪が残る八甲田連峰がそびえ立ち、中々の車窓だ。前に津軽線に乗った時には、5m先も見えない吹雪だったから、車窓なんてものはさっぱり分からなかったが、こうして見ると、どうしてどうして見事なもんだ。

 しかし、目を車内に転ずれば、人々は皆、新聞や雑誌に目を落としているか、あるいはウォークマンを耳に夢路を急いでいる。一体全体こいつらは、一体全体何の為に、高い金を払い貴重な時間を費やして、はるばる青函くんだりまでやって来たのだろう。寝台特急が寝不足を誘うのは分かるけど、折角ここまで来たんだぜ。海の彼方の北の大地に目を凝らすのが(たとえ見えなくても)礼儀ってもんじゃないのかね。一体いつの頃からだろう。この手の連中が、ローカル線のボックスに、我が物顔で腰を下ろすようになったのは。そうして、こいつらのおかげで、こいつらに追われて、本当に旅を、鉄道を、車窓を愛する連中が。列車の中から消えていった。彼等は皆、何処へ行ってしまったのだろうか。ローカル線のボックス席の片隅で、旅を語り、愛を語り、人生を語っていた彼等は、一体何処に消えていってしまったのだろうか。

 否! これは問いではない。答えは既に明白ではないか。乗るべき列車も、乗るべき路線も、全て失ってしまった彼等にとって、行き先はただひとつだ。そうして僕も、この身はこの列車にゆだねていても、精神(こころ)は彼等の所へと向かっている。もはや、立ち止まる事も後戻りする事もない。彼等のほとんどがこの地上から去った後も、一人残って東奔西走してきたけれど、そろそろ潮時のようだ。古い時代の旅人の、最後の一人として、弔いの言葉を述べる役目も終わったし、僕もまたこの地を離れ、彼の地へと赴く事にしよう。この旅は、その為の旅。大阪から鈍行を乗り継いで、はるばる青函までやって来たのは、僕自身への、そして今は亡き連絡船への、鎮魂歌(レクイエム)を捧げるため。

 列車は海岸線を離れ、津軽半島内部へと行き先を転じた。いくつかのダミーのトンネルをくぐった後、いよいよ時速110kmで青函トンネルへと突っ込む。この列車が再び光りを取り戻した時、僕の心はそこにはあるまい。海面下240mの、トンネルの細深部に、永遠に閉じ込められていることだろう。行き先を失った、幾多の魂たちと共に。


II

 9時36分、急行「八甲田」は上野から12時間の旅を終え、定刻に春3月の青森駅4番線ホームにすべり込んだ。車内のよどんだ空気で満たされた肺に、外の寒気が心地よい。連絡線に向かう人々と、出口に向かう人々が交差するホームに、しばしたたずむ。さてと、次の連絡船まで1時間あるし、いつものように一度改札口を出るとするか。駅前に広がる魚市場で、いつものように焼ウニと甘エビを買い求め、ついでにリンゴを一袋買って、再び改札口をくぐる。連絡船の待合室に荷物をおろして、KIOSKで北海道新聞を手に入れ、今日・明日の道内の天気を確認。どうやら天気は回復に向かうようだな。よしよし。そうしてしばらく道新をめくるうちに乗船時刻となり、待合室のまばらな人影が乗船口へと動き出す。乗客達は皆、慣れた手つきで乗船名簿を船員に渡し、慣れた足取りで船に乗り込み、それぞれの定位置に荷物を下ろす。僕もいつものように、いつもの場所へ荷物を下ろし、ゴロンと大の字。12時間の汽車旅で縮んだ手足を伸ばす。ここまで来れば、後は船が自動的に北海道まで運んでくれる。僕はただ、母なる連絡船の胎内に、4時間の間ゆられていればいい。周りの人々も、皆一様に安心した表情で、我が身を連絡船にゆだねている。10時10分、ドラが鳴り、船は静かに動き始める。デッキに出て、寒風に身をさらせば、下北・津軽の両半島が船を抱きかかえるように陸奥湾に浮かび、振り向けば、青森市街の背後には、白い雪をかぶった八甲田連峰がその偉容をさらす。残念ながら、北海道はもやの彼方。まだしばらくは見えない。

 船内に戻って冷えた体をしばし暖め、開店したての食堂で、いつものように海峡ラーメンの塩味に舌づつみ。相変わらず塩辛いラーメンを汁まで飲み干す。そうして自動販売機でビールを買い込み、再び北の大地訪れる幸福に乾杯。さっき魚市場で買い求めた焼ウニと甘エビが、この上ないサカナとなる。ビールを何本か空ける頃には、すっかりいい気分になり、海峡部にさしかかった連絡船のローリングは、むしろ心地よい子守歌となる。「八甲田」の眠りにくい座席が産んだ睡眠不足が、マブタを襲う。函館まで、あと2時間。至福のまどろみ・・・。今まで、何度この海を渡ったろうか。そうしてこの海の上で、何度となく繰り返されてきた、北の大地に降り立つための神聖な儀式が、今回もまた、とどこおりなく進行してゆく。他の乗客達も、思い思いの格好でくつろぎながら、連絡船の醸し出す、ゆったりとした時の流れに身を任せている。彼等もまた、自分自身の儀式の真っ最中なのであろう。今こうしている間にも、どこか遠い空の上では、満員の乗客を乗せた飛行機が。羽田へ千歳へと飛びかっているんだろうな。しかしまあ、そんなものはどこか遠い世界の話。今の僕にとって、東京は14時間の昔、札幌は6時間の彼方。それでいいじゃないか。それ以上の物が欲しいとは思わないさ。明日の朝日はオホーツクから昇るだろう。それで十分じゃないか。

 袋からリンゴを取り出してカプリ。窓の外では、いつの間にか雪が降り出している。重い重い春の雪。海峡に無数の波紋を起こしながら。そうして、その灰色のヴェールの向こうから、北の大地が音もなくその姿を現わし始める。乗客達は、一人二人と荷物をまとめだし、下船口に人の列が出来始める。彼等に混じって、函館の長い長い連絡通路を「北斗」の自由席まで駆けっこしてもよいのだが、今日はそう急ぐ旅でもないし、いつものように1本見送って、いつものように、いつものサ店でコーヒーでも飲むとしよう。そうして16時の北斗に乗れば、札幌着は20時。地下街でラーメン食って「大雪」に乗れば、明日の朝飯は網走だ。眼前の函館山を回り込みながら、連絡船は残されたわずかの航路を急ぐ。本州は既に遠い昔。降り続く雪の彼方。


III

 長い長い12‰の上り勾配を駆け上がり、「海峡」の車窓は再び光を取り戻した。小雪の舞う、灰色の空から漏れてくる光であったが、30分の暗黒に慣れた目には、眩しすぎる光であった。ここはもう北海道なのか。いまいち実感が湧いてこなかった。こんな山の中にポンと放り出されて、ハイここが北海道ですと言われて、とても信じる気になんかなれるもんじゃない。長い旅路に疲れた旅人に、優しく微笑んでくれた函館の街並み。遠い明治の昔から、幾多の旅人を出迎え続けた函館山。そして路面電車。あれこそが北の大地の証であった筈だ。だから今、僕の目の前に展開されている景色が本当に彼の地の物であるか、僕には分からなかった。いや、むしろ心の底では、イミテーションであることを確信していたかも知れない。

 やがて列車は江刺線と合流し、再び津軽海峡のほとりに戻って来た。海の向こうは白い雪が舞うばかり。雪は何も語ってくれない。嘘も真実も全て包み込み、ただただ降り続く。その中を「海峡」は走る。終着函館までは、まだ1時間の道のりが残っている。何とも手持ち無沙汰な時間だ。もう、全てが早く終わって欲しい。だが、全線複線のトンネルと違って、単線の江刺線では度々運転停車がある。小さな駅の退避線で交換列車を待つ。やがて道を譲った我が「海峡」の横を、やはり満員の「海峡」が、真紅のED79の牽くブルーの50系5000番台が、轟音を上げて駆け抜けて行った。やはりこれは悪い冗談だな。そんな想いが頭をよぎった。

 列車は函館の駅にたどりついた。向かいのホームには、いつもの様に札幌行きの「北斗」が停まっていたし、改札口を出れば、そこはやはり函館の街だった。路面電車も、いつものようにトコトコ走っていたし、函館山も、いつものように街を見下ろしていた。いつものように。

だが、全くの無表情で・・・