ド ラ ゴ ン
・トップへ戻る  ・1つ上に戻る


 「やがて、天で戦争が始まりました。ミカエルと部下の御使いたちは、竜とその手下の堕落した御使いたち相手に戦いました。とうとう竜は敗れ、天から追放されることになりました。こうして、この巨大な竜、悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界をだまし続けてきた古い大蛇は、手下もろとも地上に投げ落とされてしまったのです」  −ヨハネ黙示録−

 昔話に出てくる悪役のNo.1と言えば、やはりドラゴンでしょう。その巨大でグロテスクな体。圧倒的なパワー。財宝に対する強欲さ(ちなみに、英語のdragonには「宝の守護者」から転じて「厳重な付き添い」と言う意味もあります)。どれを取っても、仇役の代名詞の名に恥じません。現代にまで伝わる数々の伝説に名を残し、今日においてもファンタジーの名脇役として生き続けるドラゴン達。これは、そんな彼等のちょっとしたプロフィール紹介です。



 そもそも「ドラゴン」と呼ばれる連中は、かなりの大昔から、人々の想像力の中に存在してきました。もともと古代ギリシャ人は、爬虫類の巨大な奴を「drache」と呼んでいて、ギリシャ神話に出てくるテュポン(上半身は人間、下半身は大蛇、肩から100の蛇の首が生えている化け物)とかメデューサ(髪の毛が蛇で出来ていて、その姿を見ると石になってしまう)等は、その範疇に入っていました(まあ、古代ギリシャ人はこの手の化け物を作るのが得意中の得意で、ギリシャ神話を読んでいると、この他にもケルベルスだのミノタルルスだの、訳の分からない怪物がゾロゾロ出てきて、その想像力の豊かさには感嘆させられてしまうのですが)。

 ともあれ、「ドラゴン」と言う言葉は、最初は爬虫類全体を意味していた訳ですが、それが蛇を意味するようになったのは、これはアッシリア・バビロニアの影響によるものです。アッシリアの神話「エヌマ・エリシュ」に出てくる、空を飛ぶ蛇の怪物がヨーロッパに伝わった時に、こいつが「ドラゴン」を代表するようになってしまいました。以後、我々の前に登場するドラゴンは皆、「翼を持つ蛇」の姿をしています。

 それともう一つ、ドラゴン達は北欧神話からの影響も受けています。大地をとりまく大洋の底で、大地の周囲をひとまわりしてさらに自分のしっぽをくわえている大蛇「ヨルムンガルド」。この大蛇はラグナロク(北欧神話の最終戦争)の時に戦神トールと一騎討ちを演ずる訳ですが、この北方の大蛇と、先ほど述べた南方の翼を持つ蛇の融合したものが、現在我々が見ることの出来る「ドラゴン」の姿です。



 こうして、長い長い時間をかけて、遠く離れた民族の神話伝説が融合しあい、一つの生物が誕生したのでした。本来ならば、この獣はさらに変態を重ね、もっと完全な姿を私達の前に見せてくれるはずだったのですが、歴史は彼等に味方しませんでした。

 キリスト教が支配権を確立した中世においては、ヨーロッパにはもはや古代ギリシャのように、新しい怪物を創り出す事は出来なくなりました。何故なら、そういった新しい生物は、聖書の中にその記述が無いからです。キリスト教では、聖書こそが絶対であり、聖書に書かれていない生物は存在してはなりません(その結果、大航海時代に入り、新大陸で新種の生物の発見が相次ぐと、教会はパニックに陥ったそうです)。

 冒頭に紹介した通り、聖書の中にはドラゴンの記述がありましたから、彼等は一応生命だけは保つ事が出来ました。しかしその彼等を待ち受けていたのは「悪魔の化身」と言うレッテルと、祈りと十字架による竜退治(それは、明らかにヨハネ黙示録の流れを組むものです)でした。ジークフリートのような英雄ならともかく、一介の坊さんに退治されてしまうのでは、ドラゴン達もたまったものではなかったでしょう。

 その後は近代に至るまで、ただ伝説の再生産だけが行われ続けました(これは、ドラゴンに限った事ではありませんが)。ドラゴンの住居は沼や湖から深い森の奥に移され(悪魔の化身がやたらと人目に付く場所に住んでいては困りますから)、土砂崩れや鉄砲水が彼等の仕業となり、それが起こると坊さんが呼ばれて悪魔払いをする。これでドラゴンは退治され一見落着(土砂崩れはそう何度も起こりませんから)。この繰り返し。

 こうして、長いよどんだ時間が過ぎて行きました。古い記憶は失われ、彼等本来の蛇としての姿は忘れられました。醜い怪物へと変化して行ったドラゴン。聖書に登場する、奇妙キテレツな姿をした者達の列の中に、彼等も加えられて行ったのです。悪魔の使いとして。恐怖の対象として。



 16世紀に入ると、1千年に渡って全ヨーロッパを支配化に収めてきたさしものキリスト教にも陰りが見え始め、それに伴って、歴史の下で眠り続けて来たドラゴン達も、再び活動を開始します。

 16世紀以降、竜退治の伝説から呪術的方法が退いて、剣による方法が主流になってゆきます。人智を超越したデーモンから、剣によって死に至る単なる動物へと、ドラゴン達は変化、と言うよりは元に戻ってゆきました。17世紀初頭、セルバンテスは「ドン・キホーテ」の中で、ドラゴンを何と風車にしてしまいました。森の奥から再び陽の当たる草原へ。世界に大規模な覚醒が始まったのです。

 とは言え、彼等が様々の呪縛から逃れて、昔の様な活躍を始めるには、さらに2百年を要したのでした。19世紀。自然科学の発達の中で、遂に聖書の権威も否定され、ドラゴンは再び我々の想像力の中を自由に動き回る事が出来るようになりました。

 折しも急激に発達した地質学は、太古の地球に巨大な爬虫類が存在していた事を明らかにしました。古代ギリシャ人なら、間違いなく「drache」と呼んだであろうその恐竜の、生物学的に洗練された姿をドラゴン達は譲り受け、中世に押し付けられたグロテスクな姿を脱ぎ捨てました。

 その後は皆様よくご存知の通り。「種の起源」に遅れる事6年、1859年に発表された「不思議の国のアリス」には、ただ泣き叫ぶだけの、まるで擬人化された犬か猫みたいな「グリフォン」が登場します。また一方では、今だ魔法と剣が支配するファンタジーの世界で、空を飛び火を吐きながら、財宝を守って人間の英雄と対決するドラゴン。今日、この2つの亜種に分裂した彼等は、エルマーと旅をし、ビルボに宝を盗まれながら、それでも確実に、私達の想像力の中に住み続けています。



 参考文献

「中世ヨーロッパ」有斐閣新書
「世界の伝説・神話 総解説」自由国民社
「魔法昔話の起源」せりか書房
「ファンタジーの世界」福音館書店
「ヨーロッパの怪獣」宇宙船 vol.24 朝日ソノラマ
「進化論を楽しむ本」別冊宝島45 JICC出版局